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第26話 辛くて、苦しくて、痛いこと 4


 星菜の傲慢ごうまんな性格を考えれば、誰の目をはばかることなく逆上してもおかしくなかったけれど、彼女は何食わぬ顔で、俺たちの視線を受け止めていた。ただし、「バッカみたい」と悪態をつくことは忘れなかった。そして言った。


「なんなの、これ? 優里に悠介、おまけにまひるまでいるし。もう、意味わかんない。頭おかしくなりそう」


 柏木は言った。「あたしたちの気は済んだから、後は葉山君、頑張りな」


 太陽は星菜の前へ進み出て、ゆっくりと口を開いた。

「今度ばかりは信じてたんだけどな、おまえのこと」


「悪かったね」と星菜は目を合わせず言った。

「オレが馬鹿だったってことだ。北向の言うように、オレはまだまだ未熟なんだな」


「私のこと、怒らないの?」

「怒って、どうなる」


「これで、二回目なんだよ?」

 太陽は少し考え、「むしろ感謝してる」と伝えた。「不思議なもんでな、どんなにひどい目に遭わされても、おまえに怒りは感じねぇんだよ。それより、胸には感謝が浮かんでくる。今のオレがあるのは、星菜のおかげだ。観覧車の中でも言ったが、もう一度言わせてくれ。ダメなオレを変えてくれて、ありがとうな」


 それを聞くと星菜は顔を上げ、視線を夜空に散らした。目元が潤んでいるようにも見える。そして一度鼻をぐすんと鳴らし、告げた。

「私、太陽のこと、好きだよ」


 太陽は短く笑って、首を横に振る。


「今度は本気。ね、もう一回やり直そう?」

「いや、もういいんだ。オレはおまえ無しでも、もう前に進めるから」


「私が付き合い続けてあげるって、言ってるんだよ!?」

「すまん、星菜」


「なによ、格好付けて。これじゃ私が笑いものじゃない!」

 星菜ははっとして太陽の背後を見やり、それから駆けだした。視線の先には日比野さんがいる。

「まひる、さてはあんたでしょ! 私から離れるよう、太陽に余計な入れ知恵したんでしょ!?」


「ま、待ってください、星菜さん」

 急襲を受けた日比野さんは、眼鏡のずれを直す余裕もない。


「だいたい、中学時代から目障りだったんだよ。いっつも太陽のそばでちょろちょろして。あんたの狙いはわかってんの。太陽に葉山病院を継がせて、自分は玉の輿こしに乗るつもりなんでしょ?」


「違います!」


「おしとやかなフリして、ちゃっかりしてるんだから。太陽の家に上がり込んで、お母さんに今からび売ってるんだもんね。幼馴染みって立場は便利で良いよね!」


「わたしは」日比野さんもさすがに黙ってない。「家柄とかを抜きに、一人の人として陽ちゃんのことが好きなんです。あなたとは違うんです! 変な言いがかりはやめてください!」


「なによ生意気な! 地味メガネ!」


 収拾が付きそうにない事態に、見かねた太陽が仲裁に入ろうとした。しかしそれより先に、二人に近付く姿があった。高瀬だ。風が吹く。彼女は吠える。


「星菜さん! あなたは、人を想うということの重さがわかっていない!」


「は? なにそれ」

 星菜は小馬鹿にしたような声を出した。だが高瀬は動じない。


「人を想うっていうことは、痛みを伴うことなんだよ。辛くて、苦しくて、痛いことなんだよ。でもあなたはそれを全部放棄して、いいとこ取りをしようとしてきた。何も背負わず、楽だけを望んだ。そんなのって、ないよ」


 寒空の下でラーメンを食べながら、三人娘がしていた話を思い出す。


 たしかに俺は、高瀬と違う道を歩む未来を想像すると胸に痛みを覚えるし、思い通りにいくことなんかもちろん多くないから、ずいぶん苦しんだりもした。


 なるほど、と今ならば思えた。人を想うというのは、想い続けるというのは、楽なことばかりではない。


「星菜さん。あなたは一度よく考えた方がいい」

 高瀬は厳しくも諭すような声で言う。

「人を想うというのがどういうことなのか。そして人に想われるというのがどういうことなのか。偉そうにごめんなさい。でもあなたにどうしてもこのことを伝えたかったの」


 高瀬が言い終わると同時に、星菜の目から落ちるものがあった。


「恐いんだよ!」彼女は泣き喚く。「不安なんだよ! わかんないんだよ! しょうがないじゃない! 私、昔は顔にそばかすがいっぱいあったし、自分でも耳障りなくらい声がきんきん高くて、男の子に馬鹿にされてたんだよ。目が合えば『ブス』、何か喋れば、名前が星菜だから『うるせいな』とか言われて。一番ひどい時は不登校にまでなったんだから!」


 皆、険しい顔つきで耳を傾けている。


「試しにメイクをしてみたらそばかすは誤魔化せたし、声を変えるため、ボイストレーニングまでやった。そうしたら段々男の子の反応も変わってきて、悪口を言われるどころか、今度は好意を持たれるようになったの。だけど私は嬉しくなかった。なんだよ、って思った。ふざけんなよ男共、って」


「そして恐くもあったんだね」

 高瀬が優しく言うと、星菜はうなずいた。


「飾らなきゃ、無理しなきゃ、また前みたいに馬鹿にされちゃう。誰かと付き合うようになっても、捨てられるんじゃないかって、不安で仕方なかった。……私、“好き”っていう気持ちがよくわかんなかったんだ、正直」


 彼女に接近するたび、いつも背筋にひしひしと感じていた毒の気配は、今や完全に消え失せていた。目の前にいるのは、俺たちとたいして変わらない、多くの問題を抱えた同じ歳の少女だ。


「あのさ太陽。これ返すよ。受け取って」

 星菜はそう言うと、首から掛けていたロケットペンダントを外し、太陽に手渡した。

「私が最初にもらったプレゼントだよね。覚えてる?」


「もちろんだ」と太陽は穏やかに答えた。


「今日はなんでか目に留まって身に付けてきたんだけど、まさかこういう展開になるとはね」


 星菜は涙を拭って「これは嘘じゃないよ」と続けた。「太陽のおかげで、人を好きになるってのがどういうことか、少しわかった気がする。だって今は胸が痛いもん。難しいね、恋って。今の気持ちで太陽に出会えたら、違ったんだろうね。そんなのは叶わないんだけどね。二回も太陽の気持ちを傷つけて、本当にごめんなさい」


「星菜……」

 太陽は言いたいことがありすぎて、喉の奥で言葉が弾詰たまづまりを起こしているようだった。


 そんな彼の心中を推し量ってか、星菜は無害な笑顔を浮かべて何度か首を振った。「何も喋らなくていいから」そんな風に。


「中学校の頃に比べると、太陽は格段いい男になったよ。自信持ちな。それから、ドラムは頑張んなさい。応援してるから。私のこと、思い出しちゃだめだよ」


 星菜はそう言い残すと、体を反転させ、さばさばした足取りで境内から去って行った。


 振り返ることはなかった。



「あーあ」

 太陽はロケットペンダントを宙に放り投げ、右手で受け止める。

「恥ずかしいところを見られちまったなぁ。おまえたち、しばらくはオレに優しくしろよ?」


「陽ちゃん、大丈夫?」

 日比野さんが気遣って声を掛ける。太陽のつよがりなんかすぐに見抜いているはずだ。


「ははっ、だいじょぶだいじょぶ。まひる、帰ったら胸揉ませろ!」

「サイテー」と、これは、柏木が呆れた。日比野さんの頬は染まっている。


 太陽は右手のロケットペンダントをまじまじと見つめた。

 俺は言った。「どうするんだ、それ?」


「高校のオレたちの秘密基地に飾ってくれよ」と彼は答えて俺にそれを手渡した。「捨てちまうより、そうした方が自分へのいましめになるだろうよ」


 見ればそのロケットペンダントには、同じ空で仲良く寄り添っている太陽と星がデザインされていた。皮肉なものだ。太陽と星は、決して同じ空に昇ることはないのだから。


 モチーフの片割れである当人は俺たちに背を向け、視線を落葉の絨毯じゅうたんへ落としていた。誰も声をかけることはできない。背中が小刻みに震えていたからだ。


 俺はそんな友の後ろ姿を見ながら受け取ったペンダントを黙って握りしめていた。


 この秋の冒険の証からは、行き先を失った切なさが、肌を通して伝わってくる。

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