第三者の声にシルヴィアが振り返る、と見知らぬ聖職者が佇んでいた。
(……誰!?)
鳶色の短い髪に、切れ長の眼野色はヴィオレ色で、目鼻立ちがと整った美しい男だ。黒の司祭服の上にカズラを羽織っていて、見るからに上質な布を使っており、金の刺繍には柊と幾何学模様が施されていた。
聖職者でありつつも、どうも淫蕩な雰囲気がある。外見は二十代とかなり若いが、その佇まいと雰囲気からして、恐らく人外ではないのだろう。
そう判断したのは、シルヴィアが眼前の男の雰囲気に、見覚えがあったからだ。髪の色や外見はやや異なるが、目の色は同じだったのですぐに分かった。
(ラフェド。あの人と同じ瞳の色……。でも、たぶん……)
フォルトゥナ聖王国は鎖国状態なので、他種族と関わる機会はなかったが、対面すると雰囲気が違うのだと実感する。
(――|私《・》|の《・》|知《・》|っ《・》|て《・》|い《・》|る《・》|彼《・》|じ《・》|ゃ《・》|な《・》|い《・》)
こちらを値踏みするようなヴィオレ色の瞳には、新しい玩具を見つけたというような、気まぐれな色をしていた。シルヴィアが愛した、春待ちを慈しんだ眼差しではない。
だからこそ、あり日の彼とは別人だとすぐにわかった。
(記憶喪失? ううん、最初からその程度の認識だったのよ。異世界で出会った程度の認識なんだわ。十八年も前だもの。覚えていない)
あっさりと出会えたことの喜びよりも、自分自身のことを欠片も覚えていなかったことに、少しだけチクリと胸が痛んだ。
ほんの少しだけ。
(例え転生して、約束をしたとしても、彼は人外で──気まぐれなのだから)
この結末も分かっていたことだと気持ちを切り替えて、シルヴィアは相手を真っ直ぐに見つめ返す。
声が震えないように緊張しながら、最初に出会った時と同じセリフを口にする──はずだった。
けれど口から零れた言葉は、彼との約束の言葉だった。
もし、もう一度、出会ったのなら──。
「……“貴方にとって白と赤の特別なケーキの取り分は?”」
それはずっと前に決めていた、合い言葉。
ヴィオレ色の瞳が僅かに揺らいだ。シルヴィアには、この数秒の時間が数時間のようにも長く感じられた。そしてその結末は、悲しいほどに裏切られる。
「は?」
(あ。……やっぱり、そうよね)
「……初対面で何を言い出すかと思えば、今代の聖女候補は面白いことを言う」
「…………っ」
掠れた声が吐息と共に漏れる。
淡い期待をしていた。もしかしたら──、と。でもそんな奇跡は起こらない。
『そしたら俺は“全部だ、白も赤も涙も未来も全部、俺が奪う”と返すから、ちゃんと確認するんだぞ』
そう笑って毎朝の顔を合わせる度に、あの時の彼は合い言葉の確認をした。異世界転移の影響で髪の色や瞳、姿も変わるかもしれないから、念のためだと。
(……っ、……ラフェド)
この世界では呪いやら、精神干渉、精神汚染などによって、記憶が奪われる、記憶上書きが多々あるという。
それを防ぐための、特別なまじない。
それが作動しなかったと言うことは、彼はどうあってもシルヴィアの知る人物ではないということになる。
(それもラフェドの嘘かもしれないわ。あの人、結構気分やだったもの)
「俺はこのオーリム領教会を預かる、最高責任者のアルベルトだ。お前が聖女候補の一人だな」
(アル……ベルト……。そう名前さえ違うのね……。そして彼は私が聖女だと言うことは──知っている)
聖女候補。
その単語を聞いて、シルヴィアは「ええ」と呟いた。ふう、と息を整えて彼と向き合う。
「そのようです。
「何で最後で言い淀んだ?」
「向かう予定でした!」
「あくまでも予定という部分は、取り消さないんだな」
「ぐっ……」
シルヴィアは教会に遅れる理由を述べたが、それは承知しているのかさして叱られはしなかった。
ペナルティーでアルベルトが訪れた訳ではないことに、ホッとする。
「それで最高責任者が、どのようなご用件でしょうか?」
「お前以外の聖女候補は、教会に到着している。……まさか初日にこの場所に辿り着き、竜王を殴り飛ばすとはな。中々に愉快だったぞ」
口端を釣り上げたその表情は、聖職者というよりも獰猛な獲物を狙う狩人の瞳に近い。人外の持つ独特な色香と、排他的な雰囲気を纏った彼は、絶対に選んだ職業が違うだろうとシルヴィアは心の中で思った。
(どう考えても聖職者に最も遠い存在に見える。……と言うか、唐突に煙草を吸い始めたのだけれど! 信じられない)
「ふう。……俺の今日の仕事は、聖女候補に説明諸々するまで終わらないんだ。面倒だからここで説明するぞ」
「(不良神父!)それは有り難いですが、あと一刻もあればそちらに向かう予定でしたよ?」
「どうだかな。お前、この洋館に住み着く気だろう」
「…………ナンノコトデショウ?」
やや声が上ずってしまったが、目を逸らさずに答えた。
(けして共同生活が嫌だとか、自由でのびのびライフを考えていたわけではない!)
このアルベルトは見た目以上に、老獪で油断できない相手だとシルヴィアは再認識する。
アルベルトはふう、と紫煙を吐きながら説明を続けた。