主人公の優とヒロインの希美は、それぞれが胸に秘めた恋心を伝えられないまま高校生活最後の冬を過ごしていた。
タイトルが『君と生きた12の季節』というくらいなのだから、これが最後の季節、すなわち3月の卒業に向けて物語もいよいよ佳境というところなのだろう。
見れば優と希美は年の瀬のスーパーマーケットで働いているようだ。
高瀬も同じ点が気に留まったらしく「どういう成り行きでこうなったんですか?」と鮫島さんに尋ねた。
「希美には望まぬ結婚が迫っているんっす!」
彼はまるで希美が自分の彼女であるかのように
「優の恋敵で、希美を付け狙うブルジョア男がいるんっすが、こいつの小狡い計略によって、このスーパーの売上を伸ばさなきゃ希美はブルジョア男と結婚する羽目になっちゃったんっすよ!」
磁力で引き寄せられるように、高瀬と視線が重なる。彼女の口が「嘘でしょ」と動いた気がした。
俺たちの背景にある事情など知る由もない鮫島さんは、水を得た魚のように解説を続けた。
「そこで優と希美はスーパーで働くことになるわけっすね! これまでの高校生活でも、二人は多くの困難を乗り越えてきたんっすけど、今回は最大の試練だったっす!」
「で、どうなったんっすか!?」俺が待ちきれず質問した。
「売上を伸ばすって言っても、楽なことじゃないっすからね」という鮫島さんの言葉に、今は強い共感を覚える。「そりゃあもう二人は苦労したっすよ。それでもいろいろとアイデアを出し合って、なんとか結婚しなくて済む売上高まであと一歩と迫ったわけっす。そして今週号、迎えたクリスマスイブ。窓の外では雪が舞う中、いよいよ最後の作戦が実行されたんっす!」
鮫島さんが勢いよくページをめくると、そこには、見開き二ページに渡ってひとつの光景が描き出されていた。それを目にした彼以外の三人は、誰が言い出すでもなく顔を見合わせる。
店長は目を血走らせて鮫島さんから週刊少年ステップを引ったくると「まったく同じじゃないか!」と声を震わせた。
誌面では、店内のクリスマスツリーを多くの客が取り囲んでいた。
人々はレシートをツリーの枝に結び付け、それぞれの祈りを託していた。今俺たちの数メートル先にある光景と、何から何まで一致している。
高瀬は言った。「優と希美の最後の作戦って、なんだったんですか?」
「ネットを使ってウワサを流したんっす!」と鮫島さんは言った。「この店のレシートをツリーに結んで願い事をすると、その願いが叶うっていう、ハッピーなウワサっす! ガムやジュースを買っただけのレシートだと、短すぎてうまく枝に結べないじゃないですか。願いをかけるためには、なるたけたくさんの商品を買って、長いレシートを手に入れなきゃいけない。つまり、結果的に売上が伸びるっていう算段っす! 優と希美は、賢いんっす!」
「なんだそりゃあ」
店長が子どもの屁理屈に呆れるように眉をひそめた。
「そんなことで売上が伸びるなんて、馬鹿馬鹿しいにも程があるぞ!」
「まぁまぁ、漫画の世界の話っすから。なんでもありっちゃ、なんでもありっす」
俺はツリーに集う人々をあらためて見た。
「それで『キミイキ』を真似て、みなさんこうしてツリーに願いをかけているわけですか」
「俗に言う、
若い人やカップルがいつもより多かったり、カメラを手にまるで観光名所にいるような眼差しで店内をうろつく人がいたことも、これでようやく合点がいく。
「おいおい、ちょっと待てよ」店長は首をひねる。「お客さんが人気のある漫画の真似事をしているというのはわかった。しかし、そもそもなんだってうちの店がこの漫画に登場しているんだ? 偶然にしてはあまりにも細部まで克明に描かれている。この漫画の作者が実際に客としてうちに来たことがあるとしか思えないぞ?」
「あー、その可能性は充分にあるっすよ。作者の
「えっ、そうなんですか?」
いくら高瀬でも、この街のすべてを知っているというわけではないらしい。
「ええ。なんでも足が不自由とかで、東京に出たくないらしいっすよ。でも吉崎アゲハは売れっ子漫画家なので、編集部も別に文句は言わないんっす」
それを聞いて、何かが、コンコンと記憶の扉をノックしはじめていた。
――俺は吉崎アゲハを知っているはずだ。
そんな声が頭の中に反響する。
「タカセヤ西町店で働いてきた、この一ヶ月をよく思い出してみろ」ノックは一層、強さを増す。
この間、何があった? いや、誰と出会った? 思い出せ、神沢悠介。
足が不自由な人気漫画家、吉崎アゲハ――。
「事実は小説より奇なり、ね」
その
「蝶々夫人だ!」と叫んだが、その呼称が誰を指すのか、他の三人が知るわけがなかった。「高瀬、覚えてないか? 吹雪の日に来店した、足の悪いお客さん。あのおばさんこそが吉崎アゲハだよ!」
「覚えてる!」彼女は目を見開く。「私のこと、才色兼備って褒めてくれた人だよね!」
やっぱりそこなのか、と一言の重みを痛感しつつ、首を大きく縦に振った。
「ここで働いているあなたたちを題材にして小説を書いてみたら? そう高瀬に提案しておきながら、あのおばさん、最終的にはそのアイデアを持ち帰ってしまっただろ。それはこういうことだったんだよ。おそらくこの回の展開をどうしようか、悩んでいる最中だったんだ」
高瀬、とついいつもの感じで社長令嬢を呼んでしまったが、今や誰もそんなことは気に留めない。
「たしか、趣味で創作をしているって言ってたよね」彼女の声は弾む。
「趣味だなんてとんでもない。日本中、いや、世界中に多くの読者を抱えた、れっきとした仕事だったわけだ」
「そういえば、クリスマスイブにツリーが二人の願いを叶えたら、物語がドラマティックになるって、目を輝かせて話してた」
高瀬にも、あの奇妙な一日の記憶が戻ってきたようだ。
「ああ。どうなればツリーが二人の願いを叶えることになるか。それを遊び半分で考えていたら名案が浮かんだもんで、漫画家の血が
「レシート」と高瀬は言った。
「レシートが未来を切り開く」と俺は言った。そして人だかりのできているツリーを無意識に眺めた。
俺と高瀬、ふたりの願いを叶えたまえ。心からそう祈っている自分がいる。