王都はもう目と鼻の先だ。けもの道を抜け出たここは、小高い丘になっている。ここから見下ろすと、王都は中世ファンタジーにありがちな城塞都市だというのが見て取れる。勇は討伐者のバッジを持っているので、門番も快く受け入れてくれるだろう。しかし……この二人は、ここで解散だろうか。勇は少し不安げに二人の顔を見遣る。その視線に気づいて、マルタンは、こてんと首を傾げた。
「なんとなく、流れで一緒に行動しているけれど……わたし、イサミさんの仲間でいい、んだよね?」
「ああ、そういえばな、なんか普通にパーティー組んじまってたな」
アドラは苦笑して、それから右手を差し出す。
「改めてよろしくな。行く当てのないあんた、よりどころを焼き払われたあたしら。とりあえず落ち着くまでは一緒に行動しようじゃねえか」
アドラの右手と、勇の右手とが固く握手を交わした。そこに、少しひんやりぷにぷにしたマルタンの肉球が重なる。
「うん、よろしく」
「で、問題って言ったのはよ、はなからあたしはあんたについていくつもりだったんだ」
「そうだったの?」
「ああ、闇雲に動き回っても敵のしっぽは掴めねェし、散り散りになった同級生も探せない。そんなら、いろいろ知ってそうなあんたについていくのがいいと思った」
マルタンも、首肯する。まあ、勝手についていくって言ったら普通なら困るって断られるかもしれないけど、お人好しのあんたが断るとは考えにくかったからな、と続けたアドラの足を、マルタンは小さい手で軽くぺしぺし、と叩いた。
「ちょっと、アドラ!」
「悪い悪い。でも、美徳だとおもうぜ」
「褒められてるのかなぁ……」
複雑な表情の勇に、マルタンはなぜか「ごめんねえ」と謝る。いいよいいよ、と笑うと、勇は気を取り直して続けた。
「俺は君たちが知らない『この世界のバックグラウンド』みたいなものをある程度知っているし、逆に君たちは俺が知らない『この世界の事実』を知っているから、それらをすり合わせれば見えてくるものはあるんじゃないかって思うんだよね」
アドラは腕を組んで大きくうなずき、それな、と答え、それから軽く自分の脚をぽんぽんと叩いた。
「え?」
すると、見る見るうちに彼女の大鷲の脚が人間のそれに変わっていく。脛のあたりまでウロコに覆われていた脚は、ブーツを履いた人間の脚に完全に変化した。
「ちょっとチェックしてくれよ」
言いながら、次は手のひらを胸の前で合わせる。すると、次は背にある大きな翼が姿を消した。
「背中、消えたか?」
「うん」
「じゃあ、次はこっち」
今度は、人間でいうところの耳の位置を両手でそれぞれ覆う。翼を模していた長い耳は、手を離したときにはすっかり人間のそれに変わっていた。
「耳は?」
「人間のだね」
マルタンが頷くと、満足そうにアドラは腕を組みなおす。
「ま、ざっとこんなもんかな」
どっからどうみても人間だろ? と問うアドラに、マルタンがあっと声を上げた。
「待って、目」
指摘されて、アドラはいっけね、と漏らす。そして、大きなてのひらを自分の眼前にもっていき、金色をした猛禽類の目を軽く覆い隠した。数秒待って手のひらを避けて、瞳をこちらへ向けてくる。
「どうだ?」
彼女の瞳の色はとび色に変化しており、違和感なく溶け込んでいた。勇がすごいね、と感嘆の声を上げると、アドラはまあな、と返す。
「一か月くらい前に検定通ったばかりだから自信なかったんだけどさ」
「検定?」
勇の問いにマルタンが答える。
「そう、
なるほど、と勇は感心する。魔族たちは自分たちの身を守る術をしっかりと確立している。また、話を聞くに、彼らが持つ力は人間を害するために行使されるのではなく、彼ら自身を守るために行使されることがほとんどだということも伝わってきた。いよいよ、人間側の魔族に対する認識のゆがみが目立ってきた。
「それで……あたしはいいとしてよ」
