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第1話

「……暑いね」

 エニレヨの村と思しきものがみえてきた頃、マルタンは汗をぬぐいながらそう言った。時計は午後二時。確かに気温が高くなる時刻ではあるが、明らかに秋の気温ではない。異常気象どころの騒ぎではないこの暑さは、絹の体毛を持つマルタンには厳しすぎるだろう。

「もう少しで着きますが……いや確かに暑いな」

 クラウスも額の汗をぬぐい、ため息をひとつ。太陽が、というか、何かおかしい。日陰を選んで歩いても、暑い。一行は建物の中に入ることを求めて、自然と早歩きになっていった。


 村の入口にたどり着いたのはそれから一時間くらいが経過してだった。マルタンは、自分の毛皮の暑さに耐えきれないと弱音を口にする。村に入るにはこのままでは支障があるし、人間に化ければ幾分かはマシかもしれないとクラウスから薬を受け取った。クラウス曰く『試作メタモルポーション』である。見た目こそ悪いが、背に腹は代えられぬとマルタンはそれを一気に飲み干した。

「おお良い飲みっぷり」

 呑気に手なんか叩いているクラウスだったが、前日と同じく、マルタンの身体が光を放つ。

「マル? 大丈夫なんだな!?」

 心配するアドラに、マルタンは光の中で間延びした声で「だいじょぶだよ~」と答える。一層光が強くなった直後、マルタンは朝と同じ娘の姿に変わっていた。

「味は大丈夫だった?」

 すごい色だったけど、と勇に問われて、マルタンはえへらと笑う。

「それがねえ、本物のメタモルポーションよりわたしは好きかも」

「え!?」

「なんかねえ、鳥のレバーペーストみたいな味がしてね……」

 それは飲み物としてありなのかと勇は首を傾げ、そしてハッとする。そうだ、ハムスターの滋養強壮用の餌ってそんなのが多かった。たんぱく質を補給させるため、チキン系のおやつがあった。昔飼っていたハムスターを思い出し、懐かしい気持ちになっていると、得意げな顔をしたクラウスがそうでしょうそうでしょうと胸を逸らしているのが目に入った。

「クラウスさん、ありがとう。これで村に入れるね」

 あと、おいしいからまた作ってほしいなんてマルタンは口元をむにゅむにゅやっている。

「材料さえ見つかればお安い御用ですよ。まだ数本ストックはありますから、変化が解けたらまた服用してくださいね」

 まだ試作だから有効時間が定かではないが、本来のメタモルポーションに匹敵する長さに調整しているつもりです、というクラウスに、マルタンは手をぐーぱーと握って開いて答えた。

「変化してみた感覚は正規のポーションと変わらないですけど時間ばかりはわからないですもんね、慎重に行きましょう」

 では、とエニレヨの村の入口のアーチをくぐる。が、人がいない。妙な雰囲気だった。とりあえず今日の宿を探そうと、四人は村の中を歩き回ることにしたが、干上がった池、枯れた草花が目に付いてしまう。グラナードが言っていたことはこれか、と勇は唾を飲み込んだ。この村に本当に人がいるのだろうか。しんと静まり返る生気のない村の、一番大きな建物の扉についたベルを鳴らしてみる。

「どちらさんかね」

 大きな扉が開いて、やつれた様子の男が顔を見せた。

「あの、王都からこの村の様子を見るようにと言われて来ました」

 マルタンがぺこりと頭を下げる。

「王都……物資の援助かね!? ああ、ありがたい……」

 すがるような目で言う男に、マルタンは慌てて否定する。

「ごめんなさい、違うんです、私たちは何も持っていなくて……」

 一瞬輝いた男の目が絶望に沈んだ。マルタンはその顔を見て、申し訳ない気持ちになってくる。ぬか喜びさせてしまったと悲し気に眉を寄せるマルタンの後ろで、クラウスがすかさずフォローに回った。

「すみません、僕たちはいわば先発隊で……後発隊がすぐに来ます、そちらが輸送隊なんです」

 村の状況をお聞かせ願えますか、と問うクラウスに、男は屋敷内へ招いてくれた。話を聞けば、彼がこの村の長なのだそうだ。名を、オズウィンと言った。見ず知らずの冒険者であるマルタンたちをすんなり家に入れてくれたのは、勇の討伐者バッジがあったからだろう。応接間のソファに腰かけると、村長はぽつりぽつりと語り始めた。二週間ほど前のこと、勇者一行がこの街を訪れたという。彼らの目的は、村の北にある祠の調査だった。

