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第115話 だって君は運命の人だから 4


 さすがに現代日本の空にフェニックスは飛んでいなかったので、俺は乗る飛行機を一便早めることにした。


 東京から日帰りで地元に戻ってタカセヤ本社が見えてくる頃には、時計は夜の8時をまわっていた。俺の頭の中はいくつかの疑問がぐるぐるまわっていた。


 どうして高瀬は受験勉強の時間を互いにくことになるのに俺を呼び出したのだろう? その場所はどうしてタカセヤ本社でなくてはならなかったのだろう? どうして自宅ではいけなかったのだろう?


 わからない。さっぱりわからないけれど、とにかくなにかしらのトラブルが起こったことだけはたしかだ。


 息も絶え絶えに本社前についた俺は、ただ一室だけ明かりが灯る二階の社長室を目指して、社屋に足を踏み入れた。



 社長室では社長とその娘がガラステーブルを挟み、ソファで向かい合っていた。こころなしか娘が父親をにらみつけているように思えた。俺は高瀬に睨みつけられたくないので、彼女の隣に腰を下ろした。


 社長の直行なおゆきさんはいかにも仕立ての良さそうなスーツを着ていたが、ネクタイは外していた。俺と目が合うと彼はまるでそれまでの話を逸らすように、こう言った。

「おう悠介。なんでもおまえ、ついさっきまで東京にいたらしいな? 受験生だというのに、なんのために日帰りで東京に行ってたんだ?」


 娘さんをくださいと月島家の人たちにお願いしていました。口が裂けてもそんなことは言えない。月島の書いた台本通りのセリフを口にしただけだがそういう問題ではない。俺はごまかし笑いするしかない。

「ええ、まぁ、ちょっと野暮用が……」


「月島さんっていう女の子のためなの」高瀬は隣でけろりと言った。「お父さんもニュースで知ってるでしょ? 江戸時代から300年続く東京の老舗せんべい店が火事で全焼したって。月島さんって、そこの子なの。美人だよ。彼女の夢は実家のお店を再建すること。跡取りがいなくてそもそも廃業寸前だったところにこの火事。神沢君は彼女の夢を途絶えさせないために東京に行ってたの。このタイミングでわざわざ東京へ行くなんて、それしかないもんね、神沢君?」


 帰ります。そう宣言しようとした俺の体をソファに張り付けたのは、直行さんの釘のような視線だった。

「悠介おまえ、まだ優里を選ぶ決断ができないのか!?」


「まぁまぁお父さん」と高瀬は中立的な声で父親をなだめた。「神沢君にも神沢君の事情があるんだから。あんまり責めないであげて」

「しかし――」


 俺はやっとまともに喋れそうだった。それで高瀬に大事なことを尋ねてみた。

「この件を話すためにここに呼んだわけじゃないだろ? いったいなにがあったんだ?」


 高瀬は思い出したように再びテーブル越しに父親を睨んだ。そしてガラステーブルの上にあった封筒を手にとり、中から写真を数枚出して俺に見せた。


 そこには、立派なスーツを着た中年男が26、7歳のきれいなお姉さんとレストランに行ったり、自慢のBMWでドライブしたり、路上で抱き合ったりする様子が映っていた。


 テーブル越しで直行さんはありもしないネクタイを直す仕草をした。それらの写真に映っている男とは、他でもなくタカセヤ代表取締役社長だった。


 俺はため息をついた。謎が一つ解けた。どうりで高瀬は俺を自宅ではなく敢えて本社に呼び出したわけだ。奔放な姉の明里さんはともかく、貞淑な母の汐里さんの前でこの件について話をするわけにはいかない。


「この女の人は誰ですか?」と俺は写真をテーブルに置いて尋ねた。

「人材交流でうちの社に来た銀行員だ」と直行さんは決まりが悪そうに答えた。そしてこう続けた。「表の顔は」


「表の顔は? どういうことです?」


「お父さん、はめられたの」と高瀬は言った。

「はめられた?」はめたのかはめられたのかややこしいな、などとくだらんことを考えている場合ではない。「美人局つつもたせってことか?」


「目的はお金じゃない。の目的はタカセヤの信頼を失墜させること」

「向こう」


「鳥海慶一郎の逮捕でトカイは大幅に規模を縮小したでしょう? それで市内のスーパーマーケットはうちがほぼ一強みたくなったんだけど、トカイの中には当然それを面白く思わない人たちもいて。写真のこの女は、そういう人たちの息のかかった、回し者だったの」


