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第33話 ふたりの願いを叶えたまえ 1


<12月24日 AM9:30(開店30分前)タカセヤ西町店 店長室>


 パソコンで前日の売上げ動向を確認していると、隣のデスクで店長が神妙な面持ちでペンを走らせていた。何を書いているのかなんの気なしに尋ねると「辞表です」と返ってきた。

「私にも、男としての面目があります。自分の腹くらい、自分で斬ります」


「それは」と俺は言った。「目標達成を諦めているということでしょうか」


「もうかれこれ30年スーパーで勤めていますから、なにが可能でなにが不可能かくらいの判別はつきます」と店長はペンを置いて言った。「目標を達成するためには、今日一日で月間売上げ7%増ですか。いやはや、これは、不可能と言うしかないですな。なにしろ、過去に最も売り上げた日の3倍から4倍の売上げを、今日だけで記録しなければならないのですから。こう言うと、どれだけ実現が困難な数字かおわかりでしょう?」


 ぐうの音もでない。


「神沢さんは見事だったと思いますよ」

 店長は、散りゆく戦友の武勲を称えるような目でこちらを見てくる。

「もう時効ということで今だから正直に言えば、はじめのうちは、『あんな高校生みたいなヒヨッコにスーパーの何がわかる』と他の店員ともども、陰口をたたいたもんです。しかし神沢さんの指示通りに店内を変え、みるみるお客さんが増え始めると、誰も文句は言わなくなりました。もう少し早く来ていただければ、違った結果になったかもしれませんな」


「すみません。僕の力不足です」


 店長はひょうきんに肩をすくめ、「次に行くスーパーでもがんばってください」と俺に次がないことも知らず言った。


「さて、辞表を書いたら、次は家内と娘に対しての言い訳を考えないといけませんな。神沢さん、スーパーバイザーとして、何か良いアドバイスはありませんか?」



<AM10:45(開店45分後) タカセヤ西町店 総菜売り場>


「ホワイトクリスマスになっちゃった」


 高瀬が外を眺め、恨めしそうにつぶやく。街には予報外れの雪が舞い始めているが、もちろんそれは、俺たちにとって何一つメリットにはならない。客足が遠のくのは確実だからだ。


 俺と高瀬は、奥の厨房から続々作り出される総菜を陳列していた。いつもとは違って、パーティ用の大きなオードブルセットや、骨付きのローストチキンが並んでいく。


 泣いても笑っても二人に与えられた最後の一日となったこの日、高瀬が選んだ服装は、ニットにジーンズというきわめてシンプルなものだった。良く似合っていたタカセヤの赤エプロンも、今日で見納めだ。


「今の時点でも、いつもよりお客さんが少ないくらいなのに」と彼女が指摘するように、店内は過去のどんな10時45分よりも閑散としていた。これでは売上7%増はおろか、1%増だって期待できない。


