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第119話 どこかで誰かが見たことのあるハッピーエンドでも 2


 太陽が向かった先は高校の屋上だった。もちろんそこには俺たち以外に人の姿はなかった。鳥たちが巨大な給水コンテナの上で羽を休めているだけだった。俺たちは街の風景をしばし黙って眺めた。


「なぁ悠介。覚えてるか?」と太陽は隣で言った。「一年の春、オレたちがただのクラスメイトから『ダチ』になった日のことを?」


「覚えてるよ」よく覚えている。「手紙でおまえに呼び出されて、何事かと思ったら『人生の意味ってなんだ?』だぞ。忘れるわけがない」


 太陽は苦笑する。「親の敷いたレールの上を進み続けて、なんのために生きているのかわからなくなったオレは、悠介に救いを求めたんだよな。あの頃おまえさんはいつも一人でいて、自由に生きているようにオレの目には映ったんだ」


「そういえばあの時呼び出されたのも、この屋上だったな?」

「そうだ。この場所なら誰もいないと思った。それからここでオレたちはいろいろ語り合うようになった」


 俺は後ろを振り返った。「でも実はそこの給水コンテナの裏に高瀬が隠れていて、俺たちの会話を盗み聞きしていたんだよな。高瀬も卒業後の政略結婚のせいで人生に迷っていて、仲間に加わったんだ」


 太陽はうなずいた。「その後は柏木と月島も加入して、五人になった。でも最初はオレと悠介の二人だったんだよな」


 俺はここにいない三人のことを思った。「結局最後もこの二人ってわけか。いろいろあったけど、隣にいるのがおまえとはな」


 それを聞くと太陽は曖昧な笑みを浮かべた。「それじゃ悠介。これも覚えてるか?」

「なんだ?」


「一年前の冬、オレのせいでまひるが植物状態になって、それでもオレはまひるの想いのこもった手紙を読めずにいた。あいつの気持ちを知ることから逃げるみっともないオレに、悠介は強烈な一発を見舞った。オレはそれで目を覚ますことができた。ただオレとしてもやられっぱなしはおもしろくない。だからこう言った。『仕返しの一撃は、いつか悠介があの時のオレと同じ姿を見せた時のためにとっておく』って。覚えてるか?」


「よく覚えてるよ」と俺は言った。「でも結局、高校生のうちにその時・・・は来なかったな。残念だったな」

「いや、そんなことはない」と太陽は抑揚のない声で言った。


「は?」

「悠介、最初に謝っとく。すまんな」


「太陽おまえ、何を言ってるんだ――」


 その時だった。その時、それが起こった。


 俺ははじめ、それがなんなのかわからなかった。何が起こったのか、理解できなかった。耳元でおそろしく大きい音がしたことだけはわかった。


 気づけば仰向けに倒れていて――おそらく突然の音で驚いたのだろう――コンテナに留まっていた鳥たちが目の端で飛び立っていった。そしてすぐに太陽が馬乗りになってきて、俺の胸ぐらをつかんだ。その目は血走っている。


「ついさっき遠ざかっていくあの三人の後ろ姿を見ながら、おまえはこう言ったな? 『幸せになれよ』って。なにが幸せになれよだよ! ふざけんなよ! 幸せにならなきゃいけねぇのは、悠介、てめぇだろうが! なにを幸せになることから逃げてんだよ! 情けないったらないよ。みっともないったらないよ。おまえはあの三人の背中にそんなクソみたいな言葉をかけるためこの三年間いろんなもんと闘ってきたのかよ!? 違うだろ! 今の悠介は、一年前のオレよりずっとずっとふがいないよ!


 三人から聞いたぞ。おまえは一人で生きる道を選んだって。いいか悠介。これだけは断言する。おまえは一人では絶対に幸せにはなれん。それは孤独をよく知るおまえが一番よくわかってるはずじゃねぇか! なんて馬鹿な選択をしちまったんだよ! おまえはなにがなんでも誰か一人を選ばなきゃいけなかったんだよ!」


 左頬がじんじん痛み出して、ようやく俺は仕返しの一発を食らったことに気づいた。その痛みは予想をはるかに上回るものだった。俺だってなんの考えもなしにその選択をしたわけじゃなかった。ついムキになって、太陽の胸ぐらをつかみ返した。


「選べるかっ! 俺だって考えたよ! どうすればあの三人を傷つけることなく自分が幸せになれるか! この冬のあいだ、寝ても覚めてもそのことだけを考えてきたよ! でもだめなんだ。ムリなんだ。高瀬を選べば柏木と月島を悲しませる。柏木を選べば高瀬と月島を悲しませる。月島を選べば高瀬と柏木を悲しませる。どうやったって誰かが傷つく! 


 なぁ太陽。一緒に生きたいと願った人に選ばれなかった者のつらさがおまえにわかるか? 俺はわかる。身をもって知っている。うちの母親は俺や親父と生きることよりも柏木恭一と生きることを選んだ。柏木恭一が死んだ後は、俺と生きることよりも柏木恭一とのあいだにできた双子と生きることを選んだ。だから俺はイヤというほどそのつらさを知っている。自分と同じ痛みを、あの三人に背負わせるわけにはいかないんだ!」


「ああ、オレにはわかんねぇよ!」太陽は負けじと声を張り上げた。「さぞつらいんだろう。さぞ痛いんだろう。でもよ、悠介、おまえはこの高校生活で多くの人と出会って、多くの経験をして、そこからいったい何を学んできたんだ!? いいか? なんの犠牲も払わず、なんのリスクも負わず、幸せになれると思うな! そんな都合の良い話があるかよ! そこにはどうしたって痛みが伴うんだ!」


 左頬の痛みが、その主張に呼応するように増幅した。


「それにな、よく聞け」と太陽は続けた。「おまえさんはあの三人を侮りすぎている。たしかに選ばれなかった奴は多少なりとも傷つくだろうし、痛みもあるだろう。でもそこでくじけて立ち直れなくなるほどあいつらはヤワじゃねぇ! 必ずそれを乗り越えて強く生きていく。なんでおまえがそのことをわからないんだよ? もし悠介が誰か一人を選んだとして、選ばれなかった奴はおまえを憎むか? おまえとその選んだ女が不幸になることを祈るか? あいつらはそんなつまらん人間じゃないだろ! おまえさんが誰も選ばないっていう選択は誰も望んでいない。あの三人はみんなこう思ってるだろうよ。『こんな最後は絶対に間違ってる』って」


 俺は先ほど別れ際に、彼女たちが俺に対して何かを言いたそうにしていたのを思い出しそうになった。それで頭を振った。

「もうなにをするにしても遅いんだ」と俺は言った。「俺は三人に別れを告げてしまった。手遅れだ。なにもかもすべて、終わったんだよ」


「そんなことない!」と太陽は断言した。「あいつらはまだ待ってる! 悠介とまた会えることを信じてる! その証拠に、さっき『さよなら』を誰一人としておまえに言わなかっただろ! 悠介! まだ間に合う! 誰か一人を選ぶんだ! そしてその人と一緒に幸せをつかむんだ!」


「でも……」


「ああ、言いたいことはわかる! あの三人は悠介のいない道へ、今まさに歩み出そうとしている。当然その道の先には、あいつらが来ることを待っている人たちがいる。今さらおまえが誰かを背後から呼び止めて『やっぱり俺と同じ道を歩んでくれ』なんて言おうもんなら、その人たちは少なからず困惑することになる。場合によっちゃ、多くの人間が敵に回るかもしれん。でもよ悠介! もしそうなったとしても、世界中が敵に回ったとしても、オレだけはおまえの味方でいてやっから。ごちゃごちゃ言う奴がいたらオレがぶっとばしてやっから。だから今からでも遅くない! 誰か一人を選べ! この物語の最後に、おまえの隣にいるべきなのはオレじゃねぇ! あの三人のうちの誰かだ!」


 名付けられるもの、名付けられないものを問わず、ありとあらゆる感情が心の底から込み上げてきた。体の内側にとどめておくのはもはや不可能だった。それは涙というかたちをとって、外へ溢れ出た。俺は気づけば恥も外聞もなくひどく泣きじゃくっていた。


「なぁ太陽」と俺はどうにかして声を絞り出した。「なんでおまえ、俺のためにそこまで言ってくれるんだよ?」


「ダチだからだ」と太陽はなんのためらいもなく答えた。「オレが幸せになれるかどうかは、まひるが目を覚ますかどうかに懸かってる。あいつの笑顔のない未来にオレの幸せはない。さいわい医大には受かったが、この先医者になれたとしても、まひるを植物状態から回復させてやるのがいつになるかはわからん。いや、一生かかっても無理かもしれん。というか、今の時点ではその可能性が高い。


 だからオレはせめて、悠介には幸せになってほしいんだよ。手が届くところに幸せがあるなら、手を伸ばしてほしいんだよ。オレは今どんなに手を伸ばしても、そこには届かない。このつらさや痛みはおまえにはわからんだろ。幸せをみすみす見逃すのを、ダチとして、放っておくわけにはいかねぇんだ」


 太陽は俺の胸ぐらからそっと手を離すと、隣で俺と同じく仰向けになった。そして愛する幼馴染みを想って感極まったのか、静かに涙を流した。


 俺たちはそうしてしばし泣き続けた。冬の終わりの日差しがやけに眩しかった。そして暖かかった。


 やがて先ほどコンテナから飛び立っていった鳥たちが戻ってきた。俺は殴られた左頬を手でさすって口を開いた。

「いってーなぁ……。一年前の俺はこんなに強く殴らなかったぞ」

「そ、そうかぁ?」


「ああ。場所が病院の中ってこともあって、ちょっと手加減したはずだ」

「まぁたしかに、ここは無人だからスナップが利いちまったかもな。クリティカルヒットってやつだ」


 俺は体を起こした。「納得いかん。これじゃ釣り合わん。軽く一発殴らせろ」


 太陽も慌てて体を起こした。「おい待て待て! なんでそうなるんだよ。落ち着けって!」


 俺は右手で拳を作った。そしてそれを太陽の顔の前で空振りし、左手の手のひらに軽く打ちつけた。彼は本当に殴られると思っていたのか、顔をほころばせた。それにつられて俺も笑った。


「悠介、どうやら目が覚めたようだな」

「ああ」俺は先に立ち上がって、手を差し出した。「おまえのおかげだ」


 太陽は俺の手をとって立ち上がった。「良いダチを持ったな」

「自分で言うか?」


 太陽は白い歯を見せた。それからぐっと眉間を狭めた。

「さて悠介。あの三人のうち、誰を選ぶか、決まってんのか?」


 俺は一度大きくうなずいた。

「一緒に生きていったらどんな未来が待っているのか、どうしてもこの目でたしかめたい人がいる」


「誰なのか、聞かせてくれ」

 俺はその名・・・を口にした。


「おおっ!?」太陽は大きく仰け反る。「正直、オレの予想とは違ってたよ。そうか。そう来るか。てっきりあの娘だとばかり……」


「問題が一つある」と俺は彼女の話していたことを思い返して言った。「今から彼女と同じ道に歩むには、どうしてもある壁を乗り越えなきゃいけないんだ」

「どんな壁だ?」


 それについて俺は説明した。


「なんだよ、その程度の壁かよ」太陽はなんでもなさそうに言う。「それくらい、なんとでもなるっつの。これまでもっと高い壁をいくつも乗り越えてきたじゃねぇか。楽勝楽勝」

「でも、どうすれば……」


「今日のオレはえてるな。名案を思いついちまった」


 その名案とやらを聞いて、俺はぶったまげた。

「はぁ!? 太陽おまえ、本気で言ってるのか!?」

「おう! 本気も本気よ。悠介、一世一代の大勝負だ。三年間の冒険の集大成としてふさわしいだろ」


 俺はその大勝負に打って出る自分を想像した。思わずごくり、と息を呑んだ。


「なんだ悠介。ビビっちまったのか?」

「いや、映画やドラマではそういうシーンを見たことがあるけど、それを自分がやるとなると……。正直、実感が湧かない」


「まぁ気持ちはわかる。でも成功すれば、間違いなくハッピーエンドで終われるぞ? 悠介の目指していたもんだろ?」


 俺は苦笑した。「俺が志向していたのは、もっと個性的で誰も見たことがない結末なんだけどな。これじゃあまるで、映画か何かから影響を受けたみたいだ」


「まぁいいじゃねぇか」と太陽はなぐさめるように言って、俺の肩に手を置いた。「どこかで誰かが見たことのあるハッピーエンドでも。少なくとも、一人で生きていくよりはマシだろ? 違うか?」

「違いない」と俺は素直に認めた。


「よし悠介。言い出したからにはオレもできるかぎりの協力はする。手を貸してくれそうな奴には片っ端から声をかける。でもな悠介。あくまでも主役はおまえさんだ。最後はド派手に決めてやれ」

「おう、なんだか燃えてきたよ。やってやるよ」


「よし、その調子だ」と太陽は言った。「それじゃ、さっそく作戦を立てよう。そうだ。作戦名はどうする?」


 脳裏にある言葉が自然と浮かんできた。純潔だ、と俺は言った。「純潔でいこう」


「なるほど。あの人のあの時の一言から拝借したんだな。ちょうどいい。オレたちがこれからやろうとしていることにピッタリの言葉でもある。よし。純潔作戦、成功させるぞ」


「ああ。絶対成功させよう」と俺は言った。そして目の前の友に最大の感謝を告げた。「太陽、俺は本当に良いダチを持ったよ。おまえに会えてよかった。ありがとう」

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