この世界で式神──もとい使い魔とは、人間と人外の契約の一つだ。
それは隷属契約とは異なり、信頼関係の上に成り立つ主従関係を結ぶことを意味し、主人に危害を加えることはできない。その分、主人は力あるいは叡智を得る代わりに、対価を支払う。
「念のため聞きますけど、契約内容に命を削るとかない……ですよね?」
「お前は物騒な発想しかできないのか?」
「最悪を想定するのは、極々普通なのでは? それに私の元いた国では、人外が殆どいませんでしたから、その辺りの認識の差を最初に聞いておかなければ、落とし穴があるかもしれないでしょう(元の世界を入れると悪魔とか人外のものとの契約は慎重にならざるを得ない。なにせ契約破棄や解除が相当面倒だから)」
シルヴィアの言葉に「ほう」とアルベルトは目を細めた。不愉快そうだった口元も、少しだけ緩んだように見えた。
「自分の無知さを認識するのは良いことだ。たしかに中級レベルの妖精、精霊、竜、魔物や魔人なら命を削ろうと交渉する者もいるし、高位の人外の中にも命を削るような趣向な者もいる」
「あれ? 魔物や魔人は、人間の感情を糧にするって聞きましたけど?」
「ああそうだ。階位を上げるのに、上質な人間の肉体と魂を食らう方が、手っ取り早いからな」
「うわぁ……。でもそんなことを言ったら、魔物や魔人は人間食べ放題じゃないですか(それもあって私のいた国は、女神たちが結界を強固にするための術式を用意していた?)」
元の国も異常だったが、魔物という魔物はダンジョンなどでしか見なかった。しかし、ここは外の国だ。すでに季節を定着させるなど面倒な場所に居る以上、人間が生きるには厳しい環境な可能性も十分にあった。
シルヴィアはジッとアルベルトの言葉を待った。
「まあ、千年以上前に人間を刈り尽くそうとしたので、魔の系譜の魔王が色々と規制を行ったがな」
「(そう言えばラフェドは、千年以上前から生きているって言っていたっけ……。千年以上前は人間の生きにくい物騒な世界だったんだろうな)なるほど」
「……今回の場合は、ベルナールを圧倒したことで主従関係が成立する。対価は当人同士で早めに決めておけ。それと使い魔と主人の契約上、対価とは別に魔力供給が必要となる。竜の場合でも、一定時間一緒に過ごすことや共に食事をとる、あるいは主人からの手作り料理などを振る舞う、……肉体関係を結ぶなどが該当するな」
「そうですか(あー、そう言えばラフェドも仮契約を結んだ際に、夜這いしてきたっけ。斬り伏せたのが懐かしい……)」
当時のことを思い出し、シルヴィアの目が暗くなりかけたが、今回この男と契約を結ぶことはないと、気持ちを切り替える。
アルベルトの説明では、魔力供給は使い魔と主人の絆を深める行為らしい。そのため契約後は出来るだけ傍にいること、寝食を共にすると言う考え方はシルヴィアの前世――時折芽衣李が、住んでいた日本でもあった。
「(式神として契約に似ているわ。良い子たちだったのだけれど、見た目がホラー要素満載で苦手だったのよね。でもみんな優しかったし、守ってくれた)ええっと、ベルナールさん的には、対価はどんなものが好みですか? 個人的には、お喋りや一緒にご飯食べる程度なら、許容範囲です。でも肉体関係は、恋人関係でないならちょっと遠慮したいです!」
「直球かよ。凄いなお前」
「ん~、対価は甘い物と一緒に食事。……あと君の国の話を聞かせて貰うとかがいい」
「ではそれで!」
「即答だな。……ベルナールも本当にそれでいいのか?」
「うん。一緒に食事」
無邪気に喜ぶベルナールに、アルベルトは毒気が抜けたのかため息が漏れた。
「ああ。……お前は、そういう奴だった」
「うん?」
諸々細かな詰め合わせはするとして、契約を結ぶ運びとなった。シルヴィア的にはファンタジー展開を期待して目を輝かせたのだが、アルベルトが羊皮紙の紙を取り出した段階で雲行きが怪しくなってきた。
シルヴィアがあからさまにションボリするので、ベルナールは契約不履行なのかとおろおろし出す。しかしそのことにシルヴィアは気づかずに落ち込む。
「書類申請……だなんて……地味……すぎる……」
「派手さとか不要だろうが。お前は契約に何を求めているんだ……」
「大事な、ファンタジー的な世界なら魔法陣とか、魔法とか幻想的な感じが見たいのです! こうしゅわしゅわぱああーっと!」
「子供か」
「大人になっても、憧れは失ってはいけないのですよ!」
「術式が付与しているよ。……魔法的な展開を期待しているのなら、契約成立にそれっぽくなる」
「本当ですか!?」
「うん」
シルヴィアの目に光を取り戻したのを見て、ベルナールは頬を染めて小さく頷く。その仕草がとても可愛いとシルヴィアはさらに心の内で叫んだ。
やはり見た目的に妖怪のような姿よりも、ファンシーな姿がいい。心臓にも優しいと、シルヴィアは力強く頷いた。
「えらい食いつきだな。まあ、フォルトゥナ聖王国は魔導具ばかりで魔法の資質が育ってなかったし、あの女神の膝元だから色々制限があったんだろう」
「(話しぶりからして、祖国を管理する女神がいたってこと? ううーん、気になりはするけれど、あの国には二度と戻らないし、今は掘り返さなくてもいいかな……。私のことを知っているのは、聖女候補だから出身国を知っていた? でもあの魔術師も気付いたと言うことは服装とか?)なるほど?」
この時シルヴィアは、全世界から見て祖国をどう評価しているのかが気になったものの、優先順位を低く見積もったため後々後悔することになる。
