「あれ……?」
アドラは、村がみえてくるといち早く異変に気付いた。しんと静まり返っていたはずの村が、なにやら人の動きがあるように感じる。
「何か見えるの? アドラ」
視力があまりよくないマルタンに問われて、アドラは小走りで先へ行く。
「ん……多分だけど、誰か来てる」
「もしかして」
「ああ、だろうな」
荷車を引いていたクラウスと、押していた勇は歩く速度を上げた。村が近づくほどに、喧騒が明らかになってくる。
「勇者様! こちらへも食料をお願いします!」
「勇者様!」
先ほどまでは家にこもっていた村人たちが外に出て、訪れた勇者たちへ支援を乞うているのがみえた。口々に勇者様と叫ぶ村人たち。こちらには気づいていないのだろう。わあわあと騒ぐ大人たちの間から、子供がこちらを指さした。
「あっ、あっちにも樽を持ってるおにーちゃんいるよ!」
大人たちが一斉にこちらを向く。
「水か! ありがたい……!」
数人が勇者たちの物資隊を離れてこちらに駆け寄ってきて、頭を下げた。
「村の者だけだとどうしても水汲みが間に合わなくて……助かりました! あなた方は」
勇者様のお連れ様でしょうか、と問う村人に、クラウスは首を横に振る。
「いいえ、わたくしどもは別動隊です。ですが、皆さまのお力になれればと思い、村長に申し出てこのように水を調達してまいりました」
白髪交じりの男がありがとうありがとうと何度も礼を言う。クラウスが引いていた荷車の上の大樽から、各家庭に水を配ろうと列を形成したその時だった。
「やあ」
「あ、どうも……」
挨拶をしようとした勇を遮るように、顔を近づけてきた男。
「どこから嗅ぎつけたんだか……僕たちの活動に便乗してちやほやされようって算段かい?」
周りの村人に聞かれないよう、勇に耳打ちしてきたのはユウタだった。
「ッ……」
思わず勇は顔をしかめる。そんなつもりではないのに。きっかけはグラナードの依頼ではあったが、困っている人がいるのなら力になりたいという気持ちに偽りはなかった。それが『ちやほやされようとしている』だなんて、失礼にもほどがある。勇は反論しようと顔を上げた。が、そこには既にアドラが立っていた。
「おうおう、勇者さんよ。村人たちのために深ぁい御慈悲をお恵みになるってのに、こんな駆け出しの冒険者に何の御用で? え? まさか嫌味を言いに来ただけって?」
マルタンはやめなよとアドラの腕を引っ張る。アドラとマルタンは普通の人間に比べると耳が良いので、ユウタが言ったこともしっかりと聞こえていたようだ。
「っ……へえ、田舎者君の連れは田舎者に相応しく荒っぽい子なんだね」
「ハ、配給の手伝いもしないで他人に嫌味言いに来るやつよかマシだね」
アドラは、せっせと物資を配る勇者の仲間たちを顎で指すと、さっさと仕事に戻れば? と付け足して自分も整列する村人の方へ向かった。ユウタは苦虫をかみつぶしたような顔でアドラを睨んでいる。
(この人、すごく子供なのかも……)
マルタンはユウタの様子を見て、少し心配になった。
「イサミさん、大丈夫?」
嫌なこと言われたね。とマルタンは勇の顔を見上げる。
「うん、大丈夫。アドラが代わりに言ってくれたしね」
小さく笑う勇に、マルタンも笑みを返した。
一通りの配給を終え、四人は村長が手配してくれた宿へ向かった。一度話をまとめるために四人はマルタンの部屋に集まる。勇者一行は、村長の屋敷の客間に泊まるようで、同じ建物に寝泊まりするという状況は回避できた。
「明日は少し早めに出た方がいいかな?」
マルタンは配給でもらったパンをかじりながら窓の外をみる。村に明かりはついていないが、月明りで道が白く照らされていた。
「そうだね、変化の効き目も何時までもつかわからないし念のため」
「それじゃ、今日は早めに寝ましょうか」
クラウスは手元にある本を閉じるとそういった。
「……村長さんから借りた歴史書?」
「ええ、本当は持ち出し禁止だそうですが、水汲みのお礼にと」
クラウスの表情を見て、マルタンは察する。
「手がかり、なかったんですよね?」
「ああ。村長の屋敷にある歴史書はこれ一冊。王都にあるものと同じで間違いないね」
このほかにないのか、と聞いたが、王都からの使者が新しい歴史書と交換する形で持って行ってしまったのだという。古い歴史書は破棄して、年ごとに新しいものに変えていくのが常となっているということがわかっただけでも収穫と思った方がいいのかもしれないとため息をついて、クラウスは隣の部屋へ戻るためにドアノブに手をかけた。
「一体何年この体制を続けているのかはわかりませんが、やはり意図的に過去のことを隠そうとしているというので間違いなさそうですね」
クラウスと勇が部屋を出ると、マルタンはランプの灯を落とす。布団に潜り込んで目を閉じると、外から虫の鳴き声が聞こえていた。
「……?」
むくり。
布団から上体を起こす。人間の姿をとっていても、悪い視力とよく聞こえる耳、よく利く鼻は変わらない。マルタンは同行者である三人からする音とは明らかに異質な音を窓の外から聞いた。そっと窓の下をのぞき込むと、そこには黒い人影が見える。
