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第20話 この想いには価値がある 4


「中学に上がってすぐだな、あれは」と太陽は切り出した。


「オレには好きな人ができた。同級生ながら大人びていて美人で、よく目立つ娘だった。男子の間からは『男殺し』なんていう名誉か不名誉かよくわからんあだ名をつけられていたな。もちろん多くの男がその娘にぞっこんで、当時暗くて引っ込み思案だった『その他大勢』のオレは、憧れの目で彼女をただ眺めているだけだった」


 暗くて引っ込み思案だった――確かに太陽はそう言った。にわかには信じがたい告白に俺は目を丸くする。彼は脚をしなやかに組み替えて、続ける。


「オレのアドバンテージなんてのは、その娘と同じクラスになれて、なぜか席替えの度、彼女と比較的近い席だったってことだ。じかに話なんてとてもできなかったが、それでも彼女に関する情報だけは黙っていても耳に入ってきて、その中で彼女がとあるロックバンドのドラマーのファンであることをオレは知った」


「ああ」と、つい声が漏れ出てそれがそのまま相づちになった。ドラマー、なるほど。


「そう」太陽はうなずいた。「オレがドラムを始めたきっかけを作ったのは星菜せいな――はは、つい言っちまったな。まぁいい。そうさ、星菜というその女の気を惹くため、オレは音楽の道に入っていったんだ」


 中庭は多くの生徒でにぎわっている。仲睦まじいカップルが数組見られる。本を枕に昼寝をする男子生徒がいる。漫才の練習に励む二人組の女子生徒もいる。


 そして俺は今、一人の人間の核心に迫る話に耳を傾けている。


「朝から晩まで勉強はそっちのけで、必死こいてドラムの勉強をした。ちょうど学校の音楽準備室に、使われていない古いドラムセットが一式あったから、そいつで練習する日々が続いた。星菜と話をし始めるようになったのはその頃だ。オレがドラムを始めたことがクラスの中でも浸透してきて、星菜はオレにドラムのことをいろいろと聞いてくるようになった。ドラムの練習風景を見に来ることもあった。そのまま一緒に下校することもあった。そうやってオレたちは急速に仲良くなって、ドラム以外の話題でも普通に会話するようになっていった」


 太陽はおそらく無意識に髪に手を触れ、続けた。


「いつだったか星菜はオレに『元が良いんだから、もう少しルックスに気を使えば?』と提言してきた。オシャレになんて無頓着だったオレだけど、あいつの指示通りに眉毛をキレイに整え、整髪料を使って髪型を決めると、別人みたいに生まれ変わったんだ。まぁ不思議なもんで、性格もそれを機にたちまち明るく変わってな。そうするとそれまで目も合わせてくれなかった女が話かけてくるようになって、男連中もオレに一目置くようになった。星菜との出会いが、オレの世界を一変させたんだよ」


 ドラム、端正な顔だち、明るい性格と来ればそれは、現在の葉山太陽という男を構成する主要三大要素だった。


 星菜というその女の子が太陽にとっていかに大きい存在であったかは、本人に問うまでもないことだ。そして高校生となった今、彼の隣に彼女はいない。


「ノースホライズンを結成したのは中二に上がってすぐだ」と太陽は言った。「悠介、覚えてるな?」


 夏フェスで会った、ちりちりパーマを筆頭とする面々を思い出す。彼らには本当に助けられた。


「あいつらとバンドを組んだ直後、星菜からの告白で、オレたちはついに付き合うことになった。この頃になるともう星菜どうこうじゃなく純粋にドラムの面白さに目覚めちまっていたから、バンド活動と星菜との恋に明け暮れる日々は、そりゃあもