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第115話 だって君は運命の人だから 3


「悠介君。今言ったこと、もう一度言ってくれる?」

 月島の母親のみやこさんは、声を震わせた。


「何度でも言いますよ」セリフの重さに俺の声も震えそうになる。でもがんばる。「僕はすずさんと結婚します。そして、月島庵の15代当主になります!」


 週末、俺と月島は朝一の飛行機に乗って上京していた。明日は学校があるので夜の便でトンボ返りすることになっている。わざわざ日帰りの強行軍ではるばる東京まで来た目的は一つしかない。月島庵を存続させる、唯一で確実な方法を実行するためだ。


 俺たちは月島家の人たちが一時的な仮住まいにしている両国駅近くのホテルで、彼らと会っていた。


「ふぅ!」京さんはまるで、自分がプロポーズを受けたかのようだ。「悠介君。それは、その心意気は、本気なのよね?」


「明日が学校なのにこうして飛行機に乗ってまで、直接このことをみなさんに伝えに来たのがその証拠です」と俺は、月島の書いた台本・・通りに言った。京さんの反応も実は織り込み済みだった。「涼さんから聞きました。新しい家に月島庵ののれんを掲げるかどうか迷っていると。僕が跡を継ぎます。だからどうか、お店を存続させてください。僕は本気です」


 存続派の祖母はていねいに頭を下げた。「悠介さん、ありがとう」


 廃業派の京さんと月島パパのおさむさんは無言で顔を見合わせた。治さんが口を開いた。

「悠介君。どうして急に涼と結婚する気になったんだい? あまりにも唐突すぎやしないかな? はっ! まさか……」


 彼はそこで娘の腹に視線を向けた。そうなるのも月島は読んでいた。取り乱すことなく、用意していたであろうセリフを口にする。

「パパ。言いたいことはわかる。まだ40代でおじいちゃんになる心構えはできていないよね。でもゆう君は、そういう人じゃないから。こう見えても、きちんと順序とかエチケットとかは守る人。信じていいよ」


 こう見えても、とはどういうことだと喉元まで出かかったが、こらえた。これまでの芝居が台無しになってしまう。


 月島の祖母は俺に飲み物を勧めてくれた。それとは対照的に両親はどことなくいぶかしがっていた。

「悠介君」と治さんが言った。「たしか君には、涼以外にも親しくしている女の子がいたよね。うちに――と言っても燃えてしまったけど――おととしの夏休みに滞在していた高瀬さんと柏木さん。あの二人との関係はどうなったんだい?」


 これは想定外の質問だった。俺が言い淀んでいると、月島がそれに答えた。


「あの二人はね、ゆう君に愛想を尽かしたの。どっちも他にイイ男見つけてよろしくやってる。だからなんていうの? 仕方なく私が彼を拾ってあげたって感じ? ゆう君。私には愛想を尽かされないようにしなきゃね?」

「気をつけないとな」と俺はアドリブで言った。「はははは……」


 両親は娘のでまかせを鵜呑うのみにしたようだった。それでもその表情は依然として険しかった。二人で何かを話し合った後で、治さんが口を開いた。

「悠介君。わかったよ。君がそこまで言うのなら、店舗兼住宅として新しい家を建てようと思う」


 それを聞くと月島と祖母は同時に胸に手を当てた。俺も役目を無事に果たしてほっとしたところで、京さんが「ただし」と言葉を続けた。


「ただし、この選択は私たちにとって負担の大きいものになる。住居部分だけを建てるのとそこに店舗を加えた家を建てるのでは、当然かかる費用は全然違うから。つまり悠介君。気が変わっても『やっぱやめた』では済まされないのよ? のれんを掲げたはいいけどおせんべいを焼く人がいないということは許されないの。私が言っている意味、わかるわよね?」


