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第26話 辛くて、苦しくて、痛いこと 1


「あの人、大学では有名な人らしいの」

 高瀬が口元に付いたピザソースをしとやかに拭って言う。

「あ、もちろん、悪い方で」


 探偵ドラマ風に言えば“真相”に辿り着いた俺たちは、総仕上げを行うため、鳴桜高校近くのファミリーレストランに来ていた。


 三日前に公園の土管の中から決定的瞬間を視界におさめた四人に加え、太陽と日比野さんもいる。夕食時の店内は家族連れやカップルでにぎわっていて、座席はあらかた埋まっていた。


 そう遠くない未来に、この平和的な晩餐ばんさんの場は、修羅場と化す。


「私のお姉ちゃん、あの人と同じ鳴大生だから、もしかしたらと思って名前を出してみたら当然のように知っててね」

 高瀬は声のトーンを変える。

「『あの男、あんたのところに教育実習に行ってるでしょ? 気をつけなさいよ』って注意されちゃった。うちのお姉ちゃんだって遊び回ってるのに、その人にそこまで言わせるんだからよっぽどなんだね……」


 それから彼女はスマートフォンを手に取った。

「彼の本当の姿について、お姉ちゃんの証言も録音したよ。実際に使うかどうかはわかんないけど」


「まさかあの人がねぇ」

 月島が頬杖をついて言う。

「生徒にも人気のひたむきな


 太陽は俺の隣でうつろな目をしている。

「本当、なのか? 星菜が北向きたむきとも付き合っているってのは」


「本当、です」

 柏木がやんわり断じた。むしろあっちが本命だ、とまで告げなかったのは、向かいの席に座る男の顔色を考慮した結果か。


「オレは信じないぞ。この目で確かめるまでは」

 見え見えの虚勢を張る太陽に対し、奥から日比野さんが憐れみの眼差しを向ける。そして彼の肩を撫でようとして、思い留まった。


「ひたむき先生が星菜ちゃんのもう一人の彼氏だった。それはわかった」

 柏木はストローを指でつついて言う。

「でも、そのうえ月島のストーカーでもあったって、いったいどういうこと?」


 対角線上に腰掛ける月島と目が合う。何かを喋りかけた彼女を手で制し、俺が解説することにした。


「すべては一本の線でつながっていたんだよ」

 無意識に探偵っぽい台詞が口から出た。

「北向は、好みの女の子を見つけると、その子の後をけ、家を特定し、さらには家族構成や、外出時間の傾向なんかを綿密に調べ上げたんだ。情報を得るためなら、張り込みや郵便物漁りもしたかもな。そして『行ける』と判断すると、留守になったのを見計らって、家に上がり込んでいたわけだ」


「神沢君。家に上がり込むと言っても、月島さんが鍵を掛け忘れたりするかな?」

 もっともな疑問を高瀬が口にした。


「覚えてないかな、みんな。いつかの授業で北向は、ユーラシア大陸横断旅行の思い出話をしたことがあっただろう?」


 柏木が親指を突き出す。

「We are friends!」


「旅が東欧のルーマニアに差しかかった時、仲良くなった少年にピッキング技術を教わったとあいつは言っていた。あれ、冗談なんかじゃなかったんだよ」


「なるほど、ピッキングか」

 吐き捨てるように月島がつぶやいた。


「被害者は月島だけじゃないはずだ。おそらくは星菜もそうだ。そして、言いにくいが、柏木。おまえも知らず知らずのうちに北向に尾けられ、家に上がられていたと想像がつく」


「へ!?」柏木は青ざめる。「でもあたし、月島と違って叔母さんと暮らしてるんだよ?」


「完全に一人暮らしの月島や、両親が忙しく、半一人暮らし状態の星菜が高校生としては稀であって、“ターゲットの娘プラス一人”くらいの家族構成ならば、北向の頭はゴーサインを出したはずだ」


「でもさ、なんのためにあいつはそんな面倒なことをしてたわけ? まさか、パンツを盗んでとか?」 


 柏木は今にもテーブルをたたき割りそうな形相ぎょうそうをしているので、すぐに言葉を継ぐことにする。


「北向の目的は下着でも金目の物でもない。ここがあの男の狡猾なところなんだけど、目的の娘の家に忍び込んでまで彼が欲しかったものは、ただひとつ――情報・・だ」


「情報、ですか」日比野さんが有能な助手のように相づちを打った。


「そう。高瀬、柏木、思い出してみてほしい。俺たちが南高に忍び込んだ時、星菜は北向のことを何と表現していた?」


 高瀬がそれに答えた。「ダーリンは魔法使い、だよね」


 俺はうなずいた。

「欲しいもの、食べたいもの、行きたいところをことごとく当てる北向に星菜は感動していたわけだけど、そんなの、当たって当然なんだよ。北向は事前に正解を仕入れていたんだから。


 部屋に上がり込めば、その娘の趣味や特技はなんとなくわかるだろうし、もしパソコンやタブレットがあれば、検索履歴なんかを調べたはずだ。ターゲットが興味を持っている対象や食いついてきそうな話題が、いとも簡単にわかっただろう。まるで心の中を覗き見ているようなものだからな。魔法使いを演じるのも、楽じゃない」


「言われてみれば、自分の部屋のパソコンにそこまで強いロックをかけないよなぁ」

 のんびりと高瀬はピザを摘まみながら言うが、柏木と月島はもちろん他人事ではない。


「どうりで気持ち悪いくらい話が合ったわけだ」

 柏木は眉根を寄せる。

「行ってみたかった焼肉屋さんにあたしを誘ったのも、欲しかったコスメをプレゼントしてきたのも、そういうことだったの……」


「何度もうちに侵入していた割に私に声を掛けてこなかったのは、おいしい情報が手に入らなかったからだね」


 警戒心の強い月島は、パソコンに厳重なセキュリティをかけていた。なんらかのポスターを貼るような娘でもないし、北向からすれば、大変な難敵だっただろう(そのうえ罠まで仕掛けてくるのだから)。


「あー、もう、ムカツク!」

 唐突な柏木の怒声に、裏の席に座る野球帽の少年がすくみ上がった。

「絶対許さない。乙女の心をもてあそんだ罪は大きいからね。死刑よ死刑」


「女の恐ろしさを思い知らせてやる」と続いた月島の瞳は、静かな怒りを宿していた。


 さて、さすがに死刑というわけではないけれど、北向にはこの後、それ相応の罰が待ち受けている。


「目に物見せてくれる!」と気勢を上げる柏木と月島が、高瀬から作戦のバトンを受け継いだかたちだ。


 その初期段階として月島が北向をこのファミレスへおびき出す必要があったわけだが、願ってもない月島からの誘いを彼が断るわけもなく、数分後にはほくほく顔の22歳が軽快な足どりで来店する手はずとなっていた。


「そろそろスタンバイしますか」と柏木が月島に言って、二人は立ち上がった。


「月島。こんな作戦に参加して本当に大丈夫なのか? けっこう危ない橋を渡ることになるぞ?」

 彼女の抱える傷を考えれば、とても適任とは思えない。


「リハビリの一環と捉えて、楽しんでくるよ」

 月島は涼しく笑う。

「なにかあったら、男性陣、その時はひとつよろしく」

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