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第118話 この物語はこれで終わりじゃない 5


 卒業式前日の放課後、俺は町外れにある遊園地跡で、あいつが来るのを待っていた。


 もうほとんど雪はとけていたけれど、空を分厚い雲が覆い尽くしているところを見ると、どうやらこの後まとまった量の雪が降りそうだった。


 なんの気なしに俺はあたりを見渡した。塗装が剥がれて馬か牛か見分けのつかないメリーゴーラウンド。水と時の止まった噴水。色褪せて帽子の色がみんな同じになった七人の小人と思しきオブジェ。始まらないパレードを予告するむなしい立て看板。


 もちろん自分以外に人の姿はない。俺の出した答えを聞く場所として、三年前に廃業したこの遊園地跡を指定したのは彼女だった。なんだっていったいこんな殺風景な場所をあいつは選んだりしたのだろう?


 そんなことを考えていると、正門ゲートの向こうにかたちのきれいな頭が見えた。今日もショートカットがよく似合っている。彼女は俺と目が合うとにっこり微笑んだ。そしてこちらに歩いてきて、顔を見上げた。

「ひっどい顔。さてはきのう、一睡もできなかったな?」


 図星だった。「さすが月島だ。するどいな」


「そりゃあね。中学の時から見てる顔ですもの」と彼女は得意になって言った。「他にもね、かわいい娘のパンチラが見えてラッキーと思ってる時、一人エッチのオカズを探している時、美人教師との課外授業を妄想している時なんかも顔を見ただけでわかるよ」


「人が年がら年中ヤラシイことばっかり考えてるみたいな言い方すんな」


 月島はくすっと笑った。

 俺も可笑しくて笑った。そしてもう一度あたりを見渡した。

「なぁ。どうしてわざわざこの場所で答えを聞きたかったんだ?」


「どうしても何も、だってここが、キミのことを好きになった場所だから」

「どういうことだ?」


「もしかして覚えてない? ほら、中一のとき、バス遠足みたいなのでここに来たでしょ。あの頃はまだ営業していてお客さんで賑わってた」


 あいにく孤独をきわめた中学時代のことは、ほぼすべてと言っていいほど記憶に残っていなかった。俺は首をかしげた。


「それじゃ、あれに乗ったことも忘れてる?」月島は船を模した大型ブランコのアトラクションを指さす。「たまたま私たちは隣同士の席になったんだ。船が動き出した直後、私はとんでもないことに気がついた。シートベルトが完全に装着できていなかったの。それで私は大パニック。するとキミは隣から『俺につかまれ』って言ってくれたの。『絶対に離れるな』って。私は目を閉じてキミの体に抱きついた。船が動いていたのはせいぜい三分くらいだったかな? でも私にとっては長い三分間だった」


 俺はそのときのことをはっきりと思い出した。たしかにそんなこともあった。それは記憶の片隅に残っていた。異性と三分間も体を密着させるなんて言うまでもなく生まれて初めての経験だったからだ。俺にとっては短い三分間だった。


「たしかおまえ、あのとき『なむあみだぶつ! あぶらかたぶら! くさりかたびら!』とかわけわからんことずっと叫んでたよな?」


「しょうがないだろ、死ぬかと思ったんだから」月島は顔を赤くする。「とにかく、無事に船から下りると、なんとなくキミのことが気になる存在になってた。それはつまりさ、恋ってやつだよね。だからここは、私にとって思い出の場所なんだ」


 それから18歳の彼女は、クルマの免許をどうするかとか、髪を伸ばそうかなとか、そういうとりとめのないことをしばし話し続けた。世間話がしたいというよりはむしろ、俺から答えを聞くのを先延ばしにしたいようだった。


 やがて話題が尽きてもう一度免許の話になりかけたところで、ついに雪が舞い始めた。俺は頃合いを見計らって口を開いた。

「月島。そろそろ、本題に入らないと」


「そう、だよね」彼女は唇をまっすぐに結び、それから姿勢をととのえた。

 俺も姿勢をととのえた。そして彼女の目を見た。その時だった。


「え?」


「いやだ」

「おい、俺はまだ何も言ってないぞ?」


「ない」

「はい?」


「雰囲気がぜんぜんない」と月島は言った。「なんかこう、メリーゴーラウンドに光が灯って回転しだしたり、噴水が起動して勢いよく水を噴射したり、七人の小人が私たちのまわりで歌を歌い出したり、祝福のパレードが始まったり、そういう、コングラッチュレーション的な雰囲気がぜんぜんない。いやだ。こんなムードで答えを、聞くのは、いやだ」


 そう言われてしまったら、俺は何も言えない。だから黙った。黙ってしばらく時間が経った。いつしか雪は本降りになりかけていた。そのうち月島が静かに口を開いた。


「取り乱して、ごめんよ。私が悪かった。キミは考えに考え抜いてその答えを出したんだもんね。それを聞かないで逃げるのは、失礼ってもんだ」


「――話して、いいのか?」


 月島は小さく、でもしっかり、うなずいた。


 俺は一睡もせず考えた言葉をゆっくり口にした。

「月島。おまえには感謝しかない。なんてったって命を絶とうとした俺に『生きなきゃ』って声をかけて、救ってくれた恩人だ。おまえがいなきゃ、今の俺もない。それに迷う時はいつも冷静で的確なアドバイスをくれたよな。何度助けられたかわからないよ。おまえと会話しているといつも笑っていた記憶がある。松任谷先生の言うとおりなんだろうな。おまえとの未来で俺はよく笑ってるんだろうな。それは幸せな未来だよな。でも――」


 でも、と俺は胸が痛むのを感じながら繰り返した。


「でも、ごめん。俺はおまえと一緒に東京には行けない。月島庵の15代目にはなれない。俺は別の道に進む。月島。これまで、ありがとう」


 彼女は息を吐き、前髪を手でクールに払い、それからぎこちなく微笑んだ。

「うん。まぁ正直言うと、ゲートで目が合った時点でそう言われるのはなんとなく予想がついてたんだ。さっきも言ったでしょ。顔を見ただけでキミが何を考えてるかわかるって。あの時のキミは、月島に会いたくないな、って顔をしてた」


 さすがだな、と俺は心で言った。


「そうか。それがキミの答えか。いろいろ言いたいことはあるけど、あんまり四の五の言うのは私らしくない」そうつぶやいて月島は、例の船のアトラクションをぼんやり見つめた。「この場所で始まった恋がこの場所で終わる。うん。それはなんだか私らしいや」


 俺は何も言えなかった。ただただ目の前を舞う雪を見ているだけだった。


「神沢。キミの選択について私はとやかく言うつもりはない。ただ、これだけは約束してほしい。手紙にもしたためたけど、どうか、幸せになる未来を選ぶんだよ。いいね? お姉さんの、最後のおせっかいだ」


 俺がうなずくと、彼女は両手を広げた。そしてこう言った。

「それじゃ、お別れの、ハグ」


 俺は万感の思いを込めて月島の華奢きゃしゃな体を抱きしめた。無論、彼女が納得いくまでそうしているつもりだった。しかし何事にも限度というものがある。彼女はいつまで経っても俺の体から離れようとしなかった。


「なぁ月島。そろそろ、な?」

 彼女は首を振った。「、って言った」


「勘弁してくれよ。もう六年も前のことだぞ」俺は声を震わせ、どうにか言葉を絞り出す。「あんまり困らせないでくれよ。俺だってつらいんだぞ」


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