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第28話 最高のメリークリスマスを君に 3


 高校生という立場を重々わきまえた、模範的で健全な男女を演じようという事前の打ち合わせは、もはや反故ほごになったらしい。


 当然のことながら、社長殿は鬼の形相でこちらを睨んでいる。俺が身に覚えのない罪に問われ困惑していると「そんな恐い顔しないでよ」と高瀬が言った。


「お父さんだって、十代でお母さんのことを妊娠させたくせに。その責任を取らされるかたちで高瀬家に婿むことして入ったことくらい、とっくに知ってるんだから」


「優里、今それは関係ないだろう」

 どすの利いた声とは裏腹に、高瀬父は決まりが悪そうだ。


 話が逸れていきそうなので、俺が口を開くことにした。


「優里さんは今、とても充実した高校生活を送っているんです。良い友人たちにも恵まれています。『小便臭い』とおっしゃるかもしれませんが、彼女は今、冒険の途中にあります。まだまだ多くのかけがえのない宝を手に入れられるはずです。それなのに、ここで中退というのは、あまりにも彼女がかわいそうです」


 高瀬が続く。

「お父さん、お酒の席とはいえ、彼に言ったんだよね? 『娘が惚れている男を連れてきたら、結婚を押し通す自信がない』って。鳥海家に入って花嫁修業をするなんて、結婚と変わりないよね? ……はい。連れてきたよ。惚れている男」


 高瀬父はあごを手で撫でながら、それに答えた。

「『私が認めざるを得ないほど、立派な男だとしたら』そういう条件も、たしか付帯ふたいしていたはずだが?」


 それを言われると、俺は押し黙るしかない。一介の高校生に過ぎない俺の社会的地位なんて、彼にとっては無いに等しいはずだ。


「悠介は、お父さんに似てるんだよ」と高瀬は隣で言った。「お父さんも若い頃は苦労したんでしょ? 居酒屋で会ったならもう知ってると思うけど、彼はご両親がいない中、それでも大学進学を諦められなくて夜遅くまで働いているの。私がそんな彼に惹かれるのは、きっと、お父さんに近い何かを彼の中に感じたからなんだよ」


 うまい、と俺は内心で彼女を称賛した。おそらくたいていの父親は、娘にそういう言い方をされたら悪い気はしないはずだ。


 案の定、正面のいかつい顔からはけわしさが薄れた。

「優里、安心しろ。私は悠介のことを買っているんだ。なかなか見所がある男だと、居酒屋で会った時から思っていた。お前が惚れてしまうのもわからなくもない」


 それだけじゃないでしょ、と俺は心でつぶやいていた。どう考えても“昔好きだった女の息子”というバイアスがかかっているはずだった。


「とりあえず、おまえたちが互いをどれだけ想い合っているか、それはよくわかった」高瀬父は咳払いをひとつ挟む。「しかし今回の件は、私の一存でどうにかなるものでもないのだよ。どうにかなるのなら、とっくに手は打ってある。だいたい私だって、優里にはせめて高校くらいは卒業してほしいと思っているのだ」


 俺は言った。

「そもそも、どうしてトカイはこんなに不自然なくらい合併を急いでいるんですか? 本当にタカセヤの業績が落ち込んでいるからという理由だけなんですか?」


 それを聞くとタカセヤ社長はどういうわけか嬉しそうに目を細めた。

「いいところに気がついた。それは建前というやつだ。実はトカイにはいくつか不正の疑惑がある。会社が倒れるような大きなものではないが、それでもそれらが明るみに出れば、おのずとこちらの発言力が強くなる。そうなる前に合併してしまった方が、より強い実権を握れると向こうは考えているのだ。一口に合併と言っても、実態は、社内に社長室がふたつ出来上がるようなものだからな。将来を見据えた駆け引きはもうすでに始まっているのだよ」


「本音と建前」と俺は言ってみた。


「そういうことだ」高瀬父は渋い顔でうなずいた。「もちろん今私が説明したような本音はトカイ側は誰も口にはしないさ。代わりに連中が合併を急ぐ大義名分として挙げたのが、西町にしまち店の大不振だ」


「西町店ですか」


 俺の家から最も近いタカセヤの店舗がそこだ。今思えば滅多に利用することがない。それもそのはずで、なんとなく便利が悪いのだ。市民の誰よりタカセヤに肩入れしている俺でさえそう感じてしまうのだから、目の厳しい一般市民などなおさらだろう。


「あのあたりはこの10年で大きく変貌を遂げた」と高瀬父は経営者の顔になって言った。「それまではキツネが闊歩かっぽする原っぱ同然の地域だったが、宅地が整備されたことにより住民が増えはじめると、集客を当て込んで、続々ライバル店が出店してきた。結果、西町店は激しい競争にさらされ、客を他店に奪われることとなった。私たち経営陣が"お荷物店舗”としてさじを投げていた部分も否めない。トカイの言い分はこうだ。『西町店の売上げの落ち込みは、タカセヤさんの凋落ちょうらくの象徴です。我々が思っている以上に事態は差し迫っている。さぁ取り返しの付かないことになる前に、合併を急ぎましょう』」


「筋は通っているね」と高瀬は冷静につぶやいた。

「悔しいがその通りだ」と彼女の父親は言った。「いくら社長という立場にあるとはいえ、一店舗の売上げを劇的に改善させるなんて芸当は私には不可能だ。それがましてや西町店では」


 重い沈黙が社長室に漂い、俺は海の底にいるような息苦しさを感じていた。考えがまとまらない。名案が浮かばない。話す言葉が見当たらない。


 自分の無力さを呪っていると、隣で高瀬が口を開いた。

「西町店の売上げが好転すれば、私は高校を辞めないで済むってことだよね?」


「トカイ側が西町店に絞って今回の話を持ちかけてきた以上、そういうことになるな」


「だよね」娘は父に対し笑みを向けた。「トカイさんの言い分を逆手に取れば、『西町店の売上げさえ上向きになれば、タカセヤ自体が復調している』ということになるはずだよね?」


「ははっ」彼は愉快そうだ。「優里の言う通りだな。違いない。それで充分にこちらの理は通るはずだ。少なくとも合併を前倒しする理由は消滅する」


「ねぇお父さん。具体的にどのくらい西町店の売上げが改善されれば、トカイさんは黙る?」


「そうだな。年の瀬で財布の紐が緩む時期だということを考慮に入れても、例月比20%アップが実績として達成できれば、トカイは引き下がるしかないはずだ」


「20%ね。わかった」

 高瀬はしっかりうなずくと、一度こちらを見てから、とんでもないことを口にした。

「私たちが西町店を立て直してみせる」


「えっ!?」俺は二の句が継げない。


「おいおい、そうは言っても20%上昇は楽なことではないぞ」社長は断言する。「それができないから、我々はこれまで苦労してきたんだ。高校の購買部の決算とはまるでわけが違う。まさしく『言うは易く行うは難し』だ。優里、お前に何か策はあるのか?」


「細かいことはいいの! とにかく、私たちがなんとかするから!」


 高瀬父は本気さを吟味するように娘の顔を観察していたが、すぐに、やれやれといった具合に肩をすぼめ、俺に視線を転じた。

「悠介!」

「はい」


「最後に、ひとつだけ聞かせろ」

「はい」


「……その、どうなんだ。お前は将来、優里のことを幸せにできるのか?」


 全身が勇み立つ感覚があった。背筋を伸ばし、彼女の手を強く握り、俺は言った。

「優里さんを幸せにできるのは、世界で僕ただ一人です。彼女の未来には僕がいて、僕の未来には彼女がいます!」

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