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第24話 いつか羽ばたくその日のために 4


 冷や汗ものの危機を脱した柏木は一転、少しも臆することなく星菜と話をするようになった。まるで「当たって砕けろ」という言葉を作戦のスローガンとして急きょ採用したかのようだった。


 素性がばれるのを恐れない柏木のその姿勢は、もうやけっぱちになったのか、と俺と高瀬を慌てさせたけれど、結果としては星菜との心の距離をぐっと縮めることに成功した。


「で、星菜はカレシいるの?」

 ついに柏木は勝負に出た。不自然さとは無縁の、とてもさりげない物言いだったから、心で拍手を送る。


「晴香はどうなの?」


「あたしはいるよ」と柏木は答えた。「鳴桜のサッカー部でキャプテンしてる」


「へぇ。文武両道じゃん。まぁでも、晴香にはそのくらいの男じゃないと釣り合わないか」

 柏木を持ち上げているような台詞の割には、星菜の声にはいやに|とげがあった。


 それを受け、高瀬がペンを走らせる。

〈星→負けず嫌い 晴→見抜いた〉


 俺は彼女に対してうなずき、頭の中で足りない部分を補った。なるほど。要するに柏木は、自分がレベルの高い男と交際しているとはったりをかまし、星菜の対抗心を刺激することで、本音を引き出そうと考えたのだ。


 その目論見は当たり、「私もいるんだなぁ」と星菜は甘い声を出した。


「来た来た。ねぇ、どんな人? 教えてよ」


 もし星菜が頭の中で太陽をイメージしていたなら、柏木が鳴桜高校の名を出したのだから、「偶然だね」と言い始めてもおかしくなかった。しかし俺たちが実際に聞けたのは「優しくて」だった。


「優しくて、面白くて、超気が利く彼だよ。デートの時なんかいつも必ず、家まで送り届けてくれるし」


 いつも・・・、と彼女はたしかに言った。いつも?


 太陽と星菜は交際を再会してからわずか数日で、そんなに何度もデートをしているのだろうか? いや、と俺はかぶりを振る。星菜は太陽以外の男を思い浮かべていると考えるのが自然だ。


「私のダーリンは魔法使いなんだ」彼女はそんなことを言う。「私の気持ちがわかっちゃうの。あれ欲しいな、これ食べてみたいな、あそこ行ってみたいな、って思っていたら、全部叶えてくれるんだもん。すごいでしょ」


 柏木は「どこの生徒?」とか「同級生?」とかいうようなことを聞きたそうな顔をしていたけれど、すかさず星菜が何かを思い出したように手を叩いから、質問する機を逸した。


「そういえば彼、今度の日曜に、水族館に連れて行ってくれるんだ。私、深海魚が大好きで。あの不細工な顔がたまらないでしょ。このこと話してないのに、ダーリンはわかっちゃうんだよなぁ。私の好みが」


「以心伝心じゃん。いいなぁ。そういうの羨ましい」

 嫌な顔ひとつせず星菜のお惚気のろけに付き合ってやるあたりが、柏木の人徳なのだろう。芝居だろうが。


 いつの間にか高瀬のルーズリーフには新たに〈水族館???〉と書き出されていた。疑問符が三つも並ぶのは当然で、海なきこの街に水族館はない。最も近い施設でも、電車で二時間はかかるはずだ。


 それにしても先日は動物園、今度は水族館とは、星菜は将来獣医にでもなるのだろうか。


 柏木は今度こそその魔法使いの正体を探ろうと口を開きかけたが、またしてもそれは叶わなかった。「小石川こいしかわ先生!」と星菜がちょうど声を上げたのだ。


 見れば、優しそうな男の教師がラウンジの前を通りかかったところだった。


〈これ以上はダメ!〉高瀬はすばやくそう書き、実際に荷物をまとめ始めた。俺も焦る。


 柏木が在籍していることになっている1年6組の担任が、たしか、小石川という名だった。それほど多い名字ではないし、視線の先にいる穏和な人物が俺たちにとっては危険人物であるのは間違いなかった。