 俺は小さく一度うなずいた。


「何があっても涼と別れず、一生一緒にお店を切り盛りしていく。悠介君はそれを誓える?」


 俺は唾を呑み込んだ。そして後ろめたさを感じながら「誓います」と答えた。「僕は涼さんと一生生きていきます!」


 ♯ ♯ ♯


「ごくろうさまでした。日々つつましく生きている善良な市民をあざむいた気分はいかが?」

「最悪だよ。最悪の気分だ」


 飛行機の時間まではまだだいぶ余裕があったので、ホテルを後にした俺たちは、月島庵の跡地へと徒歩で向かっていた。


「最悪か」隣で月島は、最高の笑みを浮かべる。「本当は三人のうち誰と一緒に生きていくか迷いに迷ってるっていうのに『僕は涼さんと一生生きていきます』だものねぇ。あれはシビれた。なかなか迫真の演技だったよ。キミに向いているのは実は結婚詐欺師なんじゃないか? おほほほ」


「悪人だ」と俺はつぶやいた。「これじゃ俺は悪人だ」


 台本を書いた月島はしてやったりという顔で肩をすくめた。

「まぁでも、なにはともあれ、キミのがんばりのおかげで店舗を併設するっていう約束を取りつけることができた。これは大きい。こうなりゃこっちのもんさ。あとは私がなんとかする。店さえあればなんとかなる。私のためにありがとね、大悪人さん」

「大悪人」と俺は繰り返した。


 隣で月島はわざとらしく手を叩いた。

「ああそうだ。名案を閃いた。キミが大悪人にならない方法が一つだけあるよ。嘘を本当にしちゃえばいい。本当に15代当主として、私と一緒にいればいい。うひゃひゃひゃ」

「極悪人め」


 そのような話をしながら俺たちは北斎通りを東に歩き続けた。目的地につくと、ちょうどがれきの撤去作業中だった。重機が何台も稼働して、けたたましい音をたてながら、月島庵の残骸を片付けていく。


 俺はひとりで店の軒先だったはずの場所に立った。そこからは見えないはずの空が見えた。本当に燃えちゃったんだな、と嫌でも実感した。


 ほどなくして、がれきの中から一人の作業員がこちらに歩いてきた。そして「お店の方ですか?」と尋ねてきた。


 くわしい事情を説明するのも面倒なので、俺は黙ってうなずいた。すると彼は焼け跡からこんなものが見つかりました、と言って金属製の何かを差し出してきた。

「なんだか年季が入って貴重そうなものだったので、お渡しします」


 俺は礼を言ってそれを受け取った。そして後ろを振り返って、本物のお店の方に物体の正体を聞いた。


「焼き印」と月島は答えた。「これを使って、うちの手作りであることを示す三日月を一枚一枚のせんべいに刻むの」

「大事なものじゃないか。残ってて、よかったな」


 彼女は険しい目つきで焼き印を観察した。それから「あちゃー」と言って額に手を当てた。「だめだこりゃ。使いもんにならない。熱で完全にひしゃげちゃってる。これじゃ三日月じゃなくて、バナナがせんべいに刻まれちゃう」


「だったら新しい焼き印を作ればいいじゃないか」


「それができたら苦労はしないんだなぁ。なんせこの焼き印は300年前の創業時から使っているものだからね。いわば、月島庵の魂なんだ。スマホや掃除機と違って、壊れたから新しく買い換えりゃいいってもんじゃない。たかが焼き印。されど焼き印なのだよ」


「そういうものなのか」

「それが伝統っていうものなのさ」と月島は、今まで俺に見せたことのない渋い顔で言った。「あーあ。新しい家に店舗が併設されたとしても、こりゃ前途多難だな。もしかすると屋号を変えることになるかも……」


 そこで彼女が言葉を切ったのは、道の向こうから誰かがまっすぐこちらに歩いてきたからだ。俺たちと同じ歳くらいの、若い女の子だった。サングラスとマスクで顔を覆い、人目をやけに気にしている。


 その娘は俺たちの前で立ち止まると、サングラスとマスクをゆっくり外した。そこに現れた顔に俺は思わず、見とれてしまった。とんでもなく可愛い女の子だった。彼女が何者なのか、俺はすぐにわかった。


