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第25話 幾度となくその温もりに包まれたならば 1


 月島と待ち合わせたのは、彼女が一人暮らしするマンションの近くのコンビニだった。


「ごめんね神沢。こんな遅い時間に呼び出して」

「いいよ。それより何があったんだ?」


「ストーカー」と彼女は言った。「ストーカーが私の部屋に上がり込んだ」


「ちょ、ちょっと待って。えっと、状況を整理させてほしい」

 頭はえらく混乱していた。朝目覚めたら枕元に金塊と拳銃が置かれていた。そんな感じだ。


「月島。まず、ストーカー被害に遭っていたのか?」

 なぜ今まで俺たちに黙っていた? と内心で疑問をていしもした。


「うちに行こう」と彼女が言うので、二人は店を出て歩き始めた。「ここ最近、誰かに後をけられているような感覚があって。それがんだと思ったら、今度は部屋の様子が外出する前と後で違っていることが多くなって」


「今日は、なんでこんな時間に外出を?」

 腕時計を見れば、もう夜の9時過ぎだ。


「バイト」と月島は答えた。「先週から始めたの。近所のブティックで。夜は暇だし」


 俺と同じく正真正銘の校則違反だが、今それはどうでもいい問題だ。


「部屋の様子が違う」俺は話を戻した。


「そう。定規で測ったわけじゃないけど、モノの位置が微妙に変わっていたり、匂いだったり、雰囲気だったり。とにかくね、ちょっとずつ何かが違うことが続いていて」


 人一倍繊細で敏感な月島ならば、たしかに誰も気が付かないようなわずかな変化も見落とさないはずだ。


「確証を得るために、今日はトラップを仕掛けてみた」と月島は言った。「リビングの開き戸の前にコップを置いておいたんだ。その中にはビー玉を敷き詰めた。下からきれいに赤、青、緑の層を作って。もちろん、最後には私が確認しなきゃいけないから、注意してそっと戸を開けば、倒れないで済む背の低いコップを選んだ」


「なるほど。その結果を受けて、俺に電話をかけてきたってわけか」


 隣で月島はうなずいた。

「コップの場所は変わってなかったし、ビー玉も一個残らずコップの中に入っていた。でも色はめちゃくちゃに混じっていた。まさか肝心なのはコップの位置でもビー玉の数でもなく、色の順番だとは思わなかったみたい」


「月島の後をけていた奴が、おまえのいない間を見計らって、部屋に侵入していた」

「そうとしか考えられないよね」


「たしかにストーカーだな」

「変態ストーカー野郎だ」と彼女はマイナス方向へ修正した。「とにかく私は一目散に外へ出て、気づけば走りながらキミに電話かけてた。今日が居酒屋の仕事が休みで本当に助かった」



 ♯ ♯ ♯



 月島が住んでいるのは、小綺麗なたたずまいのマンションだった。


 鉄筋造りの六階建てで大きな公園に面し、築年数も比較的浅いことから、優良物件と評して良かった。


 エレベーターを四階で降り、月島に従って足音が反響する廊下を歩いて行く。


 掃除が隅々まで行き届いている清潔な廊下だ。心に傷を抱えた女子高生を付け狙う変質者は侵入できてもちりは一つたりとも落ちていない、世界に誇りたいほど素晴らしい廊下だ。


 俺がある疑問を抱いたのは、彼女がドアノブに一旦手を掛け、鍵が掛かっていることを確かめていた時だった。

「ストーカーは、どうやって部屋に上がり込んでいたんだろう?」


 注意深い月島にかぎって鍵を掛け忘れて外出するなんてあり得ないだろう。ましてや何日も連続で、なんて。


「わからない」と彼女はすげなく答え、解錠した。


 ドアに備え付けられているのは、一般的なシリンダー錠だ。手先が器用な人間であれば、先の細い棒などで鍵の開け閉めは自在だったりするのだろうか?