(……遠くてわかりにくいな)
こちらの気配に気づいたのか、人影はマルタンの方を見上げた。零れ落ちそうな黒い瞳でマルタンを捉えると、人影はびくりと肩を揺らしてその場を走り去ろうとする。
「待って!」
マルタンは咄嗟に声をかけていた。人影はぴたりと立ち止まり、振り返る。
「……」
「今、そっちに行くから……」
マルタンは部屋にあった備え付けのロングカーディガンをパジャマの上に羽織ると、急いで階下へ駆け出した。
「……あの」
初めて人影が声を発する。なんとなく思っていた通りだ。マルタンの察した通り、彼女だった。――ソレイユ。
「えっと、ソレイユさんですよね、マルは、マルって言います」
マルタンは本名を名乗るべきか悩んで、嘘にならない範囲のアドラからの愛称を名乗った。ソレイユは「マルさん」と復唱する。
「あの……先ほどは勇者様が……失礼を」
おろおろと視線をさ迷わせながら言うソレイユにマルタンは、いえいえ! と返す。ソレイユさんが悪いわけじゃないですしというと、ソレイユはおずおずと顔を上げる。
「ソレイユさんはどうしてこんな真夜中にお外に?」
一人歩きは危険ですよ、とマルタンが言うと、ソレイユはすんっ、と鼻を鳴らした。
「あ……」
マルタンは、察する。勇に耳打ちした言葉が、どうしてこの子には届いていたのか。なぜ、かたくなに黒いフードを脱がないのか……。
「お心遣い、痛み入ります……。えと」
お伝えしたいことがございます、とソレイユは声を潜めてそういった。
「うん?」
「この異常気象の原因は、きっと私です……」
「え?」
ソレイユは胸元で両手をぎゅうと握って、小さく震えていた。
「……北の祠で、力を行使しました。それからです……」
村長の言っていたことと重なる。勇者一行が祠のモンスターを討伐して、帰ってきてそれから……。
「村長さんから少し聞きました。北の祠で何があったか聞いても……」
ソレイユはローブの袂から魔法陣が描かれた小さな呪符を取り出し、マルタンの手にそっと握らせて震える声で続けた。
「お願いします……これを、祠の前にある岩に貼り付けてください。行けばわかります」
その時、ソレイユの名を呼ぶ男の声が聞こえた。
「探しに来たみたい……マルさん、戻って……」
ぺこ、と頭を下げると、ソレイユは声の方へ走っていった。会話が聞こえる。
「どこに行っていたんだソレイユ」
不機嫌そうな男の声、ユウタだ。
「あの……薬草を、摘みに」
「こんな夜中にか」
「はい……」
「いいか、お前は僕の所有物だ。勝手な行動はするな」
「ひっ、いた……っ」
ソレイユの小さな悲鳴に、マルタンは駆け付けたくなったが思いとどまる。ここで自分が出ていけば、隠れて接触していたことが知れてしまう。それはソレイユが更に痛めつけられてしまう未来を生むだけだ。――今出ていくのは、得策ではない。宿の影から二人の様子を見る。そのあとは特に何もなく、二人が村長の屋敷へ向かっていくのが見えただけだった。
(所有物……?)
人に対してなんてひどいことをいうんだろうと眉を顰めて、マルタンは部屋へ戻った。
翌朝、起き渋るアドラをたたき起こして、一行はまだ空がうす暗いうちに宿を出た。夜中に起きたことを説明しながら、マルタンは呪符を三人に見せる。
「これは……解呪の紋ですね」
クラウスが歩きながら眼鏡を鼻先にずらし、マルタンの手の上にある呪符を見つめてそういった。
「岩にこれを貼れってことは」
「何かの封印を解けという事でしょうね」
「信じて大丈夫か?」
学校に火を放った奴だぜ、というアドラ。マルタンが何か言おうとした時だった。
「マルタン避けて!」
後方にいた勇が叫ぶ。唐突なことで動けなかったマルタンに覆いかぶさるように、勇は飛び込んだ。
蛇。
真横の茂みから一匹の大きな蛇が、勢いよくこちらへ飛び掛ってきていた。
「マルタン! 勇!」
大きく口を開いて、蛇が今まさに噛みつかんとしたその時だ。パシン! と音を立てて、蛇が勇たちと反対方向へ飛ばされていったのだ。
「……え」
逆方向から、次はアドラに向かって蛇が飛んでくる。また、パシ! と音と火花をたて、蛇が弾かれていった。
「今の……」
抱きしめたマルタンを見ると、ふくれっ面をしている。
「ぷぁ。この姿でもできてよかった!」
ほんとはね、頬袋を膨らませる技なんです。と続け、マルタンは再度鎌首をもたげる蛇を見据える。
「マルタンが助けてくれたの……ありがとう」
「イサミさん、お礼は後です!」
来ます! マルタンがそういうが早いか、大蛇が1匹、2匹、3匹、と襲い掛かってくる。アドラは腰に下げていた手斧を取ると、自分に飛び掛ってきた一体を殴りつける。クラウスは杖でいなすようにして躱すと、地に落ちた蛇の頭をブーツのヒールで踏みつけた。勇は震える手でバッグから取り出したナイフを構え、飛んでくる蛇を見据える。
(自分にも、何かできることは……力を……、力を!)