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第25話 幾度となくその温もりに包まれたならば 2


「神沢はさ、高瀬さんとセックスしたいでしょ?」


 月島はベッドの上から顔をこちらに向け、突然そう尋ねてきた。俺はその隣に敷いた布団の上で横になっている。


「月島」声が裏返ったことくらいは、許してもらおう。「意味がわからない。そんなことをおまえが聞いてくる意味も、そして俺がそれに答える意味も」


「ごちゃごちゃ面倒なことは言わず、答える!」


「ここで俺が『そんなことしたくない』と回答したら、おまえは明日から俺の言うことを信じないだろうが」


 どうせ返ってくる答えはわかりきっているはずなのだから、わざわざ意地の悪い質問をしないでほしかった。砂漠で行き倒れている者に「水が欲しいか?」と問いかけているようなものだ。


「要するに『したい』ってことね」


 俺は押し黙った。否定をしないということで、答えとする。


「でもさ、他の女の子――たとえば、キミのまわりにいる私や柏木とも、そういうことしたいって思うんでしょ?」


「答えなきゃ、だめか?」

「ダメ」


「悪い、寝る」俺はいったい何の拷問に遭っているのか。


「コラ!」月島はベッドの上から手を伸ばし、俺の毛布を引っ剥がした。「言っておくがな、私だって思い切ってるんだぞ。ほら、答えろ」


「おまえさ、今日はなんだかおかしいぞ?」

「おかしくなんかない。神沢。私はキミの命の恩人だということを忘れるなよ」


「あ、それを言っちゃうんだ」

 その切り札を出されたら、黙秘はできない。


 俺は罪悪感を覚えつつも「思う」と正直に答えた。


「高瀬さんのことが、好きなのに?」

「ああそうだ」俺はもう開き直った。「高瀬のことが好きなのに、他の娘ともそういうことをしたいと思う。悪いか」


「神沢君、素直でよろしい!」


「おい、そろそろ教えろ。なんのためにこんなタチの悪い質問を続ける? ウブな男のウブな反応を目に収めたって良い夢は見られんぞ」


「不思議に思うことが多くてさ」と彼女は言った。「女と男の違いってやつ? 少なくとも私はそんな風には思わない。私は好きな人以外の人となんて考えられない」


 俺はベッドの方を見ることができない。


 月島は続けた。

「『男なんてそういう生き物なんだ』ってひと思いに笑い飛ばせればいいんだけど、どうしても私の場合、難しく考えてしまっていけない」


 彼女は口にはしなかったが、中学時代の暴行未遂事件以来、ということなのだろう。もしかすると今日のストーカーの件で、その謎はまた深まったのかもしれない。


「神沢、男代表として答えろ」と彼女は言った。「なんで男はそんなにだらしないんだ? 心に大事な人がいるのに、どうして他の女の子へ対する欲求が生まれてくる? おまえたちの心と体の関係は、いったいどうなってるんだ?」


 矢継ぎ早に浴びせられる質問にたじろぎつつ、俺は少し考えてから「たとえば」と返した。「好物はカレーだとする。腹が減っている。目の前にシチューがある。それを食べたいと思う。その欲求は責められることか?」


「ごめん、よくわかんない」

「ああ、なんか違うな」話していてしっくり来なかった。「どう言えばいいだろう」


 なんだか、この秋はやけにこういった系統の問題に頭を悩ませている気がする。


 思い返せば、太陽がうちに泊まりに来たのがそもそもの発端だった。


 風呂で高村光太郎の『道程』をそらんじた辺りから、風向きがおかしくなった。太陽がすべて悪い。そういうことにしておこう。


 それはさておき、今はベッドの上で水玉模様のパジャマに身を包む月島に、一定の納得を与える必要がある。


 その方法として真っ先に思い浮かんだのは、科学的な説明をすることだった。


 つまり、ヒトという種として自らの遺伝子を残すという目的は共通していても、男と女では課せられている役割が違っていて、それに伴い様々な差違が生じているんだというようなことを語るやり方だ。


 しかし彼女だって、それくらいの知識くらいはとっくに備えているだろう。


 求められているのは、教科書的な回答なんかじゃない。


 俺は天井の豆電球をぼんやり眺め、高瀬のことを考えていた。


 俺は彼女のことが好きだ。とても、好きだ。


 あの白く無垢な肌に触れたいと思う。あの潤った唇に口付けしたいと思う。何も考えず、裸になってひたすら抱き合いたいと思う。それは、その気持ちは、遺伝子や本能といった言葉で全て説明がつくほど、単純なものではないはずだ。


 そこには、人間が単なる二足歩行動物ではない由縁ゆえんが――他の動物とは一線を画す発展を遂げてきた理由が――たしかに潜んでいるはずなのだ。


 それは、なんと言い表せば良いのだろう? 


