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第118話 この物語はこれで終わりじゃない 2


「よし! 真芯でとらえた! 行け! 飛べ! よっしゃ! 入った!」

 豪快なホームランをレフトスタンドへ放り込んだ太陽は、コントローラを置いてチームメイトの俺とハイタッチした。


 柏木の見舞いに行った翌日の放課後、俺たちは三年間秘密基地として使ってきた旧手芸部室の掃除と片付けをしていた。その最中、ゲーム機はどうするという話になり、気がつけば俺・太陽、高瀬・月島チームに分かれ野球ゲームで対戦していた。


 はじめは一戦だけのつもりだったのだが、あれよあれよという間に先に四勝した方が勝ちというまるで日本シリーズのような様相を呈してきた。かくして両チームとも三勝三敗で迎えた最終戦。太陽のホームランで二点差をつけた俺たちの勝利が近づいていた。


 柏木はやはりまだ体調がすぐれないのか、あるいは俺への怒りが収まらないのか、結局今日も授業に顔を出さなかった。


「おい悠介。わかってるな」最終回。ピッチャーを操作する俺に、太陽が耳打ちしてきた。「これまでの戦いぶりを見てると、嬢ちゃん方は曲がる球に弱い。ストレートは使わず、変化球で勝負しろ」

「まかせとけ」


 そこで次のバッターを操作する月島がぼそっとつぶやいた。

「神沢のどこがいいって、曲がったことが嫌いなところだよなぁ、うん」


 そんなことを聞いてしまったら、曲がる球を投げるわけにはいかない。緊張からか高めに浮いたストレートは、センター前に弾き返された。


 次は高瀬の番だった。彼女はコントローラーを握ると、独り言のようにこう言った。

「なんだかんだ言っても私はやっぱり、まっすぐな男の人が好きだなぁ」


 そんなことを聞いてしまったら、まっすぐを投げるしかない。動揺からか甘めに入った直球は、痛打され三遊間を抜けていった。


 太陽がたまらず口を開く。「おい! ずるいぞ! ささやき戦術はやめてくれ。悠介がこういうのにめっぽう弱いの、知ってるだろ!」


 高瀬と月島は意に介さず、しめしめという顔でアイコンタクトした。そこから俺は何も聞こえないふりをしてなんとか二人の打者を抑えた。


 勝利まであとアウトひとつ――というところで、背後のドアが開いた。振り返るとそこには、制服を着た柏木が立っていた。

「ハロー。みんな、元気してた?」


 体調を気遣いたいのは、むしろこっちの方だった。

 月島が目を見開く。「あんた、もう体は大丈夫なの?」


 柏木はなんの問題もない、という風に全身を使ってフラメンコを踊った。それから目ざとくゲーム画面を見つけ、小走りで近づいてきた。「おー! おもしろそうなことやってるねぇ。しかも一打逆転サヨナラのチャンスじゃない。よし。代打、あたし。優里、月島。ここはあたしに任せて」


 柏木はコントローラーを月島から受けとると、俺の隣にでんと座った。俺には彼女にひとつ聞いておきたいことがあった。

「なぁ」と俺は耳元でささやいた。「もう怒ってないのか?」


「怒ってたら来ないでしょ」と彼女は俺の顔をしっかり見て言った。「それはそうと、まさか心臓手術明けの女の子相手に、ストライクゾーンからボールになるフォークとか、ボールゾーンからストライクになるスライダーなんて投げないよね。命の恩人さん?」


 そんなことを言われてしまったら、ストレートをストライクゾーンに投げるしかない。柏木はその球をたやすく真芯で捉え、見事バックスクリーンへ放り込んだ。勝利した三人娘は黄色い声を上げて歓喜した。


「悠介」と太陽は呆れて言った。「おまえさん、誰を選んでも尻に敷かれるぞ」

「そんなの、とっくの前にわかってる」と俺は小声で返した。


「さて、そろそろ仕事を再開するぞ」太陽は気を取り直し、コントローラーをほうきに持ち替えた。そして備え付けの棚を見渡した。「とはいっても、もうほとんど片付いていて、あとはをどうするか、だけなんだけどな」


 俺たちも棚を見渡した。こいつら。これまでの冒険の証のことだ。11個ある。


「この三年間、いろいろあったねぇ」柏木がしみじみ言う。

「これだけの季節を越えてきたんだねぇ」高瀬がしんみり言う。

「そりゃ歳もとるわけだ」月島がシニカルに言う。


「せっかくだから振り返ってみようか」

 高瀬はヒカリゴケの入ったシャーレを手にとった。

「一年生の春はみんなと出会った季節。林間学校で行った山で私と神沢君が遭難しちゃって、避難した洞窟でたまたま見つけたのがこのヒカリゴケ。壁一面にエメラルドグリーンが広がる神秘的な光景は一生忘れないな」


「夏はみんなでバンドを組んでフェスに出たね」

 柏木は特別賞のトロフィーを持った。

「まだ葉山君はドラマーを目指していた頃だ。月島が仲間になったのもこの夏だったね」


「消したい過去だ」と月島は冗談めかして言った。


「消したい過去といえば」

 太陽はバツが悪そうに、ロケットペンダントに手を伸ばす。

「一年の秋のことだったな。星菜せいなのやつに一度ならず二度までもオレが騙されたのは。みんなにはみっともないところを見せちまった」

 彼はペンダントにあしらわれている太陽と星を見つめ、自嘲の笑いをもらした。


「しかしよく描けてるねぇ。さすが売れっ子漫画家ですわ」

 月島が感心して手にとったのは、俺と高瀬の似顔絵が描かれた吉崎アゲハのサイン色紙だ。


「一年生の冬はしんどかった」と俺は当時を思い出して言った。「タカセヤとトカイの合併が前倒しになるのを防ぎたければ、タカセヤ西町店の売上げを20%上げてみせろ、だもん。高校生に課されるタスクじゃないよ。あのオバチャン――吉崎アゲハの協力がなければ、今頃どうなってたかわからない」


「無事に前倒しの話が消えて、二年生に進級」

 高瀬はモップの首輪とリードを両手で持った。

「春にはみんなで学校の幽霊騒ぎを調査したよね。モップも連れて。このリードを持ってたくさん歩いたな。文字通り、冒険の証だ」


「夏は私たち三人、東京でアイドルになったね」

 月島は城之内柚の引退マイクを握りしめる。

「私個人としては仲違いしていた友達のユズと関係を修復できたり、火事で燃えちゃった実家にみんなで一ヶ月過ごしたり、なかなか思い出深い季節でござる」


 11個のなかで唯一棚に収まらなかったのが、二年生秋の証だ。無理もない。なぜならそれは鎧だからだ。俺は仰々しく鎧立てに飾られている騎士グレイの鎧に触れて苦笑いした。

「学園祭で劇をやったんだよな。高瀬が台本を書いて、俺が騎士役、柏木が踊り子役だった」


 太陽が肘で小突いてくる。「あの時は高瀬さんと柏木の仲が悪くて、板挟みになっていた悠介はずっと『胃が痛い』って言ってたよな」

「騎士なのにね」と月島が皮肉っぽく言った。


 柏木が口を開く。「そのうえボクシング部の生徒に殴られて、一発KOだったよね」

「騎士なのにね」


「次行くぞ、次」

 俺は鎧から離れて、棚から唯の絵日記帳を手にとった。

「あの冬もしんどかった。なんせ騎士の次はパパ、だからな。三人のママの協力には、今でも感謝してる」


 太陽が天を仰いだ。

「まひるの事故があったのもあの冬だ。あの時から俺はドラマーになる夢を諦めて医者を目指すようになったんだ。ユイ坊がドラマーの夢を引き継いでくれたが、果たして、どうなるかな……」


「さてさて、ついに三年生だね」

 柏木は進路希望調査票の入ったがくを持った。調査票には欄の存在を無視してでかでかと〈死ぬまでとことん生き抜く!〉と書かれていた。

「死んだバカ親父とあたしが同じ病気を発症しちゃったのがこの春だったねぇ。生きなきゃね。いや、生き抜かなきゃね」


 手術後の彼女からその言葉が聞けただけで俺は感無量だった。柏木は額を戻して、次にポケットティッシュを手にとった。それはあろうことか金ピカの台座の上に鎮座していた。「11個のなかでいちばん問題アリなのが、これだよね。『ヒーローインタビュー 今日のおち台 コンパニオン募集!』だって。アホくさ」


「失礼な!」

 月島がそれを奪い取る。

「こんなんでも、私にとっては男の人から受け取ることができた記念品だぞ。前は男の声を聞くだけで身震いしていたことを考えると、この三年間で男性恐怖症もだいぶ克服できた」


「ついにラストだ」

 高瀬は感慨深そうに、鳥海慶一郎逮捕の記事を貼り集めたコルクボードを持った。

「これは語るまでもないよね。記憶に新しい。だってこないだの秋だもの」


「トカイとの戦いに終止符を打つ」と柏木が勇ましく言った。

「ファックユー!」月島は記事の鳥海慶一郎に中指を立てた。


「しっかしこうして振り返ってみりゃ、本当に冒険だったなぁ」太陽がみんなの気持ちを代弁する。「さて。こいつらをどうしようか? ここに置いていくっていうわけにはいかん。でも捨てるっていうのも、なんだかなぁ……」


「関わりのある人が持ち帰ればいいんじゃないか?」と俺は提案した。「たとえばペンダントは太陽、ポケットティッシュは月島、って感じで」


「オレはゴメンだ。つらい過去を思い出しちまう」

「私もいいや。記念品ではあってもそんなティッシュがあったら親に誤解される」

 高瀬と柏木も二人に続いて難色を示した。


「悠介が全部持ち帰ればいい」と太陽は言った。

「はぁ?」


「11個の証、全部に関わりがあるのは、おまえさんただ一人だ」

「そりゃそうだけど」俺は例の仲間外れに触れる。「こいつはどうすんだよ?」


 柏木はそれをいとも簡単に解体してみせた。

「しょせん劇の小道具の鎧だもん、分解すれば持ち運べるよ」


 どうやら俺に拒否権はないようだ。まぁ、捨てるくらいなら引き受けてやろうというほどには、どれも思い入れがある。


「みんな、大事なことを忘れてない?」とそこで言ったのは月島だ。「11個じゃ足りないじゃん。三年×四季なんだから12個じゃん。この冬の冒険の証は?」


「あ」柏木が口を開ける。

「あ」俺もつられてあんぐりする。


 太陽は今一度11個の証を見て腕を組んだ。「たしかにこの冬は、これっていうモノがないな。どうする、今から寄せ書きでもするか?」


「そんなことしなくても、あるよ」と高瀬が言った。「うん、ある。それも今、この部屋の中に。いや、って言った方が正しいね」


 きょとんとする四人。高瀬は続けた。

「心臓の手術が成功して晴香が今日ここに来られたこと。それ以上の証って、ないんじゃないかな?」


「たしかに」月島が唸る。

「最後の証は柏木自身か」太陽はうなずく。「なるほどな」


「なんだか照れるな」当の柏木はまんざらでもない。「ねぇ悠介。そんなわけであたしも冒険の証だから、お持ち帰りしていいよ」

「言い方、な」と俺はやんわり注意した。


「よし。これで片付けも終わりだ」太陽は寂しそうな声を出す。「三年間世話になったこの部屋とも今日でお別れだな。そうだ。新年度から手芸部が復活するそうだ。春からは、また手芸部室だ」


 記憶に留めるようにそれぞれが部屋を見渡した後で、三人娘は顔を合わせ、それから月島が口を開いた。

「神沢。あまりこういうことは言いたくないんだが、さすがに言わなきゃいけない。いい加減、そろそろ決めてほしい。誰と一緒の未来を選ぶのか。あさっては卒業式だ。私たちもスッキリしてこの学校を旅立ちたい」


「いや、本当に申し訳なかった」と俺は心から自分の不甲斐なさを詫びた。そして三人の顔を順番に見た。「実はもう、答えはほとんど出かかってるんだ。今日はこの後、本当にその答えでいいのか、家で自分に問うよ。ちょうど11個の冒険の証もあることだしな。こいつらと一緒に、じっくり考える。そして明日、出た答えを一人一人にきちんと伝える」

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