「本日をもってシルヴィア・ローレンとの婚約を破棄する!」
それは絢爛豪華なパーティー会場で起こった一幕。
滑らかで美しい音楽がピタリと止まり、華やかな空気から張り詰めた空気が会場を覆う。
金髪碧眼の
よくあるゲームの架橋で、悪役令嬢が断罪される手垢がついた王道パターン。不運にも悪役令嬢に転生したシルヴィはついに、この日が来たと身構えた。
シルヴィ・ローランは、幼少の頃から王子フィリップ・エル・シャトレの婚約者候補筆頭とされ、十八歳を迎える年に正式に婚約者となる間際で、その頃には王子は婚約者候補でない学院で出会った少女と恋に落ちていた。シルヴィが王妃になるため努力する間、馬鹿王子とヒロインの少女は学院生活を謳歌していたのだから、百年の恋も冷めるだろう。
だが王族との結婚は政治だ。惚れたという理由だけで覆されることはない、本来なら。けれどヒロインはこの国を守護する《女神たちの乙女》というアドバンテージを持っていたため、今度はシルヴィの婚約を解消する必要が出てきてしまう。
結果、公爵令嬢であったシルヴィを貶めるため、また公爵家の勢いを削るために『ヒロインであるリナ・ドラージュに嫌がらせをする悪女』と王侯貴族によって捏造された。乙女ゲームではヒロインサイドで政治的なことに巻き込まれるので気付かなかった。また王子ルートでなければ、シルヴィは王子とそのまま結婚するのだ。
あくまでも攻略キャラの分岐点によってラスボス、断罪者が異なる。
王子との婚約破棄もそうだが、ヒロインと出会わないという選択肢も最初から剥奪されていた。悪役令嬢は断罪されるパターンまでは、シナリオの強制力なのか抗えなかったので、シルヴィは婚約破棄後の展開に賭けた。
(ここでラスボスらしく禁忌の魔導具を使って敵対するか、罪を認めて婚約破棄を選ぶかの二択は、私が決めることができる。魔導具は早々に破棄したし、実質一択だけれど!)
この二択によって、シルヴィの結末は大きく分かれる。だからこそ罪を認めて、国外追放からの冒険者ライフを楽しむため研鑽を積み、自分にできることをした上でこの場に臨んでいた。
公爵家からは早々に娘一人を斬り捨てる方向に進んだ。あの両親ならそうだろうと、シルヴィはあまり驚きもしなかった。それもシナリオ通りだったからもあるかもしれない。
誰一人味方のいない中で、毅然と佇む。
長い白銀の髪を靡かせ、空色の美しい瞳に、透き通るような肌、少しだけ胸を開けたガーネット色のドレスは、金と銀をちりばめた刺繍が上品に施され、シルヴィアの美をより引き立てる。
ヒロインのリナは朗らかな春のような愛らしさなら、シルヴィは冬至に咲き誇る一輪の薔薇のような美しさだろう。
厳しい冬の寒さにも耐える孤高は、今の状況に近しい。
グッと周囲の悪意に耐えた。
大丈夫だ、とシルヴィアは心の中で叱咤する。
酷い土砂降りの中で、愛する人を残して死んだ前世での最期を思えば耐えられた。
『必ず……見つけ出す……だから
転生しても、あの指輪だけはこの世界に持ち込めた。それは……たぶん、人外である彼がいた世界が「ここだ」とシルヴィアは確信していたから。
この世界には魔王がいる。
それが彼の名だと知ったときから、シルヴィアにとっての道しるべとなった。
(乙女ゲームを舞台としたこの国に彼はいなかったからけれど、この世界の何処かにいるはず。何せこの世界の魔を司るらしい人だと言っていたのだから、この国での役目を終えて漸く彼を探しに行ける)
まず向かうとするならオーリムという国だ。知人の商人曰く、魔王と高位の人外が管理しているという特別な場所らしい。
(例え、彼が私との約束を忘れてしまったとしても……、会って彼から貰った指輪と、この身に受けた加護だけは返そう。指輪は彼の魔力から作ったと言っていたのだから……)
ふう、と目を伏せて小さく吐息を零したのち、真っ直ぐに王子を見据えた。
悪役令嬢の役割を脱ぎ捨てるための言葉を告げる。
「婚約破棄の件、承知いたしました」
「父上にも報告済みだ、お前には国外追放を言い渡す」
「かしこまりました」
シルヴィは騒ぎ立てず、「よっしゃ!」とガッツポーズを堪えたまま、淑女の鑑として優雅に一礼する。
(これで窮屈な王妃修行や業務ともオサラバ! 彼を探す道中は珍しい幻想動物や植物、竜やグリフィンの生息する他国で冒険者家業をしつつ世界を旅する! せっかく転生して魔法やら魔導具なんて摩訶不思議なものがあるだから、全力で楽しまなきゃ!)
