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第22話 その目に明るい未来が映りますように 2


 太陽&星菜、俺&高瀬のダブルデートがついに明日に迫った。


 居酒屋のバイトを終えた俺は、何を着て夜の市営動物園に行くべきか、古びた箪笥たんすから自分の衣類を全て引っ張り出して、ありとあらゆる組み合わせ(コーディネイトと言えばスマートだろうか?)を試していた。


 ダブルという不届きなかんむりが付くとはいえ、高瀬と行く記念すべき初のデートに変わりはない。


 上等なものは持ち合わせていないけれども、それでも44点を45点にするくらいの努力はする。


 だって、四捨五入すると、なんとか及第点には達するじゃないか。


 10月の夜だしさすがに半袖はないな、と思いお気に入りのストライプシャツに来春までの別れを告げていると、スマホが驚いたような音を立てた。


 心なしか厚かましい着信音だ。そう警戒すると、なるほど、電話をかけてきたのは柏木だった。

「おいっすー、お仕事、お疲れさん」


「どうも」


「しかし最近めっきり寒くなったねぇ。ついこないだまで扇風機なしじゃ眠れなかったのに、今は朝方なんか、電気ストーブが恋しいもん。季節は確実に変わっていくのです」


 柏木が当たり障りのない世間話から入ったことで、かえって俺は、それなりに身構える必要があった。


「葉山君の恋はどう転びそう? 太陽が昇るのは、まひるか星空か」

 本人なりにうまいこと言ったつもりなのか、くくっ、と笑う。


「興味なんかないくせに」


「そんなことはないよ」と柏木は言った。「前も言ったけど、友達に葉山君のことを狙っている子が多いから、表立って動けないだけだって」


 ふと、鏡に映った自分と目が合った。そういえば、夏に高瀬と花火大会の話をしていた時も裸に近い格好だった。なぜみんな、俺が下着姿の時に限って電話をかけてくるのだろう?


 柏木は言った。「日比野さん応援隊の二人は、何か行動に打って出るわけ?」


「これといって特には」と俺は嘘をついた。「今は静観していることしかできないんだ」


「人の恋を応援している暇があったら、自分たちの恋をなんとかしなさいよって話だよね。悠介も優里も、抜けてるところがあるんだから」


「で、何の用で電話をかけてきたんだよ」


 用が無きゃ電話をかけちゃダメなの? と返されるのが一番厄介だったけれど、彼女は少し間を置いてから、あらたまった声を出した。

「実はね、教育実習の北向先生に食事に誘われちゃった」


「はぁ!?」

「まちなかに新しく出来た焼き肉屋さんに、一緒に行かないか、って」


 教育実習生がそういうことをするのはご法度はっとだろ、と瞬時に頭に浮かび、俺は実際それを口にした。


「ね。完全にアウトだよねぇ、これ」

「で、おまえはどうするんだよ」


「迷ってる」

「迷うのかよ」


「これもひとつの社会勉強だよ、柏木さん」

 柏木は北向きたむきの声を真似た。軽薄さが上手く表現できている、と感心している場合ではなかった。


 ははっ、と一笑してから俺は言った。

「果敢にバックパック一つで日本を飛び出して、世界中にフレンドがいる北向が、おまえの目には魅力的に見えたか?」


「そういうわけじゃないけど」

 柏木は俺の言い方が不愉快だったようだ。

「だって、悠介はあたしのこと全然誘ってくれないじゃん。食事とか、映画とか、カラオケとか。『ウチに飯を食いに来い』でもいいのに」


 俺がどう返すべきか悩んでいると、「止めないの?」と彼女は続けた。


「悠介が止めないなら、あたし、思い切って行っちゃおうかなぁ。一回行ってみたかったお店だし」


 俺は気付けば、右の人差し指をこめかみに押し当てていた。こめかみのその奥には、明日のことがある。ダブルデートだ。柏木と月島には決して知られぬよう、秘密裏にこの計画は進められてきた。企ては成功して、今日に至るまで、その情報が漏れることはなかった。


 今だって柏木は、まさか俺が明日の夜に高瀬と会うべく、服選びに四苦八苦している最中にあるだなんて思いもしないだろう。


 そんな馬鹿な誘いに乗るな、と言えずにいるのは、そのことで少なからず彼女に対する後ろめたさがあるからだ。


「柏木、俺は」そろそろタイムリミットだった。「俺はおまえの彼氏じゃない。おまえが他の男とどこに出掛けようが、俺にはそれを止める権利がない」


「権利!」と柏木は呆れたように言った。「悠介が優里のことを好きなのは、よくわかってる。でもさ、だからといって、あたしがどうでもいい存在ってわけでもないでしょ!?」


 言外に、両者の親が逃避行している事実がちらついていた。


 ここでの正解はきっと、間髪容れず柏木をなだめることだった。たとえ手垢てあかの付いた言葉を用いたとしても。しかしきれいな収拾を目指してどう返すべきか考え込んでしまったのが、まずかった。「あー、そうですか」と来た。


「そういうことですか。あたしのことなんか、どうでもいいんだね! もうさ、悠介は優里で頭がいっぱいなんだ。はいはい。それならそれでいいじゃない。焼肉、楽しんでくるから。あたしには焼肉に行く権利・・があるからね! 優里といつまでもお幸せに!」


 電話が切れると、ため息をついてキッチンへ行き、冷蔵庫から牛乳を出して飲んだ。


「ひたむき先生、あんた、何やってんだよ」

 相づちを打ってくれる人はいないけれど、つい口にしていた。


 下心見え見えの、モラルを欠いた課外授業をやめさせるのは、少しも難しくない。北向の指導教官で、俺たちの担任でもある篠田教諭に今すぐ電話して、密告すればいい。


 ただ、それをやると、なんとなく男として負けのような気がしていた。


 みずからは意中の娘とのデートに心を弾ませているくせに、自分に気がある娘の火遊びは、裏から手を回して立ち消えさせる。あまり胸を張れる行為とはいえない。


「柏木……」

 思わず、その名をつぶやいていた。止めてほしかったんだよな、と今ならわかる。“権利”なんていう無愛想きわまりない言葉を使ってしまったことにも、後悔が残る。


 いつかさよならを言う時のことを考え、冷たい言動は差し控えようと胸に刻んだばかりなのに。


 しかし、最もいただけないのは、北向に違いなかった。生徒に手を出すのは厳禁のはずだ。 


 ひたむきになるべき対象を履き違えている教育実習生に対する嫌悪感は、いつの間にか軽蔑へと変わっていた。

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