 さすがずっとスポットライトを浴びてきただけある。アイドルを一年半前に引退したとはいえ、その輝きは失われてはいない。


 訪問してきたのは、月島の小学生時代の友人であり、今は解散した元アイドルグループ『ミックスジュース』のリーダー・城之内ゆずだった。


「ひさしぶり、涼」

「ユズ! どうしてここに?」


「おばさんから涼が帰ってきてるって聞いたから。お店の跡を継ぐと誓った婚約者を連れて」


 月島は隣でぎくっとして押し黙った。家族に本当のことがばれないよう、即興のセリフを考えているらしい。

「そ、そうなのよ。彼なの。ユズも覚えてるでしょ。彼がうちの店の救世主」


「救世主さん、さっきから私の顔を見て鼻の下を伸ばしてるけど、大丈夫?」


 月島は肘で俺の脇腹を小突いてきた。そして例の焼き印を顔に近づけてきた。

「おでこにバナナを刻みつけてやろうか?」


 俺は思わず仰け反る。「それだけは勘弁してくれ」


 そのやりとりを見てユズは可笑おかしそうに笑った。それから月島庵があった場所に目を転じ、表情を引き締めた。

「それはそうと、大変なことになっちゃったね」

「なっちゃったねぇ」と月島はしみじみと言った。


「ねぇ涼。私、クラウドファンディングでお金を集めようと思うんだ。アイドルを引退したとはいえ、まだまだネームバリューはその辺の現役アイドルよりある。私の名前を使えば、けっこうな額が集まるはず。そのお金をお店の再建のために使ってよ」


 月島は大きく手を振った。

「気持ちはうれしいけど、さすがにそれは。どこの誰かもわからない人たちのお金で建てた家に住んで、ましてやそこで商売するなんて、肩身が狭くてしょうがないって」


「でもね、私はなにかしたいのよ。小学生の頃、先生の悪口の件で涼に濡れ衣を着せちゃった罪悪感はまだ消えてないし、お店の人たちにはすごくお世話になった恩もあるし。私にできることはなにかない?」


 月島は使い物にならなくなった焼き印を見て考えた。そして答えた。

「建て直しのメドは立ったけど、それでもこの先なにかと問題は起こると思うんだ。そのときに、力を貸してもらおうかな」


「わかった。遠慮なく頼って」

「ありがと、ユズ」


 それから二人は救世主そっちのけで、しばし旧交を温めた。その様子を見て俺は「なんとかなりそうだな」と思った。月島庵が全焼したと知った時は絶望しか感じなかったが、この調子だとなんとかなりそうだ。


 仮に俺が月島との未来を選ばなくても、彼女はひとりじゃない。ここには味方がたくさんいる。


 そうはいっても東京での新生活もやっぱり悪くないな、と思ったところでスマホが着信を知らせた。俺は二人から離れて電話に出た。聞こえてきたのは、高瀬の切羽詰まった声だった。


「神沢君! 今すぐタカセヤの本社に来て!」

「ええっ!?」視界には天高くそびえ立つスカイツリーが映る。「今すぐってのは、ちょっと難しい」


「今すぐが無理なら、一時間後でもいいから。市内にいるなら来られるでしょ?」

 飛行機で移動するだけでも一時間半はかかる。「それもちょっと難しい」


「神沢君、今どこにいるの?」

「すまん、東京なんだ」


「東京!?」高瀬はひとしきり黙った。何かを察したようだ。「パリでもカイロでも南極でもどこにいてもいいから、とにかく1秒でも早く来て! 大変なことが起こったの! お願い。私は80億人の中から出会った“未来の君”なんだよ!?」


 俺はスマホを耳から離し、一度ため息をついた。月島といい、高瀬といい、太陽がこないだ語った例の“運命”に関する話がよっぽど気に入ったらしい。


 いずれにせよ、高瀬にそう言われたら、俺に返せる言葉はそう多くはなかった。


「わかったよ。フェニックスでもなんでもつかまえて、とにかくすぐにタカセヤ本社まで飛ぶよ。だって――」

「だって?」


「だって――」

 俺は一生のうち一度言うかどうかというキザな言葉を、この数日で二度も口にした自分をなぐさめた。仕方ない。これもある意味じゃ俺の運命だ。

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