「なんだってあんな古びた祠を調査するのかと思ったんだがね」

 村長の認識では、祠は岩でできた小規模なもので、いつからあるのかも誰が建てたのかもわからないものだった。村長の曽祖父が幼いころは村でとれた作物を奉納する祭りがあったというが、現在はそれも行われていない。野生動物や魔物が現れる可能性があるからと、鬱蒼とした森の奥にある祠に好んで近づこうというものはいないのだそうだ。

「調査の結果、モンスターが棲みついていた、とそういうことですか?」

「ああ、聞いていたんだね」

 クラウスが確認すると、村長は頷く。

「まさかあんなところにモンスターがいるなんて思わなかったんだがね……見つけて退治してくれてよかったよ」

 マルタンは話を聞きながらどうも腑に落ちないと感じた。――いるとは思わなかった? それなら、モンスターによる実害がなかったという事だろう。なのに、何故退治する必要があった? すべては『魔族は人間に害為すもの』という偏見からくるものだろう。

「……」

「早期に解決できてよかったですねえ、しかし、最近は異常気象に悩まされている、とか?」

 クラウスがマルタンの様子を気取られぬよう、話を振る。村長は、そうなんだよ、と消沈した様子で言って、ため息をついた。

「勇者様方がこの村を離れてすぐ、豪雨が続いてね。その一週間後は異常な日照りだ。畑はすべてダメになってしまった。もうすぐ麦の収穫だったというのに……」

 王都のほうはどうなんだね? と尋ねる村長。まったく異常がないことを伝えると、目を丸くして、この村だけがおかしいという事かと詰め寄る。

「そうでしょうね。この村の徒歩圏内に入ってから、異常な暑さを感じました」

 王都は例年と変わらない、過ごしやすい気候ですよ、というクラウスに、村長はどうして……とか細く呟いたまま何も言えなくなった。クラウスは三人に目配せをする。なんとなく意図を察して、マルタンは頷いた。このまま会話の主導権をクラウスに委ねよう、と。

「僕たちにはわかりかねますが、原因究明より先に、現状の打開ですね。お水は足りていますか?」

「個々人の非常用のものはわからんが、貯水池も井戸もだめだ。今は村の若いもんが東へしばらく行ったところの湧水を汲んできてそれでなんとか……」

 なるほど、と頷き、クラウスは交渉を持ちかける。

「……僕たちも水を汲みに行きましょう。それで……その、一晩の宿を都合してはくれませんか」

 本当か、と村長が顔を上げた。クラウスはにこやかに頷く。四人で行けば少しはお役に立てましょう、とアドラの方を見ると、アドラも「任せな」と村長を安心させるように微笑んでやった。助けてくれるのならば宿なんていくらでも、と言い、村長は村唯一の宿の部屋を二つ、押えてくれた。

「すみませんねえ、僕たちは駆け出しの冒険者なもので、先立つものがなくて。助かります」


 それから四人は村長から荷車と樽、地図を受け取り、村の東にある取水地へと赴いた。

「祠の調査をするって話はしなくてよかったのか?」

 アドラに問われてクラウスは頷く。

「ええ。せっかく『勇者様』が討伐してくださった地へわざわざ行くなんて言うと、勇者信仰の人たちには心証が悪いでしょうからね」

「なるほど、黙って行った方がいいか」

 取水地までは歩いて一時間程度。たどり着いた場所では、岩の裂け目からあふれた水が、樋を伝って流れていた。樽に溜めるには時間がかかるが、致し方ない。四人は岩場に腰かけて、待つことにした。

「祠と異常気象、因果関係がありそうだね」

 勇は自分用に汲んだ水を飲みながら、切り出す。

「まあ、何がどうなってこんなことになってんのかはわかんねーけどな」

 アドラは汲んだ水をばしゃりと頭から被って、大きく息を吐いた。とりあえず、言ってみないことにはわからないよな、と続けると、マルタンが鼻についてしまった水を拭いながら頷いた。

「明日、また朝早くでてみよっか。村の人は普通近づかないっていうのが好都合だったかもね」

「今日はしっかりと村長や村人に媚びを売ッ……ン! 信頼を勝ち取れるような働きをして、怪しまれないように行きましょう」

 クラウスの少々まずい発言を聞かなかったことにして、三人は声をそろえ「うん」と答えた。積んできた四つの樽に水がたまると、四人は荷車にそれを載せて引いて村長たちが首を長くして待っているであろう村へ戻る。夕日が、四人の影を長く伸ばしていた。

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