「小石川先生」と星菜は媚びるように言った。「私も6組に入れてくださいよ。うちの担任、厳しすぎだって。さっきも怒られたばっかりだし」


 小石川先生は苦笑を浮かべ星菜に近付いていく。「羽田さんはちょっと問題児だからねぇ。1組で鍛えられた方がいいと思うよ」


 星菜は「ひどーい」と冗談めかして言った。それから正面に座る潜入者の顔を覗き込んだ。「ねぇ晴香。担任の小石川先生だよ? 挨拶くらいすれば?」


 限界だった。


「ずらかるぞ!」俺より先にそう叫んだのは、探偵団の結成を宣言したお嬢様だった。



 ♯ ♯ ♯



 高瀬・柏木と別れ帰宅した俺は、いつものようにベッドで仰向けになり、今日のことを思い返していた。


 南高近くの公園で協議の場を持った俺たち三人は「星菜には太陽以外にもう一人彼氏が存在し、なおかつそちらが本命だ」という結論に達した。


 星菜の口ぶりにはどことなくしばらくの間継続して付き合っている男を念頭に置いている雰囲気があったし、なにより――これが決定打となったのだが――柏木が太陽に電話をかけて次の日曜の予定を尋ねたところ、「なんにもねーよ。暇だし、オレとおまえで悠介を襲撃するか」と返ってきたのがすべてだった。


 この時点で、なぁ太陽、と切り出しても良かった。おまえやっぱり今回も遊ばれているぞ、と。


 だが高瀬が「相手を特定できるまでは黙っていよう」と慎重な意見を出したので、太陽の落胆は先送りとなったのだった。


 高瀬は“星菜の魔法使い”を特定するつもりでいる。


 つまり探偵団の活動は継続ということだ。どうすれば星菜の尻尾を掴めるか。二次不等式を解いている時より数段難しい顔をして次のプランを練る高瀬を見れば、もうこの辺でやめておこうよ、と言い出すことはできなかった。


「動かぬ証拠を突き付ける!」乗り掛かった船ということなのだろう、この頃には柏木もそう言ってすっかりその気になっていて、どうせ否が応でも強制参加させられる羽目になる俺の気分たるや、ブレーキが故障した車に乗っているそれであった。


 さいわい運転手は高瀬だから、大事故にはならず済みそうではあるが。


 いや、どうだろう? 助手席に柏木が座ってしまったから、想定外の目的地に着くことにはなるかもしれない。


 夜空の星を見上げ、憐れな友のことを考える。


 一度ならず、二度までも強く恋をした人に裏切られたと知ったら、太陽はいったいどんな顔をするだろう。どんな言葉で、自分を責めるだろう。きっと彼は、星菜に激しく詰問したりはしない。歪むのは、星菜の仮面ではなく、太陽の端整な顔だ。


「オレさ、星菜のこと好きなんだよ、今でも」

 そう喜色満面で語っていた太陽が、俺は忘れられない。誰かを想うことの喜びを、その人の笑顔を信じられる感動を、あいつは再び失うことになる。


 未来に大きな悪影響を及ぼしかねない心の空白を、俺の唯一の友人は埋めることができるのだろうか? 


「男殺しの毒蛇め」

 妖しい光を放つ星に向けてそうつぶやいたところでスマホが鳴り、思考は途切れた。


 高瀬が何か妙案を思い付いたのか、はたまた、太陽の虚しいお惚気話のろけばなしを聞かされるのかと予測したが、画面に表示されたのは、まったく予想していなかった人物の名前だった。


 俺は首をかしげながらも、呼び出しに応じた。

「もしもし、どうした?」


「神沢! お願い、今すぐ来てっ!」


 月島のその声は、切迫している。

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