「神沢。悪いんだけど、先に行ってくれるかな」


 彼女に関心を抱く“誰か”と部屋の中で鉢合わせる可能性は、確かにゼロではなかった。


 仕掛けられたビー玉の罠に怖じ気づき一度は退散したけれど、自らを特定しようとするターゲットからのいわば“反撃”に、理不尽極まりないヒステリーを起こし再度侵入を企てたとしてもおかしくはない。

「わかった。おまえは後からついてこい」


 俺はゆっくりドアノブを引いて、おそるおそる月島の居住空間に足を踏み入れた。


 玄関もリビングも電気が点きっぱなしなのが、なにより彼女の狼狽ぶりを物語っている。


 俺は靴を脱いで、リビングへ続くドアの隙間から部屋の中を覗いた。


 とりあえず、人の気配は感じられない。


 少し安堵してリビングへ入る。足元には侵入者の存在を証明したコップが置かれていて、ぞくっと寒気が走った。月島の言った通り三色のビー玉は無秩序に混在していた。


 一人暮らしにしては広めのリビングは、温かみを感じる木目調の家具で統一されていた。人が身を隠せるような場所は見当たらない。

「部屋は全部でいくつある?」


「この居間の他に六畳の寝室がひとつ」と月島は背後で答えた。「それと洗面所にお風呂、トイレ、そしてキッチン」


 順に、巡回していくことにした。


 寝室ではベッドの下や押し入れの中まで目を通し、洗面所では室内干しされていたキュートな下着に意識を奪われつつも、ドラム式洗濯機の中まで調べ上げた。


 バルコニーに出てみたりもしたが、血相を変えた男に襲撃され、取っ組み合いの格闘になるなんてことには結局ならなかった。


 見回りを終えリビングへと戻り、俺はほっと胸をなで下ろした。


 やれやれ、といった様子で前髪を払う月島の仕草を見れば、彼女もようやく本来の落ち着きを取り戻したようだった。


 ふと、部屋の隅に何かが落ちていることに気が付いた。先ほどまではまるで目に入らなかったが、心に余裕が生まれて初めて見えるものもある。


 それは、銀色のオイルライターだった。


 しゃがんで、手に取ってみる。ホイールを回す。炎が立つ。

「月島。おまえ、タバコを吸うのか?」


「タバコは嫌い」彼女はライターを見て眉をひそめる。「仮に吸うにしても、そんな悪趣味なデザインのものは使わない」


 外観には、西洋的な墓石ぼせきの上で巨大な二つの鎌が交差する絵が彫り込まれていた。


 それをクールと取るか不気味と取るかは人それぞれだろうけれど、少なくとも彼女は後者の側らしい。


「となると、ストーカー野郎が落としたってことか」

 裏面や底も確認してみたが、持ち主の名前が彫られている幸運には恵まれなかった。


 俺はドア付近にある例のトラップに目をやる。そして、なるほど、と推理を立てた。


「こんな部屋の隅にまでビー玉は転がってしまったんだろう。よほど犯人は焦ったらしい。ビー玉を回収する拍子に、ライターを落としたことに気付かなかったんだから」


「はぁ、やだやだ」月島は自分で自分の両肩を抱くようにして言った。


 その様子を見るに、底気味そこきみ悪い人間の底気味悪い所有物など自分の生活空間に置いておきたくはないだろうと忖度そんたくして、俺はその証拠品を羽織っていたジャケットのポケットにしまい込んだ。


 しばらく沈黙があった。その後で彼女はこちらに近づいて来て、口を開いた。


「神沢、お願いがあるんだけど」

「なんだ?」


「今夜さ、ここに泊まっていってくんない?」

「はい!?」


「今から玄関の鍵を増やすのは無理だし、どっかの変態野郎が上がり込んでくるかもしれないなんて考えたら絶対眠れないし。それともキミはあれか? 私に一晩中包丁を持って玄関に立っていろとでも言うつもり?」

「そ、そんなこと言うつもりはないけどさ……」


 目の玉が飛び出しそうな月島の“お願い”を聞いて、すぐに高瀬の顔が思い浮かんでいた。もちろん柏木も豪快に足音を響かせて、その映像に乱入している。


 月島はまるでそんな俺の頭の中を覗き見たかのように「言わないって」と言った。

「誰にも言いません。高瀬さんにも柏木にも。今夜のことは二人だけのヒミツってことで」


 人の心と男女間の不文律ふぶんりつについて精通しているとはいえない俺ではあっても、年頃の女の子の部屋で年頃の男が一泊することの意味合いくらいは、わかっているつもりだった。


 俺だってそれなりの陰毛が生えた男子高校生だ。性の授業において「おしべとめしべが」と始まったら、おいちょっと待て、と教師にクレームの一つも言えるくらいの常識は持ち合わせている。


 それだけに月島の事情をわかってはいても、なかなか首を縦に振ることは出来なかった。


 だが結果としては、俺はこの洒落たマンションで一夜を過ごすことになった。


 月島が柄でもなく頬を染めて放った言葉が、俺を懐柔かいじゅうしてしまった。

「私にはさ、神沢しか頼れる人がいないんだよ」


 そう言われると、男は弱い。

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