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第21話 さよならを言う時はいつか来るから 3


「“未来の君”といえば」トイレから戻ると太陽がその言葉で俺を迎えた。「一体全体どうなってんだ。ていうかな、オレのことはいいんだよ。問題はお前だ、悠介。月島嬢が加わって、候補は三人だぞ、三人。さぁ、じっくり聞かせてもらおうじゃないか。攻守交代だ!」


「どうなってんだ、と言われても」

 逆にこっちが、運命の神様に金一封を添えた質問状を送りたいくらいだった。

「候補がどれだけ増えようが、俺には高瀬しか見えないよ」


「でもさ、占い師が言うには、相手を間違ったら悠介に幸せな未来は訪れないんだろ?」


 その通りだった。「何が言いたい?」と返した俺の顔は、きっと引きつっている。


「占い師が悠介の隣に見た“未来の君”が、柏木や月島嬢である可能性ももちろんあるわけでな。そうなると、高瀬さんは幸せの使者なんかではなく――」

 俺への思いやりなのか、彼はそこで言葉を切って咳払いした。


「不幸の使者、ってことか」やむを得ず、俺が継ぐ。


「占いを信じるなら、そういうことも頭に入れておく必要があるよな。いや、もちろん、高瀬さんが“未来の君”ならば、問題はナッシングなわけだが」


「ここまで来て、今更『占いなんか知るか』とは言えないだろう」


「あのな、悠介。オレは決して意地悪で言っているんじゃないからな。高瀬さんを好きっていう気持ちはよくわかるし、友人としてそれを応援したいとも思う。ただ、心のどこかには、もう一人の自分も住まわせておかなきゃいけないぞ。『誰が俺の“未来の君”なんだ?』と、冷静な目を持って見ることができる自分をな」


 改めて考えてみると、高瀬、柏木、月島のうち、二人と歩む未来は、俺に幸せをもたらさないなんて、にわかには信じられないことだった。


 誰と共に生きたってそれなりの幸福は(もちろん努力次第ということになるだろうが)掴めるように思えるし、柏木と月島に至っては自分の提示した未来が俺を幸せに導くと信じて疑わないでいる。


 思わず窓の外を見ていた。あの老占い師にもう一度会えないかな。無理だと知りつつも、そう内心でつぶやいてしまう。


「今夜は特別ってことで、我が輩の意見を述べましょう」

 太陽は出し抜けにそう言うと、布団の上で姿勢を正した。

「何かの縁でオレは、この春から始まった悠介が主演するドラマの視聴者になっちまった」ほぼ毎回友情出演もするがな、と彼は肩を揺らして笑う。「特等席からそのドラマを見てきたオレが思う、悠介の“未来の君”は――ズバリ、柏木だ」


「柏木、か」


「運命とか、絆とか、そういうのは正直よくわかんねえよ。でもオレの目には、悠介と柏木は最高の相性に見える。ふたりは互いの弱点をよくおぎなっているぞ」


 ほら見なさい悠介、と得意になった柏木の甘い声が秋の風に乗って飛んで来そうだ。太陽には賛辞だろう。バカ葉山もたまには良いこと言うじゃない、と。


「夏の海でおまえさんと柏木、夜に浜辺に出て行ったまま、結局朝まで帰って来なかったよな? あんな長い時間、ふたりで何やってたんだよ」


「やましいことは何もしてないよ」

「悠介、今宵は腹を割って話そうと」


「嘘じゃない。柏木に聞いてもらってもかまわない」

「ほう? 浜辺の砂でお城でも作ってたのかね、明るくなるまで」


 高校時代に交際していた俺の母と柏木の父が数年前になんらかのかたちで再会し、全てを捨ててどこかへ旅立った。


 その話を柏木から聞き、彼女の憤慨を受け止め、ささくれだった心を鎮めるようにふたりで海を眺めていたのが、あの夜の出来事だ。


 いくら太陽が信頼できる友だとはいえ、俺と柏木の間にある見えざる結びつきを彼女の許可なく白状するわけにはいかない。


 実はあの晩夏の夜の一件が――柏木の狙い通り、と言えば言葉は悪いが――「何があろうとも高瀬だ」という俺のスタンスを足元からぐらつかせていた。


 もちろん高瀬に対する想いの強さに、変わりはない。ただ、太陽が言ったような「誰が俺の“未来の君”なんだ?」と冷静な目で主観を抜いて三人を見たときに、柏木が他の二人よりまぶたに強く焼きついてしまうのは否定できなかった。


「柏木の望む未来は、世界で一番幸せな家族を作る、だっけか」

 太陽は腕を組む。

「悪くないと思うけどな。元気いっぱいのあいつと生きる毎日は」


「そうだな。ぜんぜん悪くないな」


「そしてその夢を叶えてやれるのは、この世で悠介ただひとり」


「らしい」と俺は照れて言った。


「それで言うと、月島嬢にとっても悠介はスペシャルな一人だ。あの娘の未来も、悠介ありきなんだろ?」


「らしい」と俺は繰り返した。


「夏のはじめに現れたときはとんでもない爆弾娘だと思ったが、なんだか最近は邪気が抜けて良い感じだよな、月島嬢。オレの周囲でも『あの冷めた感じがたまらん』っていうマゾ男子が急増中だ。彼女の涼しい瞳に見下されて、罵られたいんだってよ」


「馬鹿じゃないの」


「大変だな、悠介君。こうなったらいっそ、三人まとめて面倒見ちまうか。な?」


「な、じゃないよ。そんなことできるわけないだろ」


「月火は高瀬さんと大学に行って、水木は柏木の亭主をやり、金土は東京でせんべいを焼く。おお、なんとかなるぞ。頑張れ、悠介!」


 景気よく手を叩いて適当なことを放言する太陽に顔をしかめつつも、少し気になったので「日曜はどうするんだ」と試しに聞いてみた。すると「そこはオレと遊ぼうぜ」と返ってきたので、呆れて夜空を見上げた。



 ♯ ♯ ♯



「悠介って、童貞?」と太陽が尋ねてきたのは、風呂の洗い場で俺が体を洗っている時だった。


「まひるとの勉強でくたくたなんだ、風呂入ろうぜ」と彼がせがむので、湯を張り、なぜか男同士のバスタイムを過ごしている。


「童貞の中の童貞だ」

 湯船につかる彼に真実を答えた。気のせいか、彼の視線は俺の下半身に向いている。


 タイムリーなことに現代文で高村光太郎の『道程』を扱っているというのもあって、「僕の前に道はない」と付け加えた。深い意味も、ない。


「チューも、まだか?」


「あのな」と俺は背中をタオルでこすりながら言った。「俺はつい半年前まで暗黒の毎日を生きていた人間だぞ。そういうのとは、無縁だって」


「高校に入ってから、実はやることやってるのかと思ってよ」

 イヒヒ、と彼はいやらしく笑う。


 そういうおまえはどうなんだ、と俺が問うと太陽は「僕の後ろに道はできる」と『道程』の続きをそらんじた。すなわち、童貞、ということらしかった。


「それどころか、キスもまだなんだよなぁ。オレたちは、まだまだガキってことだな」


「中学時代の星菜とは、何もなかったんだ?」


「手すら握らせてくれなかった時点で、遊ばれていたと気付くべきだった」

 太陽は自嘲ぎみに笑う。

「ただ今度は違うぞ。星菜は遊びでオレに近付いているんじゃない。ということは、ということは、だ」


 何を想像したのか、太陽はウヒョーと奇声を上げ、浴槽から俺に湯を浴びせ掛けた。

「よし悠介! どっちが早く童貞を卒業できるか、勝負するぞ!」


「くだらないなぁ。そんなこと競ってどうするんだよ」


 こういうたぐいの話をすると、どういうわけか、胸から太ももの付け根辺りにかけて皮膚の内側からくすぐられているかのようなゾワゾワした気持ちになってしまう。


「この遠い道程のため」

 二度、そう繰り返し、内にてざわめく衝動を懐柔かいじゅうする。

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