ケラスィヤは、人間も魔族も関係ないと言った。彼女は、そこに境界を設けず、全てを守る『神』なのである。そう理解し、勇は再度
「よいよい、顔を上げよ。そのように崇め奉られるために力を使うのではない。わしはすべてを愛するだけじゃ」
忘れ去られようとかまわないし、見返りが欲しくてやっているわけではないからな、とケラスィヤは笑い、村の方角へと顔を向けた。
「さて……頼まれごとばかりで大変じゃろうが、わしからも頼まれてくれるか」
マルタンは、三人と視線を交わすと、ケラスィヤに向き直り、当然とばかりに頷く。
「うむ、――村に戻り、様子を見てくれ。どうにも、胸騒ぎがする」
ここに来るまでの間、異変はなかったかとケラスィヤは問うた。大地のエネルギーが狂っていると言うのだ。本来であれば、地脈をめぐるエネルギーは一定に保たれているため、植物は正しい季節に芽吹き、育ち、動物や魔物は地から受け取るエネルギーをもってして安定した精神を保つのだという。マルタンはすぐにピンときた。
「バイパーが……」
「何」
ケラスィヤは眉を顰めた。来る途中で、バイパーの群れに襲われた旨を説明すれば、ケラスィヤの顔がどんどん曇っていく。
「そうか、あやつらは私の友であったのに……」
「申し訳ありません」
クラウスの謝罪に、ケラスィヤは首を横に振る。
「そなたらは悪くない。どのみち、そこまで狂いきっていたのなら遅かれ早かれ人間たちに討伐されていたか、自滅したであろう。あれらは見た目こそ恐ろしいが、穏やかな奴らじゃ。それが……」
見境なく通行したものを襲うだなんて異常だ、と続けた。
「この地の枯れ方もおかしい、ですよね」
先ほどまで黙っていたアドラが、「少し失礼します」と翼を広げて上空へと舞う。上からこの地の様子を確認すると、数分で降り立ち、言葉を整理してから見たものをゆっくりと伝えた。
「この祠を中心に、円形に草木が枯れて……白く……」
「円形? ……何故……」
わしの力が及ばなくなったからここを起点に少しずつ枯れたのか? そう言った直後、ケラスィヤは「いいや」と自答した。
「おかしい、それであれば先ほどの息吹ですべて回復するはず。今立っておるここしか緑が復活せなんだは……」
おかしい。
もう一度繰り返し、それからケラスィヤは黙り込んでしまった。ややあって、クラウスが口を開く。
「……原因はわかりませんが、ケラスィヤ様のお力の有無が理由とは考えにくいですね」
「そうじゃな……回復するはずのものがしない、それはより強い呪詛か何かでこの地が攻撃されたという事じゃ」
用心されよ、
「……レジスタンスと言ったな、マルタン」
「はい」
「こちらへ」
手招きされるまま、マルタンはケラスィヤの近くへ歩み寄る。ケラスィヤは、マルタンの額にてのひらをかざす。
「マルタンよ。そなたに眠る力を引き出す。目を閉じよ」
「はい」
マルタンは、つぶらな瞳を閉じてケラスィヤの言葉に耳を傾けた。
「欲するものを願え。さすればそなたの中の力が増すであろう」
マルタンは手を祈りの形に組み、考える。
――欲しいもの。
「……みんなを守れる力、……誰かを、助けられる力」
ケラスィヤはその言葉を聞き、ふっと頬を緩めた。
「そなたらしい言葉よ。よい、目を開けよ」
命のまま、マルタンはそっと瞼を開く。何かが変わったような気はしなかったが、胸のあたりがほうっと温かいことに気づいた。
「ここでわしができることはこれくらいじゃ。……頼んだぞ、レジスタンスのマルタンよ」
改めてそう呼ばれ、マルタンは身が引き締まる思いで、しかと頷いた。少し不安げに見つめてくる勇を見て、ケラスィヤは申し訳なさそうにほほ笑む。
「すまんな。わしはこの
だが、かならずやそなたたちの役に立とう、とケラスィヤは勇の瞳を見つめて断言した。
「信じておくれ」
ケラスィヤのもとを離れると、四人は急いで村への道を駆け下っていった。できるだけ早く村に戻ってくれという彼女の願いを聞き入れてのことだ。しばらく行くと、雨雲がかかっていることに気づく。
「ケラスィヤ様の言ったとおりだ……!」
「ええ、雨が……」
ぽつ、ぽつ、と雨が降ってくる。村に近づくにつれて、その雫は多くなっていった。
「ここまで来る途中……やっぱり枯れた木々はそのままだったね」
「かなり強い力がかかって枯れたんだろうな」
小走りで村への道を行く。マルタンは、クラウスから
村の様子が視認できる距離にまで来て、アドラが叫んだ。
「おい、待て。『何か』いる!」
その声にこたえるように、クラウスは杖を取り出して握った。勇も、バッグからナイフを取り出して万一に備える。さらに走る速度を速めていくと、村から悲鳴が聞こえてきた。
「なんだよ、これ……!」
転がり込むように村へ入った一行は、降りしきる雨の中、一体のゾンビと無数のバイパーが暴れまわっているのを目にした。
「トカゲ……?」
勇はゾンビの姿を見て呟く。皮膚がところどころ朽ち落ちて原型がよくわからないが、形は二足歩行の大きなトカゲに見える。
「リザードマン種だった者でしょうね」
クラウスが杖を眼前に構え、様子を探るように集団との距離を測る。
「なんで、あんなに腐って……」
言いかけて、勇ははっとした。マルタンが初めに教えてくれたことだ。
――弔われず、無念の中死んだ――殺された魔族は、魂が浄化されず、自我を失い、暴れ、見境なくすべてに襲い掛かる。
これが――。
「おい、勇者たちはどこだよ、何してんだよ!」
アドラの怒号に答えたかのように、村の奥から勇者一行が走ってきた。
「いるよー! 急に雨が降ってきて干ばつが終わるかなと思ったら何これ!」
フレイアが、自分の背丈ほどもある大きなハンマーを召喚するとそれを握りこんでバイパーの脳天に振り下ろす。
「よいしょお!」
ばきっ、と音を立て、バイパーの骨が砕けた。
「何体いるんでしょう、ひい、ふう、み……あは、もう数えられませんね」
ネージュは困ったように笑うと、空から閃光を降らせ、向かってくるバイパーに目くらましをした。その背後で、ユウタは腕を組んで見ているだけ。
(高みの見物かよ……)
アドラはそれを睨みつけると、手斧をバイパーに向かってぶん投げた。ギャッ、と断末魔を上げ、こちらへ向かってきていたバイパーが倒れる。
マルタンに向かってきたバイパーがいるのに気づき、勇は次こそはとばかりに握りこんだナイフをそいつに突き立てた。
「イサミさん!?」
「よかった、間に合った!」
「おい、馬鹿!」
アドラが砂になったバイパーから回収した自分の手斧を持って、二人に駆け寄る。ナイフが刺さったとはいえ、致命傷とはいかなかったバイパーが再び牙をむいたその時だった。勇とマルタンを庇うように滑り込んだアドラが、大きく開いたバイパーの口目掛けて手斧を薙ぐように振るう。力任せに降りぬかれた手斧は、切れ味よりも打撃が伝わり、バイパーの頭部の上半分を粉々に吹っ飛ばした。
「あ、ありがとう……」
「あんたはとりあえず筋力つけてから出しゃばれ! まずは生きること考えろ!」