店舗内のフードコートでよく見知った顔に出くわしたのは、それからまもなくのことだ。店長は人と会う約束があるとかで、外に出ていた。
街はすっかり暗くなっている。
「おい、なーにやってんだ、悠介! そんなヒットマンみたいな格好して」
悪友の
「ちょっとまた、未来が危うくなったんだ」
こう答えておけば、こいつならばなんとなく
「この冬もいろいろあるんだよ、いろいろ」
「葉山君、ご来店ありがとうございます」
高瀬は店の制服を着ていることを忘れない。
「デートか」と俺は太陽のデレデレした顔を見て言った。「おまえは呑気でいられていいな」
「ねぇ太陽」とお姉さんは言った。「高校のオトモダチ? 私にも紹介してよ」
彼は俺たちとお姉さんの間で、互いに互いを紹介した。
そこはかとなく漂う遊び慣れている雰囲気に、くちばしが黄色い俺などは白旗を上げるしかないわけだが、美しい人には違いない。明るい色の巻き髪が、小さな顔に良く似合う。
「ボクたち、付き合い始めて、一週間でーす!」
太陽は調子に乗って親指を立てる。むかつく。白い目で見てやる。
秋に
一言で言えば、異性にだらしがなくなった。
この約一ヶ月、高校の廊下で女の子が涙を流している光景をしばしば見かけるようになったが、それらはすべて、原因を辿れば彼の仕業だった。
元より言い寄ってくる異性には事欠かないのが葉山太陽という男だ。
彼はまるで食品工場の流れ作業のように女の子の告白を受け入れ、付き合い、そして振った。
「オレは人の気持ちを雑に扱うなんてことはできないんだよ」
真剣な顔でそう言っていた彼が、今はえらく懐かしい。それはたしか9月のことだった。
太陽のこの著しい変化を、星菜を念頭に置いた“女”全体に対する復讐劇と見るか、あるいは人畜無害なハンサム青年を演じてきた反動と見るかは意見が分かれそうなところだけど、いずれにせよ彼が多くの乙女を泣かせているのは事実で、俺も友人として「そろそろたいがいにしておけよ」とたしなめるべき頃合いではあった。
「校内の女の子じゃ飽き足りず、今度はついに女子大生か」
「悠介、女は年上に限るよ。
舞い上がって下らないことをのたまう太陽に対し、どうせ、と喉元まで出かかった。どうせこの交際も長くは続かないんだろう、と。来週あたりには「年下に頼られるのも悪くない」とかなんとか言っていても、ちっとも俺は驚かない。
それはそれとして、疑問がひとつ湧いた。
「ところで、なんだってこんな場所にいるんだ? ここはスーパーマーケットだぞ? デートに向いているとはとても思えないんだけど」
「なんだ悠介、知らないのか。タカセヤ西町店はそれなりに有名なデートスポットなんだぞ。とはいってもこの時期限定だけどな。ほら、見てみろ、後ろ」
言われた通りに振り返れば、見るも鮮やかな巨大クリスマスツリーが視界に飛び込んできた。俺の背丈の5倍か6倍の高さはある。
えらく目立つのに今まで気が付かなかったのは、売り場の改善にてんてこ舞いだったからだろう。
「この街で一番大きいツリーなんだ」と太陽は言った。「なんでもこのツリーをカップルで一緒に見ると、恋仲がいつまでも続くっていう噂があるんだ。そこでこうしてオレたちも来てみたわけだ」
「知ってた?」と高瀬に水を向けると「なんとなくね」と返ってきた。「店長さんのアイデアみたい」
それを聞いて俺は笑うのを抑えられない。
「住宅街のスーパーマーケットにあるツリーに、恋のご利益が宿っているとはとても思えないけどな」
あの
「ねぇ太陽、そろそろ帰らない?」
キミカさんが退屈そうにそう言うと、太陽は俺の耳元でこうささやいた。