 情か、想いか、それとも――。


 それは地方都市に住む一高校生にとっては、あまりにも難問だった。


 いずれにせよ、俺には心がある。口を開く。


「あのな、月島。おまえの中で男っていうのは、まるで理性のない生き物というイメージがあるかもしれない。少しは理性のある獣、かもしれないけど。どっちにしろ、それ自体はおまえの過去を考慮すれば、誰も非難しないと思う。俺も文句は言わない。ただな、これだけは伝えておくぞ。男にだって、混じり気のない想いはある。絶対ある。本能的な欲求の存在ももちろん認めるけど、それだけが男を突き動かすわけじゃないんだ」


 答えになっていないかもしれないけど、今の俺には、これ以上の返答を用意するのは無理だった。


「イメージしているのは、高瀬さん?」

 ベッド上で少しこちらに身を寄せ、月島が問う。


「そうだ」と俺は認めた。


「へぇ、冒険好きのお嬢様が羨ましいな。『混じり気のない想い』だって。私もそんな風に言われてみたいもんだ」


 顔に火照ほてりを、脇に冷や汗を感じて俺が黙っていると、月島は仰向けになり、「正直言うとさ」とため息混じりに言った。「今でも思い出すことがあってね、あの時・・・のこと。男の匂いとか、声とか、目つきとか。嫌になっちゃう。鳥肌は立つし、ブルーになるし」


「まだ2年しか経ってないんだ、無理もない」

 誰より体裁を気にする彼女のことだから、俺たちの前では相当強がってるんだろうな、と不器用なりにも感じてはいた。


「長い時間をかけて料理してお腹いっぱい食べたり、実家に電話して家族の声を聞いたりしても、気分が戻らない時があって。そんな時は最終手段。神沢、キミのことを思い浮かべるんだ。『月島、大丈夫だ』って言って抱きしめてくれたなら、どれだけ心が落ち着くだろう? って」


 彼女はそこで小さく笑い、「私が人の温もりに期待をかけるなんて可笑おかしいでしょ?」と言った。


「全然」と俺はすぐに答えた。「全然、可笑しくない」


 右手には、観覧車が空中で止まった時に俺を支えてくれた、高瀬の左手の温もりがいまだに残っている。


 月島は言った。「しょせん、対症療法たいしょうりょうほうに過ぎないんだけどね。抱きしめてもらうって言っても」


「対症療法、か……」

 彼女の苦悩の根深ねぶかさを知った気がした。


「そうは言ってもね、それをもし何度も何度も繰り返せば、根源を絶てるんじゃないかって割と本気で思っていたりもするんだよ。それだけ神沢の温もりに触れたなら、その後私が思い出す匂いは、声は、眼差しは、きっとキミのものだ。幾度となくその温もりに包まれたならば、さすがに私の体にキミが染みつくはずだ。そして私を襲ったゴミどものそれを駆逐してくれるはずだ」


 夏に花火を見ながら(情けなく俺は涙ながら)、「みんなの未来は俺がどうにかする」と大見得おおみえを切った手前、これは参ったなと思っていると、それを見透かしたかのように月島が言葉を継いだ。


「どうする、神沢。私をより良い未来に導くためには、私のことを千度抱きしめなきゃいけないみたいだよ?」


「それは」言葉に詰まる。「それは」


 彼女はベッドの上でわざわざスペースを空けて、布団をまくった。それだけでもこっちは意識が飛びそうだったのに、そこへ「その一回目、してみる?」とかささやくのだから、実際、飛んだ。


 いつか太陽のバカが言った、「悠介。どっちが早く童貞を卒業できるか勝負しようじゃないか」というどうしようもない台詞がこのどうしようもないタイミングで、真っ白な頭によみがえってきた。


 下半身に理論を超越した熱を感じる。


 これでは何を説いたって、説得力がまるでないというものだ。仕方がない、太陽が全部悪い。


「冗談だって」と月島は意地の悪い声で言った。そして布団を再び掛けた。「高瀬さんへの混じり気のない想いを、せいぜい大切にしておきなさい」


 俺が平静さを取り戻していると、彼女は「今はね」とつぶやき、自信を見せつけることを忘れなかった。


「なんだか眠たくなってきた」実際彼女はあくびをする。

「俺は起きてるから、安心して眠れよ」どうせ今夜は、眠れそうにない。


「じゃ、最後にひとつ聞かせて。神沢が思う、私の魅力をひとつ挙げて」


 俺は少し考えてから「ひざが、きれい」と答えた。


「結局脚かよ」月島はふて寝する。

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