胸の中に残る淡い記憶。
ラフェドという人外との時間。
頬を撫でるゴツゴツした手の感触をシルヴィアは覚えている。ほんの僅かな出会いだったけれど、網膜に焼き付いた、あまりにも目映い夢のような時間。
『いつかお前に俺のいる世界を見せてやる。ドラゴンや花火よりも美しい魔法術式に、宝石のような煌めきと硬度の花が一面咲き誇る場所、白を基調とした国、冒険者がいて、美しくも残酷で何処までも自由な世界。人族だけじゃない神々に魔族、精霊に妖精――、お前の言う夢物語が全部詰まった場所だ。きっと気に入るはずだ』
そう笑った彼が残してくれた言葉。
それらがあったからこそ、孤独な悪役令嬢の役を演じきることができた。
たった一つのことがあれば、人間は生きていける。自分本位で単純な生き物なのだ。
悪役令嬢の退場によって、乙女ゲーム《乞われた花乙女》のシナリオは、エンドロールに向かって動き出す――筈だった。
ちりん、と涼やかな音が響く。
『選択はなした――。彼女こそ最後の聖女候補者にふさわしい』
「――っ!?」
それは何重にも重なった声。
厳かな低い声は、どこか愉快そうな雰囲気があった。
ちりん、ちりん、と鈴の音が重なり、それと同時にシルヴィの足場に白銀の魔法円が浮かび――その直後、シルヴィは転移した。
(は、はあああああああああああ!?)
予想を超えた結末に、シルヴィは心の中で叫んだ。
もっとも声を上げなかったのは、淑女としての矜持だったからだろう。
***
それは神々と高位の人外たちが作り上げた特別な箱庭の世界。幾重の世界の空間一部を切り取って、転移回廊で迷路染みた形で無理矢理繋げた特別な国であり、領域。
それらを管理しているのは、人外の王の八人と各種族高位六位以上の者たちだ。
円卓の上にはいくつもの階層を重ねた箱庭が、ホログラムのように浮かび上がる。この箱庭の特徴は、全て白に基調した建物や風景が多い。各階層に向かうには、転移回廊という特別な道を通る必要があるが、それは全て迷路に設定している。
作った人外たち独りの趣向によるものだ。
円卓の席に力を持つ人外たちが集結している。その中で統括するのは魔族の王、死神、竜王、大天使と様々だった。
それぞれ今回の
聖女候補として迎え入れた駒が、どのような顛末を迎えるのか、あるいは聖女となり得るかを、それぞれ賭けるのがこの
そして円卓の場に関わる者たちも、人間やら他の生き物に擬態して箱庭である程度自由に動くことができるようになっている。駒である聖女候補と接点を持つことも、試練を与えることなども条件をクリアすれば自由だった。
「さて駒は出揃った。
けして大きな声ではなかったが、それだけで静まりかえった。
発言したのは青黒い色の長い髪の男だった。耳前の髪を三つ編みでまとめており、頭には捻れた黒い角、ヴィオレ色の瞳、褐色の肌、造形が整った美しい男は黒の軍服に身を包み、チェスに似た白い駒を箱庭遊戯の入り口である《原初の迷宮》へと適当に並べた。
魔族の王ラフェドの並べた駒へと視線を向けると、様々な声が箱庭へと落とされる。
「さて――今年はどんな結末になるか」
「にゃははは、今回は強くて頑丈な子がいいな~」
「今回はせめて二人ぐらいは、聖女になってほしいものだな」
「今年も各季節の調整が大変だろうから、聖女候補には頑張ってもらうとしよう」
「にゃははは~、今度こそボクと踊りきれる子がいいな」
「おい、
「にゃ~、それを言うならベルナールに言ってほしいな。領域に入った瞬間に、精神圧で魂ごと滅ぼすなんて残酷すぎないかい?」
「…………僕は、そんなこと望んでないのに」
「よくいうよ。一番エグいくせに」
「今回は面白い子がいると、実験のしようがあるのだけれどな」
「そうね~。久し振りに闇オークションの目玉にほしいわ」
それぞれの反応を見つつ、ラフェドは最後の駒であるシルヴィアを転移させた。
今回の遊戯は、今までと違い退屈しないだろうという自負がある。
それはラフェドが
簡単には壊れない玩具であり、失望させない愉快な者だ。そう思うとラフェドは口端を釣り上げた。
円卓を取り囲んで人外たちが自分たちの欲望を口々に呟く。
これは気まぐれで、残酷で奔放で狂乱の遊戯が幕を開ける。