視線を向けた先はマルタン。このもふもふデカデカのハムスターをどうするというのか。こんなもんが街を歩いていたら一発で『魔族』とバレバレである。聞けば、まだマルタンは変化の術を会得していないという。
「わたしなんですよねぇ……問題は」
しゅんとしているマルタンを見て、勇は自分のバッグの中をごそごそとあさり始める。そして。
「あった!」
「お、なんだそれ」
勇が取り出したのは、小さな小瓶だった。黄緑色の液体が入っている小瓶を、マルタンに手渡す。
「メタモルポーション」
「めた……?」
「そっか、魔族の間では流通していないんだね、これ、課金アイテムだったんだ」
聞き慣れない言葉に首を傾げ続ける二人に、勇はごめん、と笑う。
「えーと、ゲームって基本無料で遊べるんだけど、その中で便利アイテムには現実のお金を払って買えるものがあってね、その一つがこの薬なんだよ」
こっちに来る前に課金して買っておいていたから、もしかしたら所持品の中にあるかもしれないと探してみたら、きちんと反映されていたと勇は上機嫌だ。メタモルポーションは、服用した人が『見たことのある生き物』に、変化することが可能なアイテムだ。ゲーム内では、エンカウントしたことがあるモンスターや村人、ほかのプレイヤーに変化することができた。変わるのは見た目だけで、ステータスなどは元のままだが、見た目を変えることで敵を欺くことができるという性質から、ダンジョンで隠密する際に使うプレイヤーが多かった。モンスターに化けてしまえば、雑魚モンスターから襲われることがなくなり、ダンジョン深部へ向かう際に無駄に体力と時間を消費する必要がなくなるといった代物だ。勇はというと、レベル差のある友人とダンジョンに潜る際によくこれを使用しており、課金額も少額で済むため重宝していた。まさか、それを転生して使用することになるとは思いもしなかったが……。
「あ、マルタン、隠れろ」
説明の途中で、アドラが前方からくる人影に気づいた。草むらにマルタンを隠すと、小さい声で、今から通る人間をよく見ておくよう言って、手近な切り株に腰かけた。
「やあ、旅の方ですか」
こちらへ歩いてきたのは、行商人と思しき女性2人組だった。
「はい、これから王都へ向かおうかと」
勇が答えると、背の低い女性が答える。
「へえ、良いですね王都は華やかですものね」
「あなた方はどちらから?」
アドラが訪ねると、次は背の高い方の女性が答えた。
「王都より南の海の方へ、貝殻を仕入れに行ってたんですよ。これから北の街を回るつもりです」
ひとついかがです、とカバンを開こうとした女性に、アドラは首を横に振った。
「すまないね、持ち合わせがなくて……。王都へは?」
行かなかったのか、行く予定はないのか、両方の意味を込めて尋ねると、背の低い方の女性が鼠色の瞳を細め、恥ずかしそうに笑う。
「行きたいのはやまやまなんだけど、商売を始めたばかりでね、まだ自信がないんです」
王都は物流も盛んですし、商売敵もたくさんいるし、というのでアドラが「おや、品物はとてもよさそうなのに」と、耳に揺れているピアスに視線を遣り褒めてやると、女性は照れくさそうに礼を言って笑う。
「道中のご安全を」
「ああ、ありがとう」
会釈を交わすと、二人組は北の方角へ向かって歩いて行った。その背が見えなくなるまで見送り、アドラは草むらに声をかける。
「いいぞ」
「ふい」
「ちゃんと姿を記憶できたか?」
「うん」
二人が世間話をしてくれたおかげでばっちり、といったマルタンに、アドラはよし、と頷く。
「化けるのはあの二人のうちどちらでも問題なさそうだな」
二人は名の知れている冒険者でも商人でもない、駆け出しの行商人であること、王都に立ち寄っていないことから、王都の中にはあの二人の知り合いはいない、あるいは少ないと想定できる。あの二人がよほどの有名人でもないのなら、よく似ているといわれたところで他人の空似と言ってごまかして逃げ切ることもできるだろう。