ふわっ。
ベルナールが署名したことで羊皮紙がふわりと浮かび上がり、端から金色の炎によって申請書が燃え尽きた。
地味すぎるとシルヴィアが思った瞬間、ぷしゅ、とコルクを開けたシャンパンのような音と共に、金色の光の残滓が祝福を齎すかのように振り落ちる。
花吹雪のようにも見えるが手の平に落ちると、そのまま消えてしまった。幻想的でシルヴィアが望んでいたファンタジー的展開に、目を輝かせる。
「綺麗……」
途端に語彙力が消失したが「これこれ!」と心の中で拍手喝采を送った。金色の花びらとはなんとも贅沢ではないかと、シルヴィアがほくほくしていると、右の人差し指と薬指にシンプルな指輪が生じる。
「わぁ!」
宝石や幾何学模様などが彫り込まれた洗練されたデザインで、シルヴィアが好むものだった。
「(ふふっ、これで本に書かれた物語通りの展開から外れたはず。あの時も成り行きで仮契約を結んだのが、ベルナールさんがいてくれてよかった! それにしてもなんて素敵なデザインなの。これはこの国の文字? それとも契約者専用の指輪はみんなこんな感じなのかしら? ……ん、でもどうして指輪が二つも?)えっと?」
「契約の指輪……初めて貰えた。嬉しいな」
「ええ。思った以上に、ファンタスチックな展開でした! しかも指輪のデザインがまたいいです!」
「人間とお揃いも初めて」
「ベルナールさんは可愛いな」
「かわ……!」
「コイツをそんな評価するのはお前だけだ」
ベルナールとシルヴィアは、きゃっきゃっとはしゃいでいたが、なぜかアルベルトの眉間に深い皺が刻まれていた。剃刀のような鋭さを持った視線が、シルヴィアに向けられる。
「……どうやら俺も、お前と契約が成立したみたいだ」
「ん? …………え? は?」
不機嫌な声で尋ねてきたのは、アルベルトだった。
その右の薬指には、シルヴィアと同じデザインの指輪が収まっている。シルヴィアは思わず二度見した後、背筋が凍り付いた。
シルヴィアは物語の軌道修正あるいは、結びつきという儀式の中で、かつて結んだ絆が復活してしまった可能性を思い出した。
かつてラフェドが贈った指輪を、シルヴィアは手にしていたのもあるだろう。しかしそれをシルヴィアは明かすつもりはない。というかそんな余裕など欠片もなかった。
「なああああああああああああああああああ! 最悪。最悪です!」
「お前っ……、そこまでか!」
「最悪です、無効にしたい! 解約そして弁護士を呼んでください!」
「……規格外なことばかりしやがって。大方契約術式の誤作動だろうな」
「じゃあ、今すぐクリーンオフしてください!!」
「うるさい奴だ。しかし……契約の媒体はなんだ?」
「──っ!?」
不機嫌この上ない発言に、シルヴィアはハッとして、もう一つの繋がりを提示する。
「わ、私が贈呈した本のせいで、縁が結ばれたんじゃないですかね。……私は何かと縁を結びやすい質らしいので」
「ほお」
「今回は、そのとても、とても不幸な事故です。ささっ、余分な契約は今すぐ解除しちゃってください!」
「ふざけるな。……いいか、使い魔との契約はそう簡単に解除できないからこそ、仮契約というものが設けられている」
「クーリングオフが効かないなんて……面倒な。絶望しかない」
「くーりんぐおふぅ?」
小首をかしげるベルナールの愛らしさに癒されつつ、シルヴィアは口端を釣り上げた。
「クリーンオフというのは、契約が締結したあとに一定期間があれば、無条件で契約の申請を撤回あるいは解除できる制度ですよ」
「うっ……僕と……解除する?」
「しませんよ!」
世界の終わりだと言わんばかりに青ざめるベルナールに、シルヴィアは淡く微笑んだ。
なんとも繊細なドラゴンなのだろうと、好感度が一気に上がった。アルベルトの好感度はマイナスなままだが。
「本当に?」
「はい。解約したいのは上司の方です」
「お前なぁ」
「仕事上の上司が使い魔とか、最悪以外の何ものでもありません。これを機にアルベルトさんは、私に面倒な仕事やら精神的にプレッシャーを掛けて、主従関係を逆転させるような反逆の狼煙を上げるかもしれないのです!」
「おい。聞こえているぞ。……とにかく、申請書は俺とベルナールで出しておく」
「アルベルトさんも……ですか。誤作動なのだから出さなくても良いのでは? すぐに解除しますし……」
これも呪いの効果なのだろうか。
本の物語通り――過去をなぞるような展開にうんざりしつつ、どうにか回避出来ないものかと思案する。アルベルトもどうするべきかと、顎に手を当てて考え込んでいるようだ。
「くそっ……大体なんでベルナールと反応がこうも違うんだ。おかしいだろう」
「いえ、当然の結果かと……口が悪いですし」
「アルベルト……が悪い」
「なんでそうなる?!」
シルヴィアは苦笑する。ラフェドのことがなければ、口は悪いが面倒見の良い上司だ。そうラフェドでなければ良かったのに、と思わずにはいられなかった。
「こうしましょう! 申請はベルナールさんだけにして、非公式にするとか指輪が見えなくなるようにする。私がアルベルトさんと契約したことは、公言しない。と言うかアルベルトさんの枠は不要なのでは? そもそも上司を使い魔って……その立ち位置が嫌すぎます」
アルベルトは冷え冷えとした眼差しを向けたまま「ほう」と、低く苛立った声を出した。口元は笑っているのに、破滅めいた顔をしている人外の何を信用しろというのだろうか。
説得力ゼロである。