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第25話 幾度となくその温もりに包まれたならば 5


 ついに24時を過ぎ日付が変わったが、いまだに星菜は帰らない。


 こりゃもう星菜はお泊まりだよ、と言おうとした矢先、柏木が口を開いた。

「ちょっとあたしたち、近くのコンビニに行ってくる」


「まだなんか食べるのかよ?」

「つべこべ言わず悠介はここで見張っていること。いいね」


「すぐ戻るからね」高瀬が言って、「寝るなよ」と月島が続いた。

「気をつけろよ」


 俺の注意を気に留める様子もなく、三人はどことなくいそいそと公園を出て行く。


 土管の中に一人残された俺は、白い息を吐きながら先ほどの話題について考えていた。しかし思い浮かんだのは、高瀬でも柏木でも月島でもなく、母親の顔だった。


 人を想うということ――。


 母・有希子ゆきこは、高校卒業と同時に離ればなれとなった柏木恭一かしわぎきょういちのことをその後もずっと、想い続けていたんだろうか? いたんだろうな、と俺はすぐに疑問を打ち消した。そして自嘲した。そんなの決まっているじゃないか、と。


 彼女を記憶の中からさぐり当てた時、その表情はいつだって能面だ。きれいな顔ではあるが、決して良い顔ではない。母親の顔というよりは、彫刻や、門番のそれと表現した方がいいかもしれないくらいだ。


 恭一への気持ちを断ち何も思い残すことなく俺の父と結ばれたならば、そのあいだに生まれた子は、月の下でこうして虚しい思いをせずに済んだはずなのだ。


 家庭内で妻を、母親を演じつつ、内に宿る恋心が愛へと昇華していく実感に胸を焦がしていたとしても少しもおかしくはない。


 母もまた、人を想い、それに伴う痛みと闘っていたのか――。


 そんな風に考えてしまったことで、俺の未熟な心は、もちろん穏やかではなかった。乱れていた。


 目についた小石を手にとって、馬をしたバネの遊具目がけて放り投げる。それにとりたてて意味はないし、何も解決はしない。それはわかってる。でもそうせずにはいられなかったのだ。


 小石は乾いた音を立て、鹿の遊具に跳ね返った。


 馬鹿だな、と再び自分を笑う。



 ♯ ♯ ♯



 三人娘は10分ほどで帰ってきた。


 買い物袋を三つも四つも持って戻ってくるかと思いきや、見えたのは、高瀬が持っている小さな袋一つだけだった。


 こちらに近づいてくる彼女たちは、どういうわけか笑うのを堪えている。


「おかえり」

 俺が声をかけると、三人は土管の入り口を塞ぐように並んで立った。そして高瀬が代表して口を開いた。

「神沢君。16歳の誕生日、おめでとう」


 柏木がぱちぱちと手を叩き、月島は澄ました顔をしている。


 俺はようやく状況を把握した。

「そっか、夜中の12時を過ぎて日付が変わったから……」


「ちょっと」高瀬は呆れる。「今日10月21日は神沢君の誕生日でしょう? なんで私たちが覚えてるのに本人が忘れてるのよ」


「す、すまん」俺はたじたじとなる。誰かに祝ってもらったことなんてないから」


「まさかこういう状況で祝うことになるとは思わなかったけど、はい、これ。私たち三人から」

 高瀬は手に持っていた袋から苺のショートケーキを取り出した。


「神沢。お勉強以外のことではさほど頭が回らないキミに教えてあげるけど」

 月島が腕を組んで言う。

「たかがショートケーキ一個か、なんて思わないでよ。ここでもし私たちがバラバラに値の張る物をプレゼントでもしたら、神沢はお返しに苦慮しちゃうでしょ。キミにはお金の余裕がないんだから。そこまで考えてるわけだ、こっちは」