 閉店まで残された時間を考えると、目の奥がズキズキ痛み出してきた。


「お父さん、怒ってない?」俺はこめかみを抑えながら尋ねた。

「午後になったら、顔を出すって」


「え」痛みが増す。「俺、ぶっ飛ばされるんだろうか」


「さすがにお店の中では、手荒なことはしないと思うけど」

 高瀬は手を振って否定した。では、店の外なら、どうなのだ。


「店員さん、ひじき煮はどこですか?」

 背後からの声にはっとして振り返る。そこにいたのは、腰の折れたお婆さんだ。

「いつもひじき煮がある場所に、今日は焼き鳥があるもんで」


「焼き鳥?」

「ローストチキンのこと」高瀬が耳打ちしてきた。


「ご迷惑お掛けしました。今日はクリスマスイブですから、こちらに移動しているんです」


 あまりにも声に潤いがないせいか、お婆さんに体調を気遣われる。「喉に良いですよ」とハチミツの飴を手渡される。



<AM11:30(開店1時間半後) タカセヤ西町店 青果売り場>


 総菜コーナーの陳列が一段落つき、高瀬と共に箱に詰めるみかんの選別をしていると、真冬らしからぬ爽快な南風が店内に吹き込んできた。


 俺の知る限り、そんな季節感無視のキザったらしい風を発生させる男は、この街に一人しかいない。


 太陽は俺と高瀬を見つけるやいなや、一直線にこちらへ駆けてきた。黒いツイードジャケットに明るい緑のマフラーがよく決まっている。

「おいおい、月島嬢から聞いたぞ! 高瀬さん、高校辞めちまうかもしれないんだって!?」


「今日の売上次第なんだけどね」と高瀬。

「で、どうなんだ?」と太陽。


「きびしいね、すごく」

「オレが散財すれば、少しは変わるか? 散財つっても一万円くらいしか使えねーけど」


「ありがたいけど、桁が違う」と俺。

 一万円で何かが変わるなら、とっくに私財を投じている。


「そりゃそうか」太陽はため息をつく。「なんかすまんな、高瀬さん。夏や秋はオレのために手を貸してくれたのに、いざ高瀬さんの窮地となったら力になれなかった」


 気にしないで、という風に高瀬は首を何度か振った。


「っていうかよ! 悠介! 高瀬さん! このままでいいのかよ!?」


「おい、他のお客さんの」迷惑だ、と言い切ることができない。太陽は続ける。


「ここで高瀬さんが高校を辞めて、鳥海家に入って、それで『売上が伸びなかったから仕方ない』なんて納得できんのか!? そんな大人らしさは要らねぇんだよ! もっと自分の気持ちや想いを大切にしろよバッキャロー! 二人とも、その、なんだ、一番大事なことは相手に伝えてないんだろうがっ!」


 俺たちに口を挟む隙を与えず、彼はこちらへ詰め寄ってくる。


「悠介! 今からでも遅くない! 高瀬さんを連れてどこかに逃げろ!」


「何があっても逃げないと、俺は決めたんだよ」

 太陽の目を見ているが、高瀬の耳に届けている。

「今回の壁を乗り越えられないようじゃ、二年後の壁なんかもっと無理だ。俺は高瀬と一緒に大学に行く。それは今でも諦めていない。俺たちの挑戦はここで終わりなんかじゃない。逃げてどうなるっていうんだ?」


「それがおまえさんの答えか」と彼は口角を上げて言った。「いかにも悠介らしい。それでこそオレが認めた男だ。どうやら今回はオレの余計なお世話だったようだな。高瀬さん! オレは悠介を信じて、別れの言葉は言わないからな。正月にはみんなで初詣にでも行こうぜ!」


「わかった」と高瀬は答えた。「ありがとうね、葉山君」


「よし。それじゃあオイラはちょっとでも売上に貢献して、あのツリーに聖夜の奇跡を祈りながらキミカちゃんを待つとしますか」


 太陽は缶コーヒーを持ってレジを通り、巨大ツリーの元へと進んだ。女子大生の彼女とそこで待ち合わせをしているのだろう。


 俺は高瀬を見た。高瀬も俺を見た。彼女は慌てて視線を逸らし、みかんの選別作業を再開した。 


 勢いに任せて太陽に宣言した言葉が、早くも重圧となってのし掛かってきた。


 この客の少なさで、いったいどうやって壁を乗り越えるというのか。残された時間が10時間を切った今の段階で、なにができるだろう?


 後は天にすべてをゆだね、それこそ太陽が言うように、奇跡を願うしかなかった。


 が見え始めたのは、正午を少し過ぎた頃のことだった。


 太陽の祈りが通じたかどうかはわからない。一つの祈りにいちいち応えるかたちで奇跡が起きていては、辞書の“奇跡”の説明文を書き換えなければならなくなる。


 奇跡なんて、そうは起こらないから奇跡なのだ。


 ただ、それは――その変化は――何かと言われれば、間違いなく奇跡の兆候だった。


 俺たちの未来を背負ったサンタクロース達の大行進は、この時もうすでに始まっていたのだ。

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