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第3話

「うわああぁぁ!」


 突然、洞穴の外から叫び声が聞こえた。聞いたことのある声だ。

「っ!」

 その声に、マルタンは洞穴の外を窺おうと立ち上がる。

「待って!」

 その動きを、勇が制止した。

「でも」

「しっ、少し声を落として……知っている子なの?」

 確証はない、が、マルタンは頷いた。今朝聞いた声だと思う、と。外から、何かがつぶれたような音がした。二人は息を潜めて音を追った。

「助けなきゃ」

「気持ちはわかるけど、マルタン……」

 悲鳴の方の声がしない、と、勇は冷静に言い放った。マルタンはひゅっと息を飲む。

「俺が様子を見てくる。魔物を攻撃するってことは、マルタンも危ないだろ」

「イサミさん!」

 どんな相手かわからないですよ、というマルタンに、勇は笑って答えた。

「大丈夫、いきなり人を殺そうとする人間じゃない限りは。隠れていて。俺が話している隙にそっと逃げて」

 マルタンが止めるのを聞かず、勇は静かに洞穴から出ていった。


「ふう、こんなもんか」

 勇が見に行った先では、戦士の出で立ちをした男がゴブリンの頭を踏みつけていた。

「……」

 やっぱり。マルタンは来させなくて正解だった。戦士は、ゴブリンの背に刺さった己の剣を抜きながら、勇に視線をやった。気づけば、雨は止んでいる。うっすらと雲間から差した月明りが、男の顔と息絶えたゴブリンを照らしていた。

「あんたも冒険者かい?」

「あ、ええ、まあ……」

 ぴっ、と剣についたゴブリンの血を払い、戦士はそれを鞘に納め、屈む。

(何をして……)

 そして、ゴブリンの首根っこをつかむと、その額に生えている角をばきりと折り取った。次に、ゴブリンが腰につけていたポーチをむしり取る。勇は、自分たちがゲーム内でしてきたことはこれだったのか、と目を覆いたくなった。――ドロップアイテム。落としていったパターンももちろんあったろうが、こうして命を奪ったうえで剥ぎ取り、むしり取っていたのだ。よく考えればわかることだった。無論、それはゲームという仮想世界の中での出来事なのだから、こんな風に考え込む必要など毛頭ないといえばないのだが……。こうやって目の前に実際に凄惨な光景として突き付けられると、己のゲーム内での行いを悔いる気持ちになってしまう。

「ちっ、またマップか……。もう持ってるんだがなぁ」

 ゴブリンのポーチの中身を覗いて戦士は舌打ちをし、空になったポーチを雨水でどろどろの地面に放り投げる。

「あんた、マップいるかい?」

「へ?」

「見たところ、駆け出しの冒険者ってとこだろ? こんな深夜に森の中にいるなんて、帰る時間を計り間違ったな?」

 普通はもう少し町に近いところで昼間に修行して、必要なものそろえてから動くもんだろう、とあきれ顔で言う男に、勇は愛想笑いを返すしかできなかった。

「はは、慣れてないもので……」

「マップと、少しだがナッツを分けてやるよ」

 ぽん、と勇の肩をたたくと、男は勇の手にマップとナッツの袋を握らせてくれた。たまにいる親切なNPCってこういう感じだったんだ、と勇はぼんやり思う。

「ありがとうございます」

「ほかに魔物はいなかったか?」

「はい、ですのでこの通り無傷です」

「そうか、油断するなよ、今のゴブリンも、敵意はないから見逃せ、なんて言っていたけどこいつらの言葉は信用に値しないからな」

 勇はそう言われて、こと切れているゴブリンへ視線をやった。手には何も持っていないし、目元は涙か雨か、濡れている。何より、背から刺し貫かれているのは、男へ向かっていかなかった……背を向け逃げていた証拠だ。

(魔物は悪いものと決めつけているから……)

 信用に値しないのはどっちだよ、と勇は心の中に靄を抱えて、それでも愛想笑いを崩さぬよう答えた。

「ご忠告ありがとうございます、気を付けますね」

「あんた、送っていかなくて大丈夫かい?」

「あ、実は連れが待っているので」

「ならよかった。気を付けて帰れよ」

 じゃあな、と片手をあげ、戦士は町へ向かうであろう道を行った。


 戦士が完全に去ったのを確認してから、ちてとて、と勇の背後からマルタンが駆け寄ってくる。

「マルタン、逃げなかったの……」

「……」

 マルタンは、目に大粒の涙を浮かべていた。

「……ゴブ君……」

 朝礼で、すぐ隣でおしゃべりをしていたゴブリンの男子だった。朝はあんなに元気だったのに、もう、息をしていない。そっと屈むと、見開いていたゴブリンの瞼を閉じてやる。痛々しく流血している額の角のあとを、マルタンは悲しみと怒りが綯い交ぜになったような顔で見つめていた。

「こうやって、わたしたち魔物から採れる爪や角を平気で剥いでいく輩がいるんです」

「……うん」

「何に使うのかは知れませんが……」

 俺はさ、と勇は切り出した。

「ゲームの中のことであれば、わかる。おそらく、このゴブリンの角は換金されるか、武器の強化に使われるんだと思う」

 マルタンは抱えきれないやりきれなさを、くつくつと歯を鳴らして伝えた。それでね、と勇が続けると、すぐにマルタンは歯ぎしりをやめ、勇に向き直った。

「理不尽だな、って思った」

「え……」

「ゲームをやってるときは、魔物は倒すもの、アイテムはドロップするものって思ってた。でも、……このゴブリン、戦う気なかったよね」

 戦う気のない相手を一方的に痛めつけて、搾取するのってどうなんだろうって思ったよ、と続ける勇に、マルタンは同意する。

「人間のみなさんに魔族と呼ばれる者たちに、必ずしも非があるというわけではないと、イサミさんはわかってくれるんですね」

「うん」

 勇は、ショルダーバッグの中から何かを取り出す。

「!」

 それを見て、マルタンは顔色を変えた。小さなバッジ、ただのバッジではない。王国の紋章が入った、魔物を討伐する者の証だ。

「そ、それ……」

「俺がここに来た時、まずバッグの中を確認したんだ。これが入っていた」

「わたしたちを……」

 勇は静かに首を横に振る。そのバッジは、プレイヤーがゲームを開始した直後から所持品に登録されているいわゆる初期装備だった。

「本来なら、討伐するのが役目なんだろうね。でも、俺はそんなことする気ないよ」

 ゲーム『救世の光』のプロローグはこうだ。

 ――平和で緑豊かな大陸リベルテネスに、1000年前に封印されたはずの魔王が突如復活し、大陸は魔物たちが徘徊する危険な地へと変わり果ててしまった。再び安穏のリベルテネスを取り戻すため、この世界に召喚されし『勇者』は、巨大な悪を討ち滅ぼす旅に出る――。


「魔王様が1000年前に封印……?」

 マルタンは訝しげに顔をしかめた。

「おかしいところがあるんだね? きっと、王国側の主張と、この世界の事実には齟齬があるんだと思う。知っていることを教えてくれないか」


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