 だったらラーメンなんか奢らせるな、とここで突っ込むほど俺は子どもじゃない。なにしろもう16歳だ。


 柏木が続く。

「本当はロウソクも立てようかとも思ったんだけど、そのケーキじゃ16本も刺すところがないし、ムリに刺すとぐちゃぐちゃになっちゃうから諦めたの。それで我慢してね」


「我慢もなにも、これで充分だよ」と言って俺はケーキを受け取った。「みんな、ありがとう」


 三人は満足したようにうなずいて、再び土管の中へ潜り込んで来た。


 俺はプラスチックの容器を開け、フォークでケーキを一口大に切り取り、それを口に運んだ。


 とたんに生クリームの甘さが口全体に広がり、心と体を幸福感で満たし尽くした。いつになく甘く感じたのは、しょっぱい味噌ラーメンを食べた反動か、あるいは三人娘の愛が込められていたからか。いずれにせよ、幸せというのは案外コンビニでも手に入るものらしい。


 ケーキを食べ終えて幸せの余韻にひたっていると、突如として光が――強く眩しい光が――土管の中に差し込んできた。


 反射的に目をつぶる。


 車のヘッドライトか、と気付いた時には、そのセダンは星菜の自宅の前で減速していた。


「おいおい来たよ」月島は珍しく興奮を隠せない。


「車だったか」俺が言う。「星菜の本命は、運転免許証を持てる年齢ってことだな」


「さては、水族館の帰りにクルマで夜景巡りでもしてきたねぇ」

 柏木が言うなら、きっとそうなんだろう。


 車が停車し、少し間が空いてから、助手席のドアが開いた。


「星菜さんだ」高瀬がささやく。


 南米のパレードにでも参加してきたのか? そう思いたくなるくらい派手な出で立ちの星菜は、車の前方をぐるっと半円を描くようにして駆けて、運転席へと向かった。


 表情までは確認できないが、まとっている雰囲気からは、充実の一日を過ごしてきたことをうかがわせる満足感が漂っていた。


 運転席の窓が上からゆっくり開いていく。


 そこに現れた顔を見て、俺と高瀬と柏木は絶句した。それから少し遅れて、月島も目を見開く。俺たちとクラスは違っても、彼女もその男・・・には見覚えがあるはずだった。


 男と星菜はドア越しに何かを語り合い、顔を近づけて、キスをした。


「えーっと」高瀬は頭の中がえらく混乱しているようだ。男の肩書きを考えれば、それは無理もなかった。「これ、いったい、どういうこと?」


「こういうことだ」と俺は言った。「あの光景がすべてだ。これが真実ってことだろう」


「どうして、あの人が……」

 どうして、と彼女は繰り返す。だめでしょ、と喉元まで出かかっているようにも見える。


「ふーん」と柏木は怒りと驚きが混在した声を出す。「それにしてもあの車、どうなの? あんなにペイント入れちゃって」


 星菜にとっての魔法使いの正体に気を取られすぎていて、車体には全く意識が向いていなかった。言われてみればたしかに黒地の車体には、意味のよくわからない英文や、ギターの絵が描かれている。いわゆる“痛車”というやつだ。


 柏木は続ける。

「なるほどねぇ。あいつ、ディストピアのファンだったんだ。ちょっと意外かも」


「柏木。なんだ、その、“なんとかピア”っていうの?」


「“ディストピア”、ね。流行にうとい悠介は知らないか。全国区ではないけど、知ってる人は知ってる、人気ロックバンドだよ。あの英語は歌の歌詞だし、ほら見て、ボンネットに書かれているマーク」


 俺たちは土管から身を乗り出して、それを確認した。


 何かが頭の中で、かちっ、という小気味よい音を立てた。


「あれが、ディストピアを象徴するマークなの」と柏木は解説する。「お墓をモチーフにしているみたいだね。ああいうの、好きな人は好きだから。かまがちょっと、グロいよねぇ」


 音の正体が掴めた。ホチキスだ。


 この秋に俺たちに降りかかった出来事を記した別々の紙が、ホチキスでひとつにまとめられたのだ。


 自然とジャケットのポケットに手が伸びていた。


 だらしないところがある俺は、ポケットに物を入れたままにしておくことが珍しくない。


 右手は月島の部屋で拾った、悪趣味な銀色のオイルライターに触れる。


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