 俺はあらためて写真を見てみた。女はどことなく母・有希子に雰囲気が似ていた。


 高瀬はカビの生えたパンでも持つように写真を一枚手にとった。

「一地方都市の一企業の社長のスキャンダルなんて、もちろん全国的なメディアはいちいち取り上げない。でもこの地域のローカルメディアなら話は別。ある週刊誌の記者が来て、『この写真で記事を作りますので』ってご丁寧に事前報告していったの」


「ハニートラップにまんまと引っかかったというわけですか」俺は呆れた。「脇が甘い人だ」


 直行さんの顔はみるみる紅潮する。

「悠介、元はといえば、おまえのせいでもあるんだぞ」

「はぁ? なんでですか?」


「有希子がおまえの親父のとおるとやり直す決意をした。そんな話を私に聞かせるからだ。あれ以来私の心にはぽっかり大きな穴が空いてしまった。その女は有希子に少し似ていた。彼女ならその心の穴を埋めてくれると思ったんだ」


「何とんちんかんなこと言ってるんですか」さすがに物申してよかった。「なにが心の穴ですか。直行さん。だいたいあなたには汐里さんという素敵な奥さんがいるじゃないですか。いつまで俺の母親に未練を抱き続けるつもりですか。いい加減、きちんと一人の人だけを愛してあげてくださいよ」


「ふん。三人の女から一人に決められないおまえに、説教される筋合いなどないわ。ダメ男め」

「ダメ男はそっちでしょう?」


「いいや、おまえの方がダメだ。私はまだまともだ。優里はどう思う?」

「直行さんの方がダメだよなぁ?」


「どっちもどっち!」高瀬は一刀両断する。「内輪揉めしてどうするの! ふたりとも落ち着きなさい! このダメ男ども!」


 俺は歯を食いしばった。見れば直行さんも歯を食いしばっていた。


「それでね神沢君」と高瀬は何事もなかったように続けた。「神沢君にここに来てもらったのは、この写真を週刊誌に載せない方法が何かないか、考えてほしかったからなの。私たちもいろいろ考えたんだけど、なかなかこれといったアイデアが出なくて。二次試験の対策に時間をあてたかったよね。ごめんね」


「いやいや」朝から東京に行っていた手前、偉そうなことは言えない。「素朴な疑問なんだけどさ、この件が記事になったところで、そもそもタカセヤは打撃を受けるのか? 市を代表する会社の社長に愛人の一人や二人いたからといって、こんなイナカ街の市民はそんなに驚かないんじゃないの?」


「他業種なら、あるいはな」と社長の顔に戻った直行さんが答えた。「しかしいかんせん我が社はスーパーマーケットだ。昔と生活様式が大きく変わったとはいえ、依然として主たる客層は主婦の方々だ。そしてこの層がもっとも忌み嫌うのが――」


「こういうやつ」と言って高瀬は、若い女にデレデレする父親の写真を再度俺に見せた。「こんなものが週刊誌に載ったりなんかしたら、お父さんの社長退任は避けられない。というか、私たちはこの先この街に住み続けることができない。もし念願の鳴大めいだい合格を果たしても、通うことができなくなっちゃう。それに神沢君がお父さんの運転手をするとか、うちで私たちと一緒に暮らすとか、そういう未来だってなくなっちゃう。松任谷先生が言っていた『最後の試練』って、このことだと思うの。ねぇ神沢君。何か良いアイデアはない?」


「何か思いつかないか?」直行さんが続く。「いくつか失礼なことを言ったのは謝る。我ながら情けないが、今や悠介だけが頼りなんだ。たのむ。タカセヤを――いや高瀬家を――救ってくれ」


 俺は隣と正面から熱視線を感じながら、それについて考えた。目を閉じて考えた。やがて悪魔的な考えを思いついた。

「ひとつだけ、ある」


「おお!」直行さんは文字通り手でゴマをすってくる。「なんだ? どうするんだ!?」


ある人物・・・・の力を借りようと思ってます」と俺は言った。「明日、高校で面と向かって頼んでみます。こいつの力を使えば、きっとなんとかなります」


「ある人物?」高瀬は首をかしげる。「私たちの高校に、この問題を解決できそうな人なんて、いる?」


「一人だけいるじゃないか」彼女が思いつかないのも無理はない。なにしろこれは、禁じ手中の禁じ手だ。「この街の中にかぎっては悪魔的な力を持つ、悪魔みたいな男が」

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