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第6話

「別に僕が出してもよかったんですけど……」

 クラウスはそういうが、アドラが固辞したため、銀貨は勇が受け取ってきた軍資金から出した。通された部屋はベッドが四つ、小さな円形のテーブルが一つに椅子が二脚。シンプルだが、清潔感がある客室だった。アドラはベッドに浅く腰掛けると、クラウスにテーブルの方を勧める。クラウスが椅子を引いて腰かけると、あとの二人もベッドに座った。

「さて、何から話したものかな」

「まずおめーの正体からだろ」

「うん、正論ですね」

 クラウスは、ゆるりと右手を前に伸ばした。すると、黒いネイルを施してあった彼の指先がぬるり、とぬめり出したのだ。

「え……」

 五本の指が、四本のタコの触手に変わる。うねうねとすべての触手をばらばらに動かし、クラウスは「タコです」と見ればわかることを言った。

「タコヒモ」

「あ、そゆこと……」

「正確には、クラーケ種。僕はオオダコの魔物の一族なんです。王都に溶け込むため、普段はずっと人間に化けていますけどね」

 在学中も変化を習得してからはずっとその姿だったろ、とアドラに言われて、彼は困ったように眉を寄せる。

「だって……本当の姿は陸だと動きづらいし、女性ウケが悪くて……」

「おい、最後本音でてんぞ」

 はは、と笑いながらクラウスは触手を人間の手に戻していく。

「こっちの姿の方がいろいろと好都合なんですよ、陸地では特に」

「やっぱり変化って便利なんだなあ」

 マルタンが感心すると、クラウスはおや、と首を傾げる。

「君は本来の姿はなんなんです?」

 自分の魔力で変化しているというわけではない? とクラウスはマルタンの姿をしげしげと見つめた。

「そうなんです、私はポーションを使って……」

「ほう! 変化に特化したポーションが存在するんですね!」

 メディックからの好奇心なのか、クラウスは瞳を輝かせる。

「いったいどんな……ああ、もう薬は残っていませんか!?」

 興奮気味にマルタンに詰め寄るクラウス。マルタンは面食らってしまっている。代わりに、勇がバッグの中から捨てそびれたメタモルポーションの小瓶を取り出してクラウスに渡した。

「もう中身は飲んでしまったんですが、メタモルポーションという薬があって……」

 効能を説明すると、クラウスは目をらんらんとさせて小瓶を受け取り、キャップを外す。

「いただけるのですか!? ふむ、この香りは……? どこかで……」

「おーい、つまみだしてもいいか」

 アドラがあきれた声を出す。何しに来たんだおめえはよ、と付け足すと、ハッとしてクラウスが三人に向き直った。

「僕がこの都にいる理由をお話ししたい、と思いまして」

「うん、卒業後人間の住む町に潜伏する魔族もいるとは聞いたことあるけど、危険は多くないんですか?」

 マルタンがそう尋ねると、クラウスは小瓶を掲げる。

「このとおりね、僕はメディックとして働いて、街の人たちに薬を買ってもらっている。軽い風邪くらいなら簡単に治してあげられるしね。クラウス先生なんて呼ばれていますよ。……それがオオダコの化け物なんて、思いもしないでしょうね」

 にたり、と笑うクラウスの瞳孔が、タコの特徴である横一文字に変わる。それだけで、一気に人外である雰囲気が増した。

「好感を持ってもらえるよう立ち回れば、まあ造作もないことです」

「この詐欺師」

「薬は本物なので問題ないでしょう?」

 それで、目的というのが、とクラウスは切り出した。この街に定着したのは、この春の終わり頃からだそうだ。クラウスが学校を卒業したのが、冬の月――ケイモン90日、卒業式のその日に旅立ち、変化したまま近隣の村を放浪し、どの村でも頻繁に魔物の襲撃があるという事実を知り、身の安全を確保するためにもっとも警備が手厚い王都を訪れたのだという。

「人間も愚かですよねえ、城門でなんでステータスカードを検めないのかなあ……ま、やろうと思えば偽装もできますけど」

 クラウスは、王都へ入る際のセキュリティに欠陥があったおかげで助かった、なんて笑っている。確かに、マルタンたちもそれに救われたのはあるが……。

「そんなこんなで半年近くこの街で暮らしていて、あることに気づいたんですよ」

「あること?」

 マルタンが聞き返すと、クラウスは一冊の本を自分のバッグから取り出した。

「僕はね、薬学ももちろん続けていますが、ここへ来てから歴史学にも興味を持ちました」

 ひょっとして、とマルタンは身を乗り出す。

「おや、マルタンさんはお察しですか? そう、魔族と人間とでは描かれる歴史が違うだろう、と仮定して読み始めたんですが……まあ……」

 歴史書の目次だけでも見てみてください、とクラウスは本をマルタンに手渡す。人間と魔族の文字が共通だったのが救いである。マルタンは、言われたとおりに目次に目を通した。

