「あと、引っかかるのが『魔王の封印について』の話」
ああ、とアドラは頷く。
「あたしもそこ引っかかってたんだよ。なんで、あんたのいう『ゲーム』とやらの伝承では魔王様が1000年も前に封印されたことになってんだ?」
魔王様はあたしらが生まれるずーっと前から、それこそ少なくとも2000年は代替わりせずにご健在だぞ、というアドラに勇は驚く。ゲームの中のリベルテネスでは、5000年を生き、人類を脅かし続けた魔王が封印されて1000年が経ったある日のこと、突如として封印を破った魔王が人類を滅ぼすために活動を開始して、大陸に魔物と呼ばれる脅威がはびこり始めた、というのだ。
「ん、まて、整理させてくれ、封印が解かれたのはいつなんだ?」
「詳しい日時はわからないけど『1000年前に封印された魔王』が復活……って表記ってことは、つい最近なんじゃないかな」
マルタンはうーん、と唸った後で口を開く。
「おかしなところはいろいろあるんですが、まず、一番おかしいところを指摘したいです」
そして、ぴし、とピンク色の手の、人差し指を立ててはっきりとこう言った。
「魔王様は人類を滅ぼすために活動している、というのはおそらく人間側の誤解です」
「そうなの?」
「ああ、あり得ねぇな」
ゲームの中では、魔王軍が街を襲っただとか、魔王の手先が森を焼き討ちしただとか、魔王の配下が何か非道なことを行って、それを解決していくクエストが多かった。しかし、マルタンとアドラははっきりと『ありえないことだ』と否定したのだ。
「何といっても、あのお方は人間に興味がねェからな」
「性格的にもそんな野心があるお方ではないね」
「そ、そうなの……?」
ゲーム内で語られる魔王像は、野心にあふれ、この世界を我が物にするため手段を選ばず、平気で人の命を奪い、街を焼き尽くしたり水没させたりして、邪魔者を排除しようとする血も涙もない恐ろしい怪物であった。
「ないないない」
「やろうと思えば、あのお方のお力ならとっくに人類の殲滅は達成できてると思う」
本来の魔王の力であれば、人類を滅ぼすことなどたやすい? それでは、魔王は力を行使していないということか。二人の言う通り人間に興味がないのであれば、さもありなん。では、どうして実際に人間の住む場所に被害が出続けているのだろう。魔族が人間に脅威をもたらしている、というのは、ゲームの中では事実であった。本当に町一つが壊滅して、人が死んでいる。勇は少し考え込み、そしてやがて口を開いた。
「これも仮定なんだけど……誤解じゃない、と思う」
「どういうことだよ」
アドラが少しけんか腰の口調でかぶせるように問うた。勇は、アドラたちが嘘を言っているという意味じゃないよ、と慌てて弁明すると、こう続けた。
「人間サイドは、誤解しているんじゃなくて、意図的に魔王を……魔族を悪いものに仕立て上げようとしているんじゃないか」
なるほど、とアドラは頷いた。
「だとするといろいろ合点がいくんだよな。人間ってあたしらを見つけると有無を言わさず攻撃してくる奴が多いからな」
はじめから敵対心だとか猜疑心だとかを植え付けられているんだったら、先入観から攻撃してくるというのもわからなくはない、と言ったアドラにマルタンはえー、と口を尖らす。
「でも、それって個じゃなくて種族をみているってことでしょ? 理不尽だよ」
「まあ、まだ決まったわけじゃないけど……」
だから、確かめるためにも明日王都を見に行ってみようかと思うんだ、という勇に、ああ、なるほど、と二人は膝を叩く。
「そっか、あんたは人間だから怪しまれないで街を見に行けるよな」
「うん、それに、討伐者のバッジもあるから王への謁見もそんなに難しくないはず」
アドラがバッジを見て飛びのく。
「げっ、なんでそんなもん持ってんだよ」
「ここで目が覚めた時から持ってた初期アイテムで、捨てられないやつなんだよ」
はぁ? 捨てれない? と素っ頓狂な声を出し、アドラはため息をつく。
「その『げーむ』ってのは全くわけのわかんねェ理屈で動いてんだな」
「まあ、でもそのおかげで王城に潜入できそうだしいいんじゃない?」
それもそっか、とアドラが頷いたとき、マルタンが大あくびをした。くわわ、と顔が裏返ってしまうような、かわいらしい顔に似つかない獣じみた大あくびだ。
「はっ……ごめんなさい」
「いいんだよ気にすんな。つーか、マルタンもイサミもほとんど寝てないんじゃないのか?」
むにゅむにゅ、と口を動かしてから、マルタンは答える。
「少し仮眠はしたんですけど……」
「少しじゃ足りんだろ、マルの種族はよく寝る種族だし」
イサミも疲れてんだろ、というと、アドラは洞穴から出ていった。
「アドラ?」
「あたしはそこの木の上で見張りしててやっから、あんたたちは朝まで少し眠りな」
にかっと笑うと、彼女は大鷲の翼を広げて木の上に舞い上がる。
「あたしはさっき少し寝たし、ただの人間のイサミより夜目が効く。なんか来たら起こしてやるからさ」
いいのか、と問うと、アドラはふん、と鼻を鳴らした。
「まだ完全に信用したってわけじゃないけど、あんたが嘘を言ってるようには見えないし、マルを助けてもらった恩義があるからね。ほら、遠慮しないで穴ん中戻ってさっさとねんねしな」
明日は早いだろ? と促され、勇はひとこと礼を告げると洞穴へ戻った。マルタンはもう丸くなってすぅすぅと寝息を立てている。そのマルタンにそっと寄り添うようにして、勇も目を閉じた。――一気にいろいろなことが起こりすぎた。頭が追い付かない。疲れた脳を癒すように、マルタンの少し高めの体温が背中越しに伝わってきた。