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第21話 さよならを言う時はいつか来るから 1


「太陽が星菜と会っている」と日比野さんから相談を持ちかけられたのは、列島上空の秋雨前線がテコでも動かない頑固さを発揮し、冷たい雨が連日続いているせいで咳やくしゃみが校内のあちこちから聞こえてくるある日の午後だった。


「どうしたらいいんでしょう」と始まり、いつしか「このままでは陽ちゃんはダメになってしまいます」と話がややこしくなってきたので、俺一人では手に負えないと判断し三人娘にも協力を仰ぐことにした。


「太陽を星菜の呪縛から解放する」と豪語したものの、まさかまたしてもその二人が接近しているとは思いも寄らなかった。星菜の思惑や狙いも、女性歴15年以上の彼女たちの方が正確に読み取れるだろう。


 そんなわけで雨粒が窓を濡らす放課後、三階奥にひっそり佇む“未来のため”の秘密基地には太陽以外の四人に加え、日比野さんがいる。


「あの色男にも、そんな痛い過去がねぇ」

 例の“星菜事件”が再度日比野さんの口から語られ、柏木が真っ先に反応した。

「あの馬鹿、夏にたき火を囲んだ時、そんなこと一言も言ってなかったよね。あたしたちに隠し事なんかするんじゃないっての。どうせこうやってばれるんだから」


 高瀬が俺の向かい側で苦笑した。

「葉山君、恥ずかしかったんじゃない? それより、このこと、私たちが聞いちゃって良かったのかな?」


「良かったんです」

 すぐさま日比野さんが断言した。彼女は、太陽がいつも座る席に腰掛けている。

「陽ちゃんのためを思えばこそ、です」


「陽ちゃん」

 煎茶せんちゃの準備を進めていた月島が、少し冷やかすように繰り返した。


「すみません。小さい時からそう呼んでいるもので、つい」


「いいのいいの、さ、どうぞ」

 自分で風を当てておいて衣を掛けるつもりなのか、月島は優しく笑んで日比野さんに茶を提供した。俺たちの前にも同様に配り、座る。


 寒いのだろう、柏木がありがたそうに湯飲みを手にとって言った。

「話をまとめると、中学時代に痛い目に遭わされた星菜って娘とまた今になって葉山君は会っているらしくて、これ以上深入りしないよう、あたしたちに説得してほしい。そういうこと?」


 日比野さんは、寂しそうにうなずいた。

「陽ちゃん、星菜さんと一緒にいるのが楽なんですよ。星菜さんはドラマーになる夢を手放しで応援してくれているみたいで。片やわたしは『勉強しなさい』『医学部でしょ』ってうるさいだけですから」


 一拍間があってから、「ちょっと確認したいんだけど、いいかな」と申し訳なさそうに小さく手を挙げたのは高瀬だ。


 眼鏡っ子はレンズの奥で目を瞬く。「はい、なんでしょう?」


「日比野さんは、葉山君のことを異性としてどう思っているのかな、って」


 この高瀬の語調には、誰も聞かないから私が損な役回りを買って出ましょう! という思い切りの良さがあったけど、それはわざわざ問うまでもない質問だから俺も柏木も月島も切り出さなかったのであって、日比野さんから返ってくる答えはある程度予想できたのだが、まさか「愛しています」という言葉が聞けるとは思わなかった。


 ここはたしか公立高校だ。芝居小屋ではない。


「あ、い」月島が文明のあけぼのみたいな声を出せば、「わーお」と柏木は日比野さんに一目置いた。


 俺と高瀬の反応は共通していて、なぜか互いの顔を真顔で見合ってしまった。


「すみません。とんでもないことを口走ってしまいました」

 日比野さんの頬は、世界中の夕陽を照射したみたいに朱に染まっている。


「とにかく、わたしにとって陽ちゃんは、ただの幼馴染みではありません。小さい時から今までずっと変わらず、陽ちゃんのことが……好きなんです。星菜さんの件で協力を願い出たのも、正直言えば、陽ちゃんのためというよりは、わたしのためなんです。嫉妬ですね、はい。見苦しいですね、はい」


 柏木が恋する乙女に声を掛けた。

「葉山君さ、高校に入ってからはモテモテだから、日比野さん的には落ち着かない毎日でしょう?」


「はい。正直、夜もぐっすりは眠れませんね」


 なんとなく嫌な雰囲気が漂い始めたなと思った俺の感覚は間違ってなくて、「好きな人に振り向いてもらえないってつらいよね」と月島がこぼしたから、俺は居心地が悪くて仕方ない。