「……A歴……955年、小国カルテリア併合、アロガンツィア国の領土拡大……」

「そう、これは僕たちが知る歴史とも合致します」

 アロガンツィア国は、王都アロガンツィアを中心とした王国で、いくつかの村や町、集落から成り立っている。今でこそ広大な領地を持つアロガンツィアだが、1000年も前の歴史にさかのぼると、小国であったことが窺えた。

「……A歴20年あたりから、少しずつ領土を拡大している……」

 マルタンが見出しだけで確認を進めている様子を、クラウスはうんうんと頷きながら眺めている。

「短時間で概要を浚うのに適した読み方ですね、マルタンさんはきっと優秀な生徒さんなのでしょうね」

「本を読むのは好きなので……って、ん……?」

 目次からページを確認してパラパラとめくる程度に歴史書を見ていたマルタンが、ぴたりと手を止めた。そして、本文の一番初めに戻る。

「……」

「お気づきですか、やはり聡いですね」

「クラウスさんが言いたいことと合っているかはわかりませんが……」

 マルタンが本から顔を上げる。

「……A歴1年、魔王の封印によりこの地に安寧がもたらされる、アロガンツィア一世、アロガンツィア二世に譲位、魔王を封印せしアロガンツィアの勇者及びアロガンツィア一世の功績に、周囲の小国、国に属さない集落が加盟を望み、連盟に……」

 はぁ!? とアドラが声を上げる。クラウスがあはは、と笑った。

「そう、おかしいですよね、僕たちからしたらおかしくてしかたない」

 この部分は、ゲームのプレイヤーであった勇も知らない。歴史書に触れるのは初めての事だった。マルタンは急いで最後のページまでめくると、震える声で読みあげる。

「……A歴1000年、封印されし魔王が突如として復活、アロガンツィア二十五世、魔王軍より国を守るために討伐者を募る……」

 勇は、声を震わせているマルタンの背をそっと撫でた。そして、クラウスに伝える。

「この表記、俺が見たものと同じです」

「つまり?」

 クラウスに促され、勇はこの世界は自分がプレイしたオンラインRPG『救世の光』と酷似している……否、そのものであると説明する。

「ほう! そんなことが起こるものなんだね、うんうん……?」

 先ほど渡したメタモルポーションの空き瓶も、課金アイテムだから魔族の間では流通していないし、ざっと街を見た感じも売っていなかったので、闇取引などで流通しているのか、もしくは、このゲームの物語の『中』に存在しているものではなく、勇のいた現代日本の『プレイヤー』しか手にできなかった物かもしれないと伝えると、クラウスはなるほどねえと頷き、「まあ、調べれば主成分がわかるだろうから僕なら作れるかもしれないがね」と笑った。

 マルタンは、そのページを読み終えて呼吸を整えると、目に一杯涙をためて訴える。

「うそ! ウソばっかりです、こんな、こんなの酷い!」

 マルタンが見たページには、勇が言っていたような極悪非道の魔王像、魔物たちの数々の悪行、滅んだ村の被害、死んだ英雄についてかなりの件数が記載されていた。――たったの一年やそこらの間のことなのに。アドラは取り乱すマルタンの手を、そっと握る。

「そう、真っ赤なウソさ。現在についてのウソもそう。……そして、過去についても気づくことはないかい」

 歴史書の嘘に憤りを隠せないマルタンだったが、それでいてしっかりと内容を理解していた。クラウスの問いに、次は力のこもった瞳で答える。

「A歴1年よりも前の記載は、どこですか」

 クラウスは大きくうなずいた。

「そう! ないのだよ、それよりも前の記述が一切ない!」

 王国側が語りたいと思っている時代以前のことを記載することで、なにか不都合でもあるのではないかと疑ってしまうよね、とクラウスは笑う。

「それより過去の歴史書は?」

 この歴史書が刊行されたのは昨年の冬の終わり、もっと古い歴史書もあるはずだとマルタンはいう。クラウスは笑いながら「そのはずだよねぇ」と答え、次の瞬間には真顔になっていた。

