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第3話

 ナイフを握る手に力がこもる。どうか、どうか。願いと共にナイフを蛇に向けた。ギシャア、と吼えながら勇に襲い掛かる毒牙。恐ろしくて、目を瞑ってしまった。

(殺さないで――!)

「何やってんだ!」

 アドラの怒号が飛ぶ。マルタンの頬が、ぷうっと膨らんだのを目の端に捉えた。パシ、と音を立て、また蛇が弾かれる。

「あっ……あ」

「下がってろ!」

 アドラの脚が猛禽類のそれに戻る。はじけ飛んだ蛇が起き上がるのを待たずに、鋭い爪のついた足で蹴り飛ばす。ぎゅっ、と断末魔を上げ、蛇は潰れてしまった。

「そんな小っさいナイフで受けるだけじゃどうもならねえぞ! そのリーチじゃ自分から行くしかねぇ!」

 マルタンは地に膝をついて肩で息をしている。何度もバリアを張るのはさすがにきついらしい。ごめん、と涙目で謝罪する勇に、大丈夫と笑いかけると、その小さな体で勇を守るように立ち上がった。前方にはまだ二体の巨大な蛇が残っている。

「この子たち、正気には戻せない……よね」

 マルタンが苦しそうにつぶやく。

「残念ですが、無理でしょうね。完全に自我を失っています」

 どういうこと? と勇がクラウスを見上げると、クラウスは簡潔に答えた。

「何者かがこの蛇たちを刺激して壊してしまった、とでも言いましょうか」

 次の攻撃が来ることを読んで、クラウスは杖を地面にたたきつける。そこから広がった衝撃波が、二体の蛇を吹き飛ばす。それなりの重さはありそうな大蛇が、いとも簡単に浮き上がり、後方の木に強かに叩きつけられた。

「すごい……」

 勇が驚いていると、蛇たちはさらさらとした砂に変わり、消えてしまった。安堵から、そのままへなへなとその場にへたり込む。

「いなくなった、かな」

 土ぼこりを払い、マルタンは勇の顔をのぞき込む。

「大丈夫? 怖かった?」

「あ……うん……」

 正直怖かった、という勇の手を取って、マルタンはよしよしと撫でてやる。

「そうだよね、初めて見たら怖いよね」

 わたしも小さいころは食べられちゃうんじゃないかって怖かったから、というと、マルタンははにかんだように笑う。大蛇のモンスターは、確か……バイパー。

「バイパーって、会話は出来ないモンスターなの?」

「ああ……僕たちも大別すればまあモンスターなのでわかりにくいですよね」

 バイパーが落としていった毒液を採取しながらクラウスは振り向く。

「うーん、人間で例えるなら、僕たちがヒト、さっきのバイパー種は野生動物みたいなものですかね」

 ざっくり分けると、集落をもったり文化を持って生活し、ヒトと変わらないような生活をする魔族と、野山に生息し、鳥や鹿、熊のように言語や文化を持たず生活しているモンスターがいるのだという。

「なるほど、野生動物も人間を襲ったりするもんね……」

「でも、あそこまで狂暴化しているのはなかなか見ないよ」

 マルタンがバイパーの消えた場所を見つめて唸る。毒液を入れたアンプルを掲げて揺らしながら、クラウスはそうですねえ、と相槌を打った。

「こうやって野生の魔物がおかしくなってるのも、何か関係があるんじゃないかな」

「うん、可能性はありますね」

 学校に火を放った張本人であるソレイユから頼まれたおつかいに警戒していたアドラも、このままでは埒があかないし、やるだけやってみるか? と首を傾げ、それから勇に視線を遣った。

「……ところでおめえよォ……」

「あ……」

 ずい、と勇に顔を近づけ、アドラはわざとゆっくりとこう続ける。

「無理すんな」

「え……」

 てっきり、叱られるかと思ったのだ。及び腰になり、自分から向かうことをせず、ナイフを握ったまま震えていた情けない勇のことを非難したとしても、誰もアドラを責めないと、そう思っていた。