「そんなわけでクリスマスまではオレたちみたいなハッピーカップルがわんさか押し掛けてくるだろうけど、腐るなよ。いっそ高瀬さんに告白して、付き合っちまえ。恋はいいぞ、恋は!」
「なんだかなぁ」と高瀬は遠ざかる太陽の背中を見て言った。「星菜さんの一件以来、まるで別人だよね、葉山君」
「まぁ仕方ない部分もあるとは思うけど」
同じ男としては、太陽の変貌ぶりがわからないでもなかった。羽田星菜のむごい仕打ちは、彼がそれまで大切に守ってきた価値観を一変させてしまったんだろう。
俺だってもし高瀬が裏で他の男と交際していると知れば、正気なんか保っていられない。狂う。狂って、自分を見失う。
俺は気を取り直して「日比野さんはどう?」と尋ねてみた。
太陽の幼馴染みで幼稚園の頃から彼を想い続けている日比野さんは、太陽の変化に誰よりも頭を悩ませ、そのことで高瀬によく相談していた。
「それがね、秋の頃はまだ辛抱強く葉山君を改心させようとしていたみたいなの。でも最近はさすがの日比野さんも諦めたみたい。『愛想が尽きました』って言ってた」
ま、そうなるのも無理はないよな、と俺は思った。
「高瀬。そろそろ仕事に戻ろう。俺たちにはやらなきゃいけないことがある」
♯ ♯ ♯
自宅でネクタイを外したのは、夜の11時過ぎのことだった。
結局閉店時間になっても売り場改革は終わることがなく、続きは明日以降に持ち越しとなったのだった。
俺が改善点を挙げ、高瀬がメモをとりながらその理由を問い、納得した店長が従業員を動員する。ひたすらその繰り返し。
売上20%アップを実現するため、高瀬を筆頭に店長やパートさんまでもが本腰になってくれているのはありがたかったが、「明日からもこの調子でがんばりましょう」と店長に声を掛けられた時には、曖昧な笑みを浮かべ、お茶を濁すことしかできなかった。
なぜなら明日からは、今日のようにはいかないからだ。
俺には週に四日、夜のアルバイトがある。
忘年会が多く、居酒屋にとっては重要な書き入れ時となるのが、この12月だ。これまで俺の都合を優先してシフトを組んでくれた
「疲れたな」独り言を言うほどに、実際疲れていた。
ソファに横になると、そのまま深い眠りに落ちてしまいそうだった。このまま寝ちまおうかな。そう思った瞬間、スマートフォンが鳴った。
「誰だよ、こんな時間に」
画面には、つい数時間前に会ったばかりの悪友の名前があった。
さっそくキミカさんと別れたとかで、うだうだ夜中まで愚痴でも聞かされるんじゃないかと思い電話に出ると、すぐさまそんなくだらない用件ではないことがわかった。
真っ先に訪れたのは、重い沈黙だった。
太陽は口にすべき言葉を慎重に探しているようだ。いつにない緊張感が端末越しに伝わってくる。
「どうした、いったい?」と俺が先に口を開いた。
「すまんな、こんな時間に」太陽のその声はあろうことか震えていた。「悠介、これからオレが言うことを、落ち着いて聞いてくれ」
そういう前置きをされるのが一番落ち着かないのだが、それを指摘できる雰囲気でもない。
「ああ、何があった?」
「オレも今耳にしたばかりで、正直、頭と心の整理がついてねぇんだけど……」
長い沈黙の後で、彼は言った。
「柏木がうちの病院に、緊急搬送されてきた」
「緊急搬送?」
あまりに想定外の言葉は、意識に溶け込むのにえらく時間を費やした。やがて気付けば、スマホを強く握りしめていた。
「柏木の身に、いったい何があったんだ!?」
太陽は言った。「柏木のやつ、高校の屋上から、地面に転落したんだ」
目に映るすべてのものから、色彩と輪郭が失われていく。