「……見つけられないんだよ、それも」

 古書堂をあさったり、図書館を見たり、この街の老人に話を聞いたり、いろいろ探ってみたが、誰もA歴1年よりも前のことを知る者がいなかった。あるいは――。

「知らないのではなく、口封じされているのかもしれないがね」

 年寄りであれば、過去の歴史書を読んだことがあって、その中の記述を覚えている可能性も無きにしも非ずと思い、薬を買い求めに来る高齢と思われる客に尋ねてみたことがあるが、一人は「知らない」、もう一人は「覚えていない」と言っていたのだそうだ。

「人間は長くても寿命は100年くらい……じゃあ、そのお年寄りを70歳くらいって仮定すると、50~60年くらい前の歴史書ならそれより前の記述があるかもしれないですね」

「僕もそう思っていたんだよ。ただ、この国にそれは存在しない。忽然と姿を消したかのようにね。いったいいつからやっていたのかは知れないが」

 勇がぽつりとつぶやいた。

「焚書……」

「そう! 僕もそう睨んでいる」

 国にとって不都合な記載がある本は、全て焼き、口封じに失敗したものはすべて殺す。

「気づかんかね? この街にはお年寄りが少ないんだよ」

 出ていったか、殺されたかじゃないかね? とクラウスは声を潜めた。

「なんでそんなこと……」

 アドラが歯噛みする。クラウスは簡単なこと、と返した。

「勇者の伝説を輝かしく彩り、――魔族を排除するためだろう」

 ぎらり、とクラウスの瞳の奥が光った。勇は一瞬気圧されたが、彼の次の言葉を待つためにその視線を恐ろしい金の瞳に合わせた。

「やり方がいささか雑で幼稚だとは思うがね。すべて消せば、こうやって怪しむ者がでるだろうに。書き換えるとかすれば若い世代にはまだごまかしが効きそうなものだが……焦っていたのかねえ……」

 向こうさんの気持ちなんてどうでもいいがね、とクラウスは繋げ、アドラと目を合わせる。

「アドラ、君ならA歴1年、すなわち現在より1000年以上前の魔族史はある程度知っているね?」

「あたしよりマルタンの方が真面目に勉強してたと思うけど」

「承知の上さ」

「失礼だな」

「その、多少不真面目だった君でさえ、知っているといいたいんだよ」

「……魔王様は封印なんてされたことは」

 ――ない。二人の声が重なった。

「現魔王は何年前に即位なさったかわかるかい?」

「少なくとも2000年前には」

「そうだね、正解だ。現魔王様が割と、てきと……んっん、おおらかな性格でいらっしゃるがゆえに、魔族の歴史書を作る際に側近が苦労なさったという話もよく聞くが、長命な種族からの情報を照らし合わせると大体2010年前ごろから現魔王様の治世になったというのが定説」

 この事実と、人間側の主張する歴史の相違についてどう考える? と、クラウスはまたマルタンを見た。

「なぜ、魔王様が一度封印されたとされているのか……イサミさん、昨日話していた仮定と、繋がるね」

「うん」

「……今、このA歴1000年以降に魔族を大量に殺すための『正当な理由をつけるため』、わたしはそう考えます」

 それ以前から魔王は確実に存在していた。しかし、人間に危害を加えずに過ごしていた。稀に暴走した魔族が人を襲うケースはあった、とマルタンも認めているが、それでも一斉に魔族を討伐する正当な理由にはならない。人間同士だって、稀に、いや、頻繁に殺しあっているのだから。王国が、中立派を丸め込んで魔族に非があるとして攻撃する理由付けのため、A歴1000年を魔王が復活した年とすれば、復活した魔王に呼応して魔族が立ち上がり、人間を滅ぼそうと企んでいる、と嘯けば――今までよりもたくさんの兵士を募り、堂々と且つ大量に魔族を討伐できる。

「何が目的でそんな……」

 アドラが呟く。さあね、とクラウスは肩を竦めた。

「そんなことは僕はわからないし、正直理由なんてどうでもいい。一つ言えるのは、同胞が殺されていくのを黙ってみているのは……ねえ?」

 そして、ちらと勇に視線を移した。

「イサミくんは、転生者とはいえ人間だ。そういえば、なぜマルタンさんやアドラと行動を共にしていたのか聞いても良いかね?」

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