「なんだ鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔して」

「いや、てっきり……怒られるかなって……」

 むぅ、と唇を尖らせ、アドラは親指と中指をくっつけて勇の額に近づけた。そのまま、中指に力を込め、思いっきり勇の額のど真ん中を弾く。

「あでっ」

「怒ってほしかったなら、これで勘弁してやるよ」

 別にあんたを責めるつもりなんかこれっぽっちもねえよ、と言ってアドラは笑う。そして、しゃがみこんでいた勇の手を取って立ち上がらせた。

「戦闘経験のない素人責めたって仕方ねェだろ。慣れるしかない」

 うんうん、とマルタンも頷く。

「あのね、誰だって初めからできるわけじゃないよ。マルもね、さっきのチークポーチバリアっていう技、何度も練習してきたの。誰かを守れる技が欲しいって思って……」

 こうしてイサミさんを守れたから成功だね、と笑うマルタンに、勇の胸が締め付けられた。自分には、何の力もない。一か八かの祈りは届かなかった。転生にありがちな不思議な力は、発動しなかった。特殊能力がないことの情けなさ――否、それがあると踏んで賭けようとした己の愚かさ、能天気さに、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。マルタンは、努力をして自分の魔力を消費してこうして助けてくれたのに。

「ごめん、マルタン……」

「どうして謝るの?」

 ぽよん、と煙を出して元の姿に戻ったマルタンが、くりくりの瞳をこちらに向けて小首をかしげる。

「俺、頼りきりで……無責任な動きしかできなくて」

 そんなことないよ、とかぶせるようにマルタンは否定する。そして、鼻先を手でかしかしとかきながら、笑った。

「イサミさん、身を投げ出してわたしを助けようとしたでしょ? それこそ、助けれるかもわかんないのに」

 自分が死んじゃうかもしれないのに。そう言って、マルタンは勇のエメラルドグリーンの目をのぞき込む。不安に揺れる勇の瞳をじっと見つめ、マルタンは優しく続けた。

「簡単にできることじゃないよ」

 じわ、と勇の瞳に涙が浮かんだ。女々しいな、と感じて勇はつんとする鼻の奥で涙を堪えた。マルタンは勇の涙を見ないよう、気づかないふりをして勇に背を向ける。

「だからね、ごめんじゃなくて、ありがとうって言ってほしい」

「うん。……ありがとう、マルタン」

「こちらこそ。身を挺して守ってくれてありがとう、イサミさん」

 勇を振り返らず、マルタンは弾む声でそう言った。薄明の光を受けてきらきらと輝く絹毛が眩しかった。

「うん」

「行こ! ……いける?」

 勇が涙声ではないとわかって、マルタンはやっと振り向く。気遣うような声色に、勇は今度こそ力強く頷いた。ほっとしたような顔をして、アドラはそのあとにつづく。クラウスはというと、良い素材が手に入ったとご機嫌でアンプルをリュックに突っ込んでいた。


 しばらく歩いていると、村長が言っていたように、森が深くなっていった。地図のとおり進んでいったが、道と言えるような道がほとんどない。近づくものがいないというのも納得である。ところどころ枝が折れているところを見ると、二週間前にここを勇者たちが通ったということも伝わってきた。

「この分だと、もう少しで着くかな?」

 マルタンは草をかき分けながら先へ進んでいく。勇はこんな道を歩くのは初めての経験だ。それでも、これ以上情けないところは見せられないと必死についていった。

 そこから更に15分ほど進んだところで、マルタンの足がぴたりと止まる。急に止まったものだから、勇はマルタンのふかふかのお尻に膝をぶつけてしまった。

「ああっ、ごめんマルタン!」

「いえ、……」

 急に止まったわたしが悪いので、と言い、それきりマルタンは黙ってしまう。

「どうしたの?」

「前を、見てください」

 言われたとおりにマルタンが見ている方を確認すると、そこには枯れ果てた草木があった。

「……え……」

「なんだよこれ……」

 後方にいたアドラも、言葉を失う。クラウスだけが興奮気味に「ほう!」なんて言っていた。勇たちが立っている地点は、うんざりするほど緑の深い森になっている。が、マルタンの視線の先に広がっているのは、見るも無残に枯れた土地。たたずむ木は、人骨のように白くカサカサになっており、水分を失って散らばっている草は灰のような色をしている。

「祠って……あれ?」

 巨大な岩をくりぬいたような物が、そこにはあった。その前には、何かを象った大岩が鎮座している。そこを中心に、放射状に枯れ地が広がっていた。

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