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第22話 その目に明るい未来が映りますように 4


 一通り動物を見終わると、誰が言い出すわけでもなく、俺たちは足を休めることになった。


 園の中央部にある休憩スペースで、空いていた一卓の円形テーブルを囲うかたちで椅子に座った。もちろん自然に、太陽の隣には星菜、俺の隣には高瀬という構図になる。


「ねぇみんな、お腹空かない?」左隣の高瀬が言った。


 上はカーキ色のジャケット、下はミニスカートにロングブーツというのが、彼女の秋の装いだった。


 俺の視線が太ももに注がれていることに気付かずに、高瀬はショルダーバッグの中からバスケットを取り出して、テーブルの上に置いた。

「サンドイッチ、作ってみたんだ」


 俺の胸は高鳴る。初めて味わう好きな人の手料理に期待が膨らまないわけがない。家で軽く食べてきたから空腹ではなかったけれど、途端に食欲が湧いてきた。

晩飯ばんめし、食べていなくて」

 出任せを言った。そういうことにしておいた方が、作った本人も甲斐があるんじゃないかと俺なりに思った。


「それはちょうどよかった」

 高瀬がバスケットのふたを開けると、見るも鮮やかなサンドイッチが顔を出した。彼女の几帳面な性格を象徴するかのように、それらはきれいな三角形に切り分けられている。


 そこで「あれぇ」と怪訝けげんそうな声を出したのは星菜だ。


「私も作ってきたんだ、サンドイッチ」

 彼女は同情を誘うように眉をひそめ、高瀬と同じようにバスケットをテーブルの上に広げた。

「なんかさ、具材まで一緒みたいなんだけど」


 事前に示し合わせたのではないかと疑うほどに、両者のこしらえたサンドイッチは似たような形相けいそうをしていた。


「こんなこともあるんだなぁ」

 星菜の機嫌を取りたいのだろう、太陽が、不自然なくらい明るい声を発する。

「大丈夫大丈夫。男子高校生二人の胃袋のキャパシティを見くびるなって。これくらい、余裕で食えるよ」


 なぁ、悠介? と同意を求めてくるので、仕方なく首肯する。


 太陽は星菜のツナサンドを、俺は高瀬のハムサンドをそれぞれ手に取って、それぞれ惚れているの視線にいくぶん緊張しながら口に運んだ。


 まず感想を述べたのは太陽だった。

「最高。天才だよ、星菜。これ、店で売ってるレベルだ。毎朝食べたいくらいだ」


 一口食べただけでそんなに褒め言葉を詰め込んでしまって後で足りなくならないか、と呑気に友人を心配している場合じゃなかった。


 俺は反応に困っていた。


 高瀬のハムサンドを評するならば、良く言えば不思議な味、悪く言えば――正直に言えばということになるが――まずかった。


 とても、という言葉をつけてしまうことに抵抗を感じないほどまずかった。


 パンもハムもレタスも上質なものを使っているはずなのだが、べちゃっ・・・・としたペースト状の何かが口の中で猛烈に自己主張してきて、全てを台無しにしてしまっていた。何よりこの食べ物は、とてつもなく臭い。


「神沢君、どう? お口に合うといいんだけど」


 高瀬の目は奥の奥まで澄み渡っている。俺はもう一口、それを食べることにした。今度は彼女が台所に立って、料理本やウェブサイトを参考にしながら料理に励む姿を想像しながら。