「そうですねぇ。月島さんもわかっていただけますか」

 自分以外の四人がどういう関係性にあるか知る由もない日比野さんは、目を細め呑気に茶をすする。


 高瀬は言った。

「そこまで葉山君に強い想いを持つのには、なにか特別な理由があるの? 幼馴染みってことで長い時間を一緒に過ごしてきたのはわかるし、格好良い人だから、好きになっちゃうのもわかるんだけど」


「陽ちゃんは言ってくれたんですよ。幼稚園の年長組の時です。『いいか、まひる。将来おまえは、絶対オレのお嫁さんになるんだからな』って」


 三人娘は示し合わせたみたいにそろって前のめりになっていた。


「あのですね」日比野さんは眼鏡の位置を整え、続ける。「わたしも一旦は笑って受け流したんですよ。『陽ちゃん、そんな未来のことは、わからないよ』って。でも、陽ちゃんの次の言葉で、わたしの心は、完全に射貫かれてしまったんです。『太陽は、まひるにこそ、輝くんだろうが』」


 ずいぶんませたと言うべきか、口の達者な幼稚園児だ。念のため、「彼女、日比野まひるさん」と三人に改めて紹介しておいた。


「そんな小さい時のお遊びみたいなプロポーズを真に受けて、その気になっているわたしが馬鹿なのはわかっています。でもわたしには、陽ちゃんしかいないんです」


「罪な男だねぇ」柏木が唇の端を持ち上げる。


 日比野さんは、勢いをつけて立ち上がった。

「普段から陽ちゃんが皆さんにお世話になっているのは、わたしも知っています。勝手な依頼だとは思いますが、頼れるのは皆さんしかいないんです。この通りです。どうか、陽ちゃんのことをよろしくお願いします」


 頭を下げる彼女に、高瀬が優しく言葉をかけた。

「日比野さん、大丈夫だから、顔を上げて」


 俺の印象としては、高瀬は個人的に日比野さんのことが気に入っているようだった。なんとなくではあるが、言葉の端々に、地球の裏側で同郷の人間に会ったようなシンパシーが滲み出ている。


「すみません。わたし、陽ちゃんに勉強を教えないといけないので、そろそろ失礼します」

 日比野さんは何かあったら連絡くださいと言い残し、低姿勢のまま退室した。


 俺はすっかりぬるくなった茶を飲んでから、口を開いた。

「あのさ、太陽と星菜がまた会うようになったのは、どう考えても星菜からの働きかけがあったんだと思うんだよ」


 この前高校の中庭で、星菜との思い出話を苦悶の表情で語っていた太陽の姿を振り返れば、彼からアクションを起こしたとは到底思えなかった。


「だとすれば、星菜はいったい、何を考えていると思う?」


 まず意見を出したのは高瀬だ。

「葉山君には悪いんだけど、まともな目論見もくろみがあるとは思えないよね。やっぱり」


 柏木がその隣で同意した。「ま、どうせ金づるでしょ。高校生になるとなにかと欲しいモノも増えてくるしさ」


 月島が続いた。「でもさ、とことん虚仮こけにされたのに、会いに行っちゃうんだから、よほど魅力的なんだよね。その星菜って娘」


 彼女はちゅうを見上げて、星菜の容姿をイメージしているようだった。せっかくだから、「男殺し」というとてつもない異名を持つんだよと教えておいた。


「総合すると」俺は全員を見渡した。「太陽はまた危険地帯に足を踏み入れようとしている。そういう認識でいいかな?」


 高瀬は大きく、柏木は小さくうなずいた。月島はどういうわけか無反応だったが、とりあえず過半数は俺と同じ危惧を抱いていることがわかったので、「みんな、聞いてくれ」と強い声を出した。


「俺は星菜と関わり続ける限り太陽は前に進めないと思う。あいつもそれはわかっているはずなんだけど、なぜかこうなってしまった。ある意味これはあいつの未来の危機だ。太陽を星菜の呪縛から解き放つため、三人の力を貸してほしい」


 即座に高瀬が口を開いた。

「きっとさ、葉山君が前に進むために必要なパートナーは、日比野さんだよね」


「そうだよな!」と俺は言った。まさに俺もそう思っていた。


 高瀬は続ける。

「日比野さん、すごく葉山君のことを想っているし、まっすぐだし、真面目だし、私は日比野さんのことを応援したいな。一番想いの強い人が報われるべきだよ」


 彼女のなにげない最後の言葉は、おのずと注目を自身に集めてしまうわけだけど、はっとして「深い意味はないの!」と言い直したことで、事なきを得た。


 こういったたぐいの話には、「よし来た」と率先して乗ってきそうな柏木だが、見ればその面持ちには当惑が表れていた。

「あたしは協力できないよ」


 俺は驚いた。「どうしてだ?」


「葉山君を狙ってる娘はあたしの友達でも何人かいるの。それなのに表立って特定の誰かを応援するわけにいかないよ。あたしにだって立場ってもんがあるし。日比野さんには悪いけど、今回はちょっと手を貸せないな」


 もしかして俺と高瀬がこの件で足並みを揃えているのが面白くないのか、とも勘繰ったが、柏木が言うことももっともだった。彼女は太陽に負けず劣らず顔が広い。


「じゃあ私は星菜ちゃん派だね」とまさかの発言をしたのは月島だ。


 これには穏和な高瀬も眉をひそめるしかない。


 俺も呆れた。だから言う。

「太陽は今回もおそらく星菜の手の平で転がされているんだぞ?」


「それならそれでいいじゃない」と月島は平然と言った。「当の本人が好きで会いに行っているんだもん、他人がとやかく横槍を入れることもないでしょうが」


 それを踏まえた上で相談しているんだ、と口を挟もうとした矢先、すぐに彼女は言葉を継いだ。


「質問その1。この集まりの趣旨しゅしって?」


「それぞれの望む未来のために、協力する」

 言って、俺は唇を噛んだ。しまった、と思った。


「質問その2。葉山氏が望んでいる未来は?」


「プロのドラマーになること」

 そう答えた高瀬も、月島の導きたい結論がわかったらしく、小さく「あ」と漏らした。


「質問その3。葉山氏をもてあそんでいたとはいえ、彼にドラマーを目指すきっかけを与え、今またその道を応援しているのは?」


 俺と高瀬が何も喋れないでいると、柏木が両手を広げて回答した。「星菜ちゅわーん」


「質問その4。私、なんか、間違ってる?」


 ぐうの音も出ない。なにも間違っていない。


「冷たいと思うかもしれないけどね」と月島は言った。「夏フェスでの葉山氏の演奏をキミ達も覚えているでしょ? 彼のドラムのセンスは、ひいき目なしに非凡なものがあるよ。医者としては平均的なところに落ち着くかもしれない。でもドラマーとしてはそれなりの地位を築くと思うな。それを中学時代にズバッと見抜いた星菜って娘、たいしたものじゃないの」


 太陽が聞いたら「月島様!」と泣いて喜びそうな見解だ。いずれにせよ月島には月島なりの考えがあって、自分の立場を決めたらしい。


 俺は、なんだよ、と複雑な気持ちになった。


 きれいに三人の意見が割れてしまった。俺は今、三者三様という言葉を身をもって学んでいた。


 少し時間が空いて、高瀬が何かを思い出したように口を開いた。

「月島さん。そういえば、アレ、見えた? 日比野さんの色」


「優里、色って何の話?」

 柏木は、月島のちょっと不可思議な能力のことを知らずにいた。


 その人を象徴する色と象徴的なとある情景が月島には見えるんだよ、と俺は説明しておいた。


「紫に近い青だな」と月島は答えた。「咲き乱れたあじさいの花のそばで、今日みたいな冷たい雨の降り注ぐ中、傘を差して、誰かを待っている。来るはずもない、誰かをずっと」


「かわいそう、日比野さん」

 高瀬が窓の外に広がる雨空を見てつぶやいた。


「葉山氏の話を聞いたから、ってわけじゃないよ」と月島は解説する。「私とあの娘、A組で同じクラスだからね。もっと前から彼女からはその色を感じてた。不思議なもんでして」


 柏木が目を見開いて「あたしの色は?」と興味を示した。


 オレンジという色はともかくとしても、「砂漠でバイクに引き回される」という滑稽な情景を聞けば派手にヒステリーを起こすんだろうな、と予想されたが、そこは期待を裏切らないのが我らが柏木で、すぐさま顔に怒りの赤をにじませ、「おい、どういうことだこのやろう」と月島に絡んでいった。

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