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第117話 明日、晴れたら 1


 五人とも“サクラサク”最高の結果に終わったこの日、俺たちは朝まで遊び倒す馬力をつけるべく、まずは焼肉食べ放題の店で腹ごしらえしていた。


「すごいことに気づいちゃった」と柏木が言い出したのは、全メニューをみんなで制覇した後だった。五人で円卓を囲んでいる。「あたしたち、全員が大学に受かったから、将来的におもしろいことになる可能性があるよ!」


「おもしろいこと?」と俺は抹茶アイスを食べながら聞き返した。

「そう。みんなも考えてみてよ」


 受験勉強から解放されたばかりの俺たちは、今日くらいはあまり頭を使いたくなかった。四人ともさほど考えずに首を振った。


「それじゃ、ヒント」と柏木は言った。「獣医さん。政治家。翻訳家。お医者さん。小学校教師。この五つの職業に共通することって、なぁんだ?」


「あー!」高瀬は手を叩く。「なるほど。そういうこと」

「そういうこと」柏木は指を立てる。「正解は、あたしたち五人とも、将来的に『先生』って呼ばれる職業につく可能性があるの。おもしろいでしょ」


「言われてみれば、たしかにそうだ」月島は感心したように微笑む。それからさっそく右隣の太陽に、なんだか客室乗務員っぽい口調で話しかけた。「お客様のなかに、お医者様はいらっしゃいませんか?」


 太陽は照れながらも挙手する。「わ、わたしは医者です。葉山と申します」

「それでは葉山先生、エコノミークラスまでおいでください。ご案内いたします」


 太陽はまんざらでもなさそうだ。その目は気づけば右隣の俺に注がれていた。しゃがれ声を出す。

「神沢先生、オラの大事なポチ公・・・を助けてくれてありがとなぁ。こんな犬っころでも、オラのせがれみたいなもんなんだわ。今度うちの畑でとれたかぼちゃ持ってくるから、食べてけれ」


「なんだよ、この流れは」とはいえ、先生と呼ばれるのは悪い気がしない。俺も右隣にこのバトンを渡さなきゃいけないんだろうか? いけないんだろう。右隣では翻訳家志望が瞳を輝かせている。

「高瀬先生」と俺はやむなく編集者になりきる。「先生が訳を担当した最新刊、売り上げが絶好調じゃないですか。出版界に新風が吹いたと、もっぱら評判ですよ」


 高瀬の得意そうな顔といったらなかった。彼女は太るからという理由で敬遠していた牛カルビをうまそうに食べてから口を開いた。

「柏木先生、六年間ありがとうございました。先生のおかげで、楽しく小学校生活を送れました」


 柏木はすっかり鼻を高くした。そして右隣の月島になにか菓子折のようなものを渡す仕草をした。

「やぁやぁ月島先生。いつもお世話になっております。ぜひ、今度の発注工事の件もお取りはからいいただけると助かります……」


「うむ、任せておきたまえ――」おぬしもなかなか、と言いかけて月島は首をかしげた。「いや、私だけ、悪い先生やんけ」


 ひとしきりみんなで笑い合った。それから太陽がしみじみと口を開いた。

「それにしてもよ、未来ってやつはわかんねぇな。一年の頃は大学を志望していたのは悠介と高瀬さんだけだった。それからなんのかんのあって五人とも受験することになった。で、全員合格。高校に入ったばかりの自分に、こんな未来が待ってるって言っても、絶対信じねぇだろうな」


「葉山君、すごいよ」と高瀬は賛辞を送った。「だって一年前の冬まではまったく勉強しないで本気でプロのドラマーを目指していたんだから。そこからがむしゃらに努力して医大に現役合格だもの。正直、受かると思ってなかった」


「ははっ、オレはほら、地頭が良いから」かつて神童と呼ばれた男が言うと、鼻につかない。かえってすがすがしい。「でもよ、オレよりすごいのは、月島嬢だよ。入試直前に東京の実家のせんべい屋さんがああいうことになっちまったっていうのに、それでも難関私大の難関学部に受かるんだから。たいしたもんだ」


 火事で実家を失った月島は手を振って謙遜する。「私なんか足下にも及ばないですよ。ある人・・・に比べれば」

 高瀬は微笑む。「なんだかんだ言っても、いちばんすごいのはあの人・・・だよね」

「完全に同意」柏木は目を細める。「ホントによくがんばった。


 そこで太陽が隣から肩に手を置いてきた。

「悠介。みんなの言う通りだ。おまえさんが結局一番すげぇよ。オレたちは大学に行こうと思えば学力さえ伸ばせばよかった。でも悠介だけは違った。おまえさんは学力を伸ばしたうえで、さらに学費まで自分でまかなわなきゃいけなかった。実際、一年の春からずっと遊ぶのをガマンして居酒屋で働いてこつこつ金を貯めてたんだもんだ。すげぇよ。オレがもし悠介と同じ境遇だったら、大学を目指そうなんて到底思わん。ましてや獣医学部なんて。本当によくやった。誇りだよ、おまえは」


「やめてくれ」俺はくすぐったくて仕方なかった。「結局バイト代だけじゃ全然足りなくて、高瀬の新人賞の賞金に頼らなきゃいけないんだ。そんな立派なもんじゃないって」


「カレー」と高瀬はつぶやいた。「晴香、覚えてる?」

「もちろん」柏木はうなずいて、こう言い直した。「決意のカレー」


「なにそれ?」月島が聞く。


「一年生の春にね、あたしと優里で悠介の家に押し掛けたことがあったの」と主犯の柏木は言った。「その時どっちもお腹がすいていて、なんか作ってって言ったら、悠介がカレーを作ってくれて。あたしたちが食べているのを見ながら、悠介語ったの。大学を目指すのはとても厳しい道のりになる。俺の前には大きな壁がある。でも――」


「でも」と高瀬が引き継いだ。「でも、たとえ行く先が行き止まりだとわかっていたって、走り続けていたいんだよ。レールが続いている限りは」

「俺、そんなキザったらしいこと、言ったか?」


「言った言った!」とふたりは声をそろえて言った。俺はくすぐったさが限界を迎え、服の上から身体中をきむしった。


「なにもそんなに恥ずかしがることないのに」高瀬は平然と言う。「走り続けた結果、行き止まりを突破してみせたんだから。堂々としていていいんだよ」


 柏木はその流れで何かを言いかけて、やめた。太陽は彼女の言いたかったことを代弁するように口を開いた。

「あのな悠介。おまえさんと高瀬さんが鳴大で合格発表を見ているその時、オレたち三人も高校のアジトでスマホから鳴大のサイトを見ていたんだ。悠介の受験番号8739を見つけてからというもの、柏木はしばらく涙が止まらなかったんだぞ。よかったよかった、って言って」


「そ、そりゃ泣くよ! 悠介がこの三年間、この夢を叶えるためにどれだけ苦労してどれだけ努力してきたか知ってるから! カレーの日以来ね!」


 ♯ ♯ ♯


 食いたいだけ食って腹ごしらえも済んだので、俺たちは思う存分遊ぶことにした。今日くらいはハメを外してよかった。カラオケボックスで歌いたいだけ歌い、ボーリング場で倒したいだけ倒し、ダーツ場で投げたいだけ投げた。


 ダーツ場でははからずも柏木と二人きりになるタイミングがあった。高瀬と月島は軽食とドリンクを注文しにカウンターへ、太陽はトイレへ行っていた。


 スローイングの練習をしていると、柏木が声をかけてきた。

「ねぇ悠介。鳴大の獣医学部には入るんでしょ?」


 俺はあることを思い出し、返答に窮した。


「どうしたの、黙っちゃって」

「いや、ほら、


「ああ、例のあれね」柏木は理解が早い。「高校を卒業したら悠介は大学に通う。あたしは心臓の病気の治療法が確立するのを待ちつつ、居酒屋経営の勉強をする。そして四年後。悠介が大学を卒業してあたしの病気が完治したら、結婚して一緒に居酒屋をやろう。そして幸せな家庭を築こう――ってやつ」


「俺がおまえを選ぶなら、そういう未来にしようっていう約束だったよな? 治療法は四年以内に確立される見込みが高い。でも獣医学部は四年じゃ卒業できないんだよ。最低でも六年かかるんだよ」


 それを聞くと柏木はあっけらかんと笑って、俺の背中を叩いた。

「大丈夫。悠介があたしを選ぶんなら、二年くらい待ってあげるから。そこは臨機応変にいかないと。べつに獣医学部を出たからといって、絶対に獣医さんにならなきゃいけないっていう決まりはないんでしょ?」


 俺はうなずいた。農学部を出たからといって、みんながみんな農業を営むわけではないのと同じだ。


「だったら悠介。迷わず鳴大の獣医学部に入りなさい。いい? あたしのことを考えて鳴大に入らないなんてあたしが承知しない。せっかく努力が実って合格したんだから、胸を張って行きなさい。いいね?」


「本当にいいのか?」


「あたしはこれまでけっこうワガママ言って悠介のこと振り回してきたけどさ、やっぱり、悠介がいちばん進みたい道に進んでいるのを見たいよ。あたしは自分がその壁・・・になりたくない。だって、ずっと、壁を壊してきたんだもん。悠介は」


 ♯ ♯ ♯


 それから数日後、鳴大から正式に合格通知が届いた。入学手続きの案内や入学金・授業料の振込用紙も同封されていた。ヤギに扮した学長の「鳴大で未来をはぐくメェ~」という涙が出るほどありがたいお言葉もあった。


 ようやく春から大学生だという実感が込み上げてきたところで、高瀬から連絡が入った。


「大事なものを手渡したいので、鳴大のキャンパスまで来てください」


 大事なものとはなにか、おおかた予想はついたが、やはり高瀬は徒歩やバスではなくタクシーでやってきた。そして案の定バッグを我が子のように胸に抱え、こちらへ最短距離で一直線に走ってきた。そうなるのも無理はない。バッグの中には大金が入っているからだ。途中でもしひったくりにでもったら、一人の獣医志望の未来が閉ざされてしまう。


「合格通知、神沢君の元にも届いたでしょ?」と彼女は言った。

「鳴大で未来をはぐくメェ~」と俺は言った。

「あれ、おもしろいと思ってるのかな?」

「さぁ」俺は首をかしげる。「なにはともあれ、今回は手違いがなくてよかった」


「私はもう入学手続きを済ませちゃった。お金も振り込んだし。これで春からこの大学の学生になれる」

 高瀬は感慨深そうに大講堂を眺めてから、バッグに手を入れた。そして中から分厚い封筒を取り出し、それを俺に差し出した。


「はい、どうぞ。『未来の君に、さよなら』で新人賞をとって獲得した賞金です。神沢君が三年間居酒屋でバイトして貯めたお金にこのお金を足せば、ここの獣医学部に六年間通えるよね。受け取って」


 ものがものだけに、そう簡単に手を伸ばすことはできなかった。温泉旅行のみやげとはまるでわけが違う。

「あのさ、高瀬。その……本当にこんな大金をもらっちゃっていいのかな?」


「いいんだよ」と彼女はためらいなく答えた。「神沢君は私とトカイの結婚を阻止するって約束した。あれはお金では解決できない問題だった。でも神沢君は解決してくれた。約束を守ってくれた。それは値段が付けられないくらい価値のあること。だから今度は私が約束を守る番。お返しとしては、安いくらい。だからお願い、受け取って」


「でもな、冷静になると、いくらなんでも……」


「神沢君ならそう言うと思った」と高瀬は言った。「だから敢えてわざわざ鳴大のキャンパスまで来てもらったの。よく見て。ここはずっと夢見てきた場所でしょ? 春からここの学生になりたくないの? このお金を受け取ることにそんなにやましさを感じるなら、出世払いで返してもらってもいいから。さ、遠慮なく受け取って」


 そこまで言われたら、俺は封筒に手を伸ばすしかなかった。

「ありがとう高瀬。この金はいつか必ず返すから」


 彼女はにっこり微笑んだ。「さて。本当ならこの後キャンパスデートでもしたかったところだけど、ちょっと一仕事あるから帰るね」


「一仕事?」

「私、卒業式で三年生240人を代表して答辞を読むことになって。だからスピーチの内容を家で考えなきゃいけないの」


「さすが優等生だな」

「本当に思ってる?」高瀬はいたずらっぽく言って、キャンパスの外へ歩き出した。「神沢君も寄り道せずまっすぐおうちに帰りなさいよ。くれぐれもそのお金で遊んだりしないようにね」


「わかってますよ」


 彼女の姿が見えなくなると、俺はほっと息をついた。これで入学金と授業料を振り込めば、晴れて春からは鳴大生だ。もう俺の未来を阻む壁はない。


 それでも一つ気がかりなことがあった。俺はもちろんあの言葉・・・・を忘れたわけじゃなかった。「君たちにはそれぞれ、望む未来を手にするための最後の試練が待っているようだ」と未来が見える松任谷先生は言った。


 事実、月島は実家のせんべい店が火事で全焼し、高瀬は父親のスキャンダル記事が世に出そうになった。では、と疑問が浮かぶ。では俺の場合は? そして柏木の場合は? もう卒業まで数日というこの状況で、いったい何が起こるというのだろう?


 そこまで考えて俺ははっとした。何も起こらないという可能性だってあるじゃないか。松任谷先生は神様のような力を持っているが神様ではない。あくまでも俺たちと同じ人間だ。あの人にだって間違いというものがあるはずだ。


 実際、彼は「必ずしも正確な未来が見えるわけではない」と話していた。まったく関係のない蝶のはばたきひとつが未来を変えることがあるのだ、と。


 どうも俺はものごとを悲観的に考えすぎる傾向がある。鳴大にも受かったことだし、これを機にちょっとくらい楽観的になろう。うん、そうしよう。


 きっとまた、どこかで蝶がはばたいたのだろう。俺と柏木が秋に恋人同士になったことで、先生の娘がみずから命を絶つ未来が変わったように。


 しかしこれは楽観のしすぎというものだった。松任谷先生は間違った未来を見てなんかいなかった。


 この時もうすでに、それは始まっていた。

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