 しかしそれでもだめだった。そんな安直な方法でごまかしが効くほど、このハムサンドは甘い代物ではなかった。まずいものはまずいのだ。


 味覚は人それぞれだが、きっとこれは100人いたら99人は口に含んですぐに顔を歪めるに違いない。それができない残りの1人は、きっと俺のような立場の人間だ。


「新感覚だね」と俺は言っていた。自分が可笑しくて仕方なかった。だがもう引き返すことはできない。妄言を続ける。「うん、独創的な味だ」


「そうでしょう!?  実は普通のハムサンドを作ってもつまらないかなと思って、ちょっと変わったものを入れてみたんだ」

 高瀬はしたり顔で、聞いたことのない調味料の名を次々挙げた。


 そこで初めて口の中に充満する異臭の謎が解けた。


 料理が苦手な人ほど奇をてらったことをしたがる傾向があるとどこかで聞いたことがあるが、まさしく高瀬はそうだった。そしてそういう人に限って、宿命的に味見を怠る。


「神沢君。違うのも食べてみて」

 恐ろしいことに高瀬はバスケットをこちらへ寄せてきた。

「ハムサンドが気に入ってくれたなら、他のも口に合うと思うよ。工夫・・を凝らしているから」


 一方太陽は、こちらとは違って、順調にサンドイッチの数を減らしていく。惜しみもなく賛辞を口にしているが、嘘を言っているようには見えない。星菜はその見た目に反して、料理が得意なのだろうか。 


 次に俺が選んだのは、外観だけならば、ホテルで出てもおかしくないポテトサラダサンドだ。


 頭を空っぽにして、かぶりつく。


 酢だ。濃厚な酢の味がする。残念ながらじゃがいもの柔らかい口当たりも、きゅうりのしゃきしゃき感もこれには存在しない。胃が強い拒絶反応を示していた。


「これはこれでいい」と俺は吐き出したい欲求を抑えて言った。


「ポテトサラダが一番大変だった」と彼女は自慢げに振り返る。「大人っぽい味に仕上げたつもりなんだけど」


 高瀬がサンドイッチ各種に施した工夫は、結局俺の味覚を徹底的に掻き乱すことになった。


 やはり自作したという苺ジャムをふんだんに使ったジャムサンドは、目が眩むほど甘過ぎたし、たまごサンドに至っては、悪意を感じるほどマスタードが利いていて、夜空から剥がれた星が後頭部に落ちてきたのではないかと思うくらい食べた瞬間に衝撃が全身を襲った。


「どんどん食べてね。お腹空いてるんでしょ?」

 高瀬は無邪気に言う。嘘をつくものじゃないな、と俺は反省した。


 彼女の中で俺は、晩飯を食べていないことになっているのだ。


 それではサンドイッチの味を褒めた大嘘の報いは、いつ訪れるのか。そう考えると不安でならない。



 ♯ ♯ ♯



 二人の女の子が似たようなおもむきのサンドイッチを作ってきたとなると、「食べ比べてみよう」となるのが自然の成り行きで、甲乙を付けようという勝負めいたものではないにしても、俺たちもそうすることになった。


 高瀬のバスケットには依然多くのサンドイッチ(もどき)が残されており、俺としては手分けをして処理してもらえると助かるわけだが、その反面、太陽と星菜の反応が気掛かりでもあった。


「じゃ、高瀬さんのお手並み拝見といこうか」

 何も知らない太陽は気楽にそう言った。

「悠介、オススメは?」


 最も危険な味を一つ減らす絶好のチャンスだった。「ハムだ。ハムサンド」


 太陽は素直にハムサンドを、星菜は少し迷ってからジャムサンドをそれぞれ手に取った。


「いただきます」二人は齧り付く。みるみるうちに彼らの顔色が青ざめていく。


「え」と太陽は困惑の声を出した。チョコだと思って口に入れたら小石だった。そんな顔をしている。気持ちは痛いほどわかる。


 見れば、星菜は食べかけのジャムサンドを持ったままうつむき、笑うのを堪えている。それから一分後のことだった。ダムが決壊したかのように彼女は笑った。きゃははは、と派手に膝を叩いて笑った。

「もう我慢できない! ねえ優里。これはあり得ないって! いったいなにをどうしたらこうなるの!?」


 太陽が空気を読んでくれと言わんばかりの困惑顔で慌てたが、彼女は少しも意に介さず「悠介も無理しなきゃいいのに」と続けた。そして誇らしげに両手を広げた。「私のを食べてみてよ。美味しくてびっくりするから」


 俺はハムサンドを摘まんで食べた。「これだよ」という台詞が天啓のように胸に舞い降りてきた。これこそが正真正銘のハムサンドだよ、と。太陽の賞賛は決して誇張なんかじゃなかった。


 高瀬は自分と星菜のポテトサラダサンドを手にとった。そして二つを食べ比べた。歴然とした差を舌で痛感したのか、その頬はたちまち真っ赤に染まった。そしてなにかを言いたそうな目で星菜を見た。でも結局彼女は何も言わなかった。


 星菜の顔には、してやったりという達成感が滲んでいる。


 美人で賢く、所作も洗練されている同性の失態が、気持ちよくて仕方ないようだ。


 やはりあんたを例えるなら毒蛇じゃないか、と俺は警戒レベルを数段階引き上げた。


 もし高瀬の首元に噛みつき、毒を注入するつもりなら、その時はさすがに俺も黙ってはいない。



 ♯ ♯ ♯



「高瀬さんの弱点発見の巻! だな」と太陽が隣の便器で放尿しながら言った。


「誰にだってひとつやふたつ欠点はある」と俺は恋する人を擁護した。


 息の詰まる軽食タイムを終えた俺と太陽は、動物園の男子トイレで用を足している。惚れている女の子の弱みについての話などしたくないので、俺は話題を変えることにした。

「これからどうするんだ? 動物は見終わったぞ。帰るのか?」


「なに言ってんだ。本番はこれからだよ」

 太陽はあごを便器の上に突き出した。そこには小さな窓があり、窓の外には観覧車を見ることができる。この街で唯一の、観覧車だ。


「乗るのか、あれに」俺の声はくぐもる。


「なんだ悠介。気が進まないのか。高瀬さんとふたりきりの天空デートだぞ」


「高所恐怖症なんだよ。笑えないくらいに。おまけに、俺が乗った時に限って大事故が起こるんじゃないかと、悪い方に考えてしまう」


「やめてくれよ、縁起でもない」

 太陽は身震いした後で、オレは決めるぞ、と言った。

「観覧車の中で星菜に告白する。今までのことは水に流してもう一度やり直そう、ってな」


「そうかいそうかい」と軽く受け流すと、先に用を足し終わった太陽は、肩を俺の背中にぶつけてきた。


「ていうか、応援してくれよ。『二人はお似合いだな』とか、そういうの、言えよ!」


 すっかり忘れていた。表向きは、太陽と星菜の恋を応援しなきゃいけないのだった。


「なぁ太陽。星菜がそんなに好きか? そりゃ可愛い子には違いないし、なんて言えばいいんだろう、小悪魔的とでも言えばいいのか。そういう魅力があるのもよくわかる。でも彼女はちょっと、性格に難アリだぞ。高瀬のサンドイッチはたしかに出来は良くなかった。でもだからと言って、あそこまで高らかに笑うことはないだろ」


「誰にだってひとつやふたつ欠点はある」太陽は俺の声を真似て言った。「なぁ悠介。高瀬さんの料理の腕が壊滅的だとわかって、それであの娘のことが嫌になったか?」


「なるわけないだろ」と俺は即答した。「その程度のことで俺の気持ちは変わらない」


「それと同じだ」と太陽は言った。「星菜はあの性格だから、悠介に限らず、こころよく思わない奴も大勢いる。でも星菜は、オレにとって特別なんだよ。この外見も性格もそれからドラムも、全部星菜から与えられたモンだ。彼女にはオレのドラマーになる夢をそばで見守っていてほしいんだよ」


 ここで俺の星菜に対する所感を述べるのは、つまり、彼女は心を入れ替えてなんかおらず、それどころか、以前より強い毒を隠し持っているんだぞ、ということを太陽に忠告するのはそれほど難しくないことだった。


 しかし堂々とした彼の立ち姿を見れば、その行為が時間の無駄にしかならないのは明らかだった。


「よっしゃ、行こう! いよいよダブルデートもクライマックスだ。オレの未来をあの空で勝ち取ってくるぞ!」


 太陽はそう宣言して、夜空に輝く星に手を伸ばす。

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