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第4話

 場所は例の衛兵が教えてくれた酒場。陽が傾きかけた頃からのんびりと滞在しているマルタンとアドラは、すっかり店主と仲良くなっていた。

「そっか、お連れさんを待ってるんだね、うちはこの通りそんなに客の回転が良いわけじゃないからね、ゆっくりしておゆき」

 恰幅のいい女将は饅頭みたいなまあるい顔を綻ばせて二人にサービスのチーズを出してくれる。

「あら、良いんですか」

 マルタンは遠慮がちに女将の顔を見上げた。

「お嬢さんたち観光客だろう? 旅のいい思い出にしとくれよ」

「ありがとう」

 小皿を受け取り、アドラは女将に頭を下げる。

「それじゃごゆっくりね、あたしは仕込みに戻るから追加注文があれば言っとくれ」

「はーい」

 女将のいう通り、ここは客の出入りが激しいとはいえない。隅の席にマルタンたちが来るより前からいるグループ客がひとつ、ずっと本を読んでいる青年が一人、先ほど入ってきてコーヒーを飲んでいる女性が一人、といった具合だ。青年と女性は常連客のようで、いつもの、で女性従業員がドリンクを運んできていた。

「このくらいまったりした店ちょうどいいね」

 マルタンがミネラルウォーターを飲みながらそういうと、アドラは「だな」と言いかけて、いや、と否定した。

「居心地は良いんだが、情報収集にはちょっとなぁ……」

 酒場つったら情報収集が定石だろ? というアドラ。マルタンはそうだねえ、と唸る。その時だった。

「ういー、邪魔するよぉ~!」

 カランカラン、とドアベルの音が鳴り、入ってきたのは赤ら顔の男二人組。

(げ、昼から吞んでたのかよこいつら)

 アドラは顔をしかめる。マルタンも、鼻がよく利くがゆえに刺さるアルコール臭に顔面をしわしわにした。

「マルタン、大丈夫か?」

「ぅぷ……だいじょぶ」

 二人組はマルタンたちが座るカウンター席の隣にどっかと腰かけ、叫ぶ。

「なんでもいーや! 酒くれ!」

 女性従業員は少し困惑した様子でメニュー表を差し出し、男二人に問う。

「当店のお酒は今だと葡萄酒、麦酒しかないのですがどちらになさいますか?」

「んえ? どっちでもいいよおねーちゃんの好きな方で……」

「でしたら、麦酒をお持ちしますね」

 水をカウンターに二つおいて従業員がキッチンへ下がろうとすると、男の長髪の方が従業員を呼び止めた。

「はい?」

「よく見たらおねーちゃん可愛いねえ! どう、俺たちと飲まない?」

 マルタンは酒臭さと男たちの態度の悪さに不快感を隠せず、くつ……と歯を鳴らしかけてはっとする。まずいまずい、今は人間の姿なんだった。

「お客様、困ります。ここはそういうお店ではないので」

 ぴしゃりと言い放ち、従業員はぺこりと頭を下げて奥へ引っ込もうとした、が。

「冷たいこというなよ~いいじゃんちょっとくらい!」

 坊主頭の方の男が、従業員の腕を掴んだ。

「……」

 アドラはしっかりとそれを横目で見ている。つまんでいたチーズを飲み込むと、グラスをカウンターにドンと置いて立ち上がった。

「おい、うるせえぞ。不愉快だ」

 座っている男二人に対してなので、自然と見下ろす形になる。男は一瞬ひるんで、手の力を弱めた。その隙に従業員はキッチンへと走る。

「んだよ、いいとこだったのによ」

「どこが良いとこだよ。袖にされてんじゃねえかよ」

 ふん、と吐き捨てるように言ってアドラは坊主頭を睨みつけた。

「っんだと!」

 アドラの態度に男は赤い顔をさらに赤くして立ち上がる。

「ちょっと、アドラ」

 マルタンが慌てて制止する。と、長髪の男が次はマルタンに目を付けた。

「へーえ、大女ちゃんの連れ、めっちゃ可愛いじゃん。どこ住み? 魔法やってる?」

「へ? あの、え?」

 戸惑うマルタンに、アドラは下がってろと一言だけ言って次は長髪の男が伸ばしかけた手を捻り上げた。

「いててててててて! なにすんだよこの馬鹿力!」

「見境なしかよ、てめーらは! 一旦水飲んで酔い覚ませ!」

「おい、女だからって反撃されないと思って調子にのってんじゃねえぞ」

「あ? 反撃だ? するならしろよ。こっちだって殴られる覚悟無しでやってんじゃねんだよ」

 様子を見ていたマルタンがいよいよ仲裁に入ろうとする。

「だめだよアドラ!」

「わーってら、本気でやんねーよ」

 バキバキ、と指を鳴らし、アドラは男たちに凄む。

(もう、喧嘩っ早いんだから……!)

 こうなると小さなマルタンではアドラを止めに入れない。困ったなと視線をさ迷わせていると、隅の席の男が立ち上がった。すらりとした長身が際立つ。サイドリムの銀の眼鏡をくい、と人差し指で上げながら、アドラと男の間に割って入った男は芝居がかった声で言った。

「やあ、今どき見ないタイプの喧嘩ですねぇ~。珍しい、まるで昔のお芝居のようだ」

「なんだお前!」

 すっかり頭に血が上ってしまっている長髪の男が、眼鏡の男に背後から殴りかかろうとする。

「おや」

 パシン、と音を立て、後ろを見ないままその拳を眼鏡の男は手のひらで受け止めた。

「ずいぶんなご挨拶ですね」

「なっ、あっ、ひぃい」

 死角から殴りかかったはずなのに、いとも簡単に拳を受け止められ、あまつさえそれを握りこまれてとんでもない握力でぎりぎりと締め上げられた男は情けない悲鳴を上げる。

「人の名前を尋ねるときは自分からでしょう、幼稚舎で習いませんでしたか」

「は、はぁ!?」

「仕方ないですね~……。僕はクラウス。しがないメディックですよ。ね、アドラさん」

 え、とアドラはクラウスの顔をのぞき込む。

「あ、あー!!」

 アドラが大声を上げたのとほぼ同時に、酔っ払い二人はクラウスを相手にするとまずい奴と認め「覚えてやがれ」とお決まりの捨て台詞を吐いて走って店から出ていった。どたどたという足音と、ドアベルの音に従業員が走ってくる。

「あ、あの、ありがとうございます」

「迷惑なお客さんは困りますものねえ」

「お姉さんも、ありがとうございました」

 クラウスに頭を下げた後に、従業員はアドラにも頭を下げる。

「へ? いや逆に騒いで悪かった……えと、申し訳ない」

 アドラも頭を下げる。ほんとだよもう、とマルタンは席に戻り、ほうっと息を吐いてチーズを一口かじった。

「ひやひやはしましたけど、でも、怒ってくれてちょっと嬉しかったんです」

「うん? あたしはあたしが不快だなと思ったから怒っただけだよ」

「それでも。代わりに怒ってくれて、ありがとう、お姉さん」

 従業員は少し頬を染めて、はにかんだように笑って、それから両手に持った麦酒に視線を遣った。

「……でもこれどうしよ……」

「良ければ僕が飲んでも?」

 せっかく注いだのですからね、というクラウスに、従業員は「助けてくれたお礼に私からサービスで」と言ってカウンターに置いて行った。

「……で、お隣よろしいですか?」

 アドラの隣の、先ほどまで酔っ払いがいた席を指さしクラウスはわざとらしく小首をかしげる。アドラは深くため息をついて、どうぞ、と答えた。そのアドラの左隣から、マルタンがのぞき込む。

「こんにちは、アドラとはお知合いなんですか?」

 マルタンは名乗りかけて、本名にするか偽名にするか悩んだ。

「マル、大丈夫。こいつ卒業生」

「えっ、あ……そうだったの!?」

 ふふ、とクラウスは金色の瞳を細めて笑う。

「1年前に卒業した、薬学専攻の者です。どうぞよろしく」

「はい! マルタンと申します。よろしくおねがいします」

 素直で良い子ですねえ、というクラウスに、アドラは頷く。

「めちゃくちゃ良い子だよ、それこそあんたみたいな奴には近づけたくないくらい」

「失礼ですね~」

「そうだよアドラ、先輩にそんなこと言うのよくないよ」

 まあ、そうか……とアドラはジョッキの麦酒を煽りながら思いかけたが、やっぱり違うとばかりに反発した。

「先輩以前にこいつ幼馴染なんだよ、里が隣同士で、こいつの実家の薬屋によく買い物に行ってたから」

「そうでしたねそういえば」

「なーにが『そうでしたね』だ、このやろう。幼気なこどもだったころのあたしを散々実験台にしたろうが!」

「あはは」

 笑ってごまかすな、とアドラはクラウスの顎を掴んでぐにぐにやっている。

「このタコ野郎~!」

「ア、 アドラ……」

 やめなよぉ、とマルタンがアドラの背を軽くたたく。

 すると、ちょうどいいタイミングで店の扉が開いた。扉越しに見えた外は、もう夕暮れ時だった。

「お待たせ」

「あっ、イサミさん! おかえり!」

 マルタンがひょいとカウンター椅子から降りて駆け寄る。どうだった? と問われて、勇は簡潔に「登録できたよ」と返した。そして、アドラが何やらぎゃあぎゃあ噛みついている男の存在に気づく。

「えっと……友達?」

 ばっ、と振り返り、アドラは一言だけ、

「違う!」

 と答えた。

「友達というより……先輩ですかねえ」

 クラウスは立ち上がり、勇の方へ歩み寄ってきた。ゆるく束ねられた艶のある臙脂色の髪が店の照明を受けて光っている。

「僕はクラウスと言います。えーと、イサミさん、ですね」

「あ、はい、勇と申します」

 差し出された右手をとり、握手を交わす。視線を合わせようと思うと、アドラよりさらに背が高いクラウスは、勇でも見上げなければならなかった。

「ふむ……」

「えっと……?」

「いや、失敬、……お食事はまだですか? 良ければ僕が持ちますのでご一緒にいかがです?」

 勇の瞳をじっと見つめていたクラウスは、握っていた手を解放すると、テーブル席への移動を提案した。

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