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第119話 どこかで誰かが見たことのあるハッピーエンドでも 1


 晴天の下、体育館にて卒業式はつつがなく進行した。


 どこの高校の卒業式もだいたい似たようなものだと思うけれど、校長の冗長な話はちっとも胸に響かず、来賓の当たり障りのない話はもっと胸に響かず、一二年生は退屈そうにあくびをし、しまいには我々卒業生より教師や保護者の方が泣いている始末で、この式の主役はいったい誰なのかわからなくなりそうだった。


 唯一の見所らしい見所は卒業生答辞だった。240人の代表でその大役を担ったのは高瀬だった。それは文句のつけようがないほど完璧なスピーチだった。


 端的かつ簡潔な言葉で三年生の気持ちを代弁し、教師の顔を立て、保護者の労をねぎらった。見事だった。校長や来賓のお歴々は彼女を見習った方がよかった。


 ただそんな優等生にもひとつだけ残念な点があった。答辞それ自体は非の打ち所がなかったのだが、壇上の彼女には両目の下に大きなができていた。それはステージの下にいる我々からもはっきりと見て取れた。どうやら昨夜は眠れなかっただけではなく、泣き明かしたらしかった。


 おそらくほとんどの人はこう考えたことだろう。答辞を読む緊張から昨夜は眠れなかったんだな、と。緊張のあまり泣いてしまったんだな、と。


 でも大舞台に慣れている彼女がその程度のことで夜通し泣いたりしないことは、俺がよくわかっていた。俺は彼女の涙の理由をわかっていた。



 式が終わると3年H組の教室に移動し、最後のホームルームが始まった。担任の篠田先生は生徒一人一人に卒業証書を手渡し、そしてそれぞれに手向たむけのメッセージを贈った。


「これまでいろんな生徒を受け持ってきたが、おまえほど卒業させることに苦心した生徒は他にいない。あらためて、高校教師という職業の難しさを知ったよ」というのが俺へのメッセージだった。それはどちらかといえばはなむけの言葉というより愚痴のような気もしたが、なにはともあれ、俺は自分のために奔走してくれた強面の教師に感謝を伝えた。


 クラス全員が卒業証書を受け取り、校内放送から中島みゆきのバラードが流れ、最後の「起立、礼」が終わると、いよいよ旅立ちの時だった。もう明日から高校生としてこの場に来ることはなかった。


 クラスメイトと最後の時を過ごす他の生徒を尻目に、俺は教室をあとにした。



「よう、愚か者」

 廊下を進んでいると、背後から声がかかった。悪魔じみた不快な声だった。振り返るまでもなく、それが誰なのかわかった。


周防すおうか」と俺は立ち止まり、背中越しに言った。


「君がここまで愚かな男だとは思ってなかったよ」と彼は俺の前にお出ましして言った。「優里を選ばなかっただけではなく、柏木晴香も月島涼も選ばなかったそうだな。三人とも、君にはもったいないくらいよくできた女なのに。いや、正解なのか。こんな愚かな男と一緒になっては、三人とも幸せにはなれなかっただろうからな」


「勝手に言ってろ、嫌われ者」


「まぁいいさ」周防は鼻で笑った。「約束した通り、優里には周防家に入ってもらう。結婚式の準備を進めておいてよかった。すばらしい式になるぞ。もちろん君に招待状は出さない。華やかな場に血統の悪い者はふさわしくないからな。野良犬は野良犬らしく、ゴミでも漁ってろ」


 反応するのも馬鹿らしいので俺は黙っていた。


「そうそう」周防はいやに饒舌だ。「あの占い、なんて言ったっけ。ああ、“未来の君”か。幸せを願うなら運命で結ばれた未来の君と生きねばならないというやつ。優里の“未来の君”は僕だったな。僕は占いなんて信じる人間じゃないが、これだけはどうやら当たっていたようだ。僕は優里と二人で幸せになるよ。君は一人さびしく生きていけ」


 どうやら周防は“未来の君”の真実・・を知らないらしい。まぁ無理もない。それを知るのは占い師本人を除けば知ろうとして奮闘してきた俺たちだけだ。なにも本当のことを教えてやる義理もないので、俺は彼の横を素通りして外へ出た。



 きのう俺がどんな選択をしようとも、最後はいつもの五人で記念写真を撮ることを約束していた。撮影場所の校門前に着くと、続々他の四人も集まってきた。俺たちはなんとなく気まずいムードのなか、カメラやスマートフォンで何枚も写真を撮った。


 途中、湯川君やカンナ先生やアリスやマルメなんかもやってきて、撮影会に飛び入り参加していった。それが終わると、月島が制服をつまんで名残惜しそうに口を開いた。

「これ着るのも今日で最後かぁ。なんだか寂しいぜ」


「もうちょっと着ていたかったね」高瀬は同意する。「大学は私服登校だから、新しい服を一通り買い換えなきゃな」


「あたしたち、女子高生じゃなくなるんだ」柏木はムンクの叫びのような顔をする。「一ヶ月後には女子大生なんて、シンジラレナーイ」


「すぐに慣れるっての」と月島は言った。そして茶化すようにヨッ大学生、と柏木を呼び、それからはっとして俺の顔を見た。「す、すまん神沢。気を悪くしたら謝る」


「いいっていいって」と大学生になり損ねた俺は言った。「今さら変に気をつかわないでくれ。もう気持ちの整理はついた」


 月島は肩をすくめた。「それにしても五人のなかでいちばん大学に行きたがっていた神沢だけが進学せずに、他の四人がみんな進学するなんてね。世の中、わからないもんだ」


「まぁみんな。俺の分もキャンパスライフを楽しんでくれ。イヤミじゃないぞ。心からそう思ってる」

 俺がそう言うと、意図に反してしんみりした空気になった。俺は発言を後悔したが、他に何を言えばいいかわからなかった。


 やがて月島が時計を見て、慌てだした。

「最後くらいもう少しおしゃべりしていたいけど、この後ママパパと家族会議なんだ。月島庵のこれからについてじっくり話し合わなきゃいけない。そろそろ行かなきゃ」


「いつの間にかこんな時間だ」高瀬もそわそわしだした。「まなととの結婚に先立って、午後から周防家の人たちと顔合わせがあるんだ。私も行かなきゃ」


 柏木はスマホを見て目を見開いた。「えっ!? いずみ叔母さんの陣痛が始まったって! こうしちゃいられない。あたしも行かなきゃ!」


 三人は誰からともなく顔を見合わせた。目だけで何かを語り合い、目だけで何かを確認し合った。


「というわけなので」と月島が代表して言った。「私たち、もう行くね」

「ああ」と俺は言った。「みんな、元気でな」


 三人は俺に対し、を言いたそうな表情をした。でも俺の目を見て結局何も言わなかった。彼女たちはこちらに背を向けた。そして卒業証書の入った筒を手に、それぞれの道へ旅立っていった。俺はその後ろ姿をまばたきもせず見つめていた。


「幸せになれよ――」

 気づけばそんな言葉が口をいて出た。やがて三人の姿は完全に見えなくなった。


「悠介」ずっと黙っていた太陽がやっと口を開いた。「この後、ちょっといいか?」

「ああ」時間ならあまるほどある。「どうしたんだ?」


「ちょっと付き合ってほしい場所がある」

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