「あら、痛そう」
「!?」
顔を上げれば、そこにはネージュがいた。透けるように白い手が、傷口にかざされる。
「おい、何をしてるんだネージュ!?」
ユウタの問いに、ネージュはマルタンの傷口から目を逸らさず答えた。
「何って……治癒魔法ですけれど……」
「魔物にか!?」
「……今はそういう話をしている場合でしょうか?」
恐ろしいほどに、低く冷え切った声でネージュはそう言った。反して、手のひらからあふれる温かい光は、マルタンの傷口をふさいでいく。
「あの、ネージュさん……」
「はい。これで大丈夫です。……あらぁ、本当にふわふわなんですのね」
治療を終えた手を、そのままついでとばかりにマルタンの脇腹に優しく沿わせてするりと撫でつけるとネージュはそんな風に笑った。
「ふひゃっ、くすぐったいです」
「あら、ごめんなさい」
口を手のひらでかくし、にっこりと微笑むとネージュはぺこりと会釈をし、ユウタの方へ駆け戻っていった。
「なんで魔物なんか助けるんだネージュ」
「魔物であり、こどもを救った英雄では? 現段階でわたくしたちに悪影響はないと判断できましたが」
とろけるような微笑みを向けるネージュに、ユウタはサッと頬を赤らめ、小さな声で「君は本当に変わっているな」と言った。
「誉め言葉かしら?」
ネージュにはなぜか強く出られないユウタを見遣り、アドラはなるほどな、と呟きながらあきれ顔で視線を外す。
「ソレイユいくぞ、こちらへ来い」
早く王都へ戻って成果を報告するぞ、というユウタ。マルタンは、ソレイユの目をみて尋ねた。
「あの人に、ついていくの?」
「……そうしないと……」
本意ではない、というのが伝わり、マルタンはユウタに問う。
「ソレイユの故郷……東の隠れ里へ行くんですか?」
驚いた顔でソレイユがマルタンを見る。マルタンは、安心させるように頷いた。口が、「だいじょうぶ」と動いたのを見て、ソレイユはユウタへ視線を移す。
「ああ、そちらに寄るのもいいかもしれないな、なぁ? ソレイユ」
ユウタがそう答えた瞬間、マルタンはソレイユの腕を引いた。そして、ユウタと反対方向を向かせると、背を押す。
「走って!」
「マルさん」
「大丈夫! 帰れる! 気を付けて!!」
「おい、ソレイユ!」
ソレイユはマルタンに会釈をすると、ぴょんぴょんと跳ねるように村を出て行ってしまった。ユウタは伸ばしかけた手を引っ込め、マルタンを睨む。
「貴様……! どういうつもりだ!」
「あなたは、本当のソレイユの故郷を知らない。そうでしょ」
図星をつかれたようで、ユウタはぐっと押し黙る。
「あたかもソレイユさんが来た方角を知っていたかのように振舞って、里の人たちを人質にとって、ソレイユさんの力を利用したんでしょう」
マルタンは怒りにひげを震わせながら、ユウタをきつと睨み返し、続けた。
「ソレイユさんが、北の祠と、その秘密を知っているだろうと踏んで、利用したんでしょう!」
「うるさい!」
癇癪を起すユウタを、ネージュは汚いものでも見るような目で見ていた。
「……そんなことをしていたんですか? ユウタさん……」
恐ろしく冷え切った瞳。ネージュの声に、彼女の顔を振り返ったユウタは引きつった笑顔で答える。
「い、いやだな、そんなわけないじゃないか」
「……そうですよね? 何かの誤解ですよね?」
よかったぁ、とネージュは張り詰めた気をふわりと緩める。わずかに、マルタンに流し目をして、ネージュはゆっくりと唇だけ動かした。
(オ・ミ・オ・オ……?)
見つめていたマルタンは、ん? と考え、至った。
(オミゴト?)
ふっ、と口角を上げると、ネージュは頬に手をやって思案するように小首をかしげる。
「だって、ソレイユさんは志願してわたくしたちの仲間になってくれたのですものね。……何か事情があって帰郷せねばならないのかしら?」
「あ、ああ、そうかもしれないな」
「心の広いユウタさんですもの、もちろん許して差し上げますよね?」
「もちろんさ」
胸の前で手を合わせると、ネージュは「ああよかった!」と喜んで見せる。
「流石は勇者様ですわ。急な事情でメンバーが抜けても、ちっとも問題ありませんのね」
見回りを終えたフレイアが、駆け寄ってきた。
「もう周囲に魔物はいないっぽいよ。だいじょぶそうだね。……あれ、ソレイユは?」
突然故郷へ帰ると言って離脱したとユウタが伝えると、フレイアはふうんと興味無さそうに頷いた。
「君は思うところはないのか?」
ユウタに問われて「別にい」と気だるげに答える。
「だってさあ、初めからあの子別にやる気なかったっしょ? 無理に戦わせんの可哀想じゃん、よかったんじゃね?」
それよか、とフレイアはマルタンに顔を近づける。
「君、結構やるじゃん! そっちの眼鏡のおにーさんもさ、手斧のおねーさんも! つよいね!」
「ありがとうございます」
「魔族? って言ってたけど、人間助けていーの? 魔王様とかに怒られね?」
ぐいぐいとマルタンに迫るフレイアの首根っこを掴んで、ユウタは止めようとする。
「おい、フレイア」
「えーっ、いーじゃん! もふもふでかわいーじゃん! ねえねえ! 魔王様にしゅくせー? とかされね? だいじょぶそ?」
「大丈夫ですよ、困っている方は人も魔族も関係ない、それが魔王様の教えです!」
マルタンが誇らしげに胸をそらして答えると、フレイアは「ほえー」と驚いたようにため息をついた。
「そーなの!?」
「そうです」
「おいフレイア、こんな巨大化けネズミの言うことを信用するのか」
「前々から思ってたけど、ユウタって見た目で判断しがちだよね~」
ま、どーでもいーけど。と付け足して、フレイアはマルタンの頭をぽんぽんと撫でた。
「ね、またどっかで会ったら話聞かせてよね」
「はい」
そして、くるっ、とユウタの方を向くと、花が咲くような笑みを見せる。
「一件落着な! いこっか!」
屈託のない笑顔をずいっと近づけられ、ユウタは少しのけぞり気味になり、しどろもどろで頷いた。アドラはその様子を鼻で笑う。
(あー……なるほどな)
フレイアの言う通り、一件落着かと思われた。マルタンたちも王都へ戻ろうかと顔を見合わせた時。
「だが、行く前にやることがある」
ユウタが、剣の切っ先を向けながらマルタンに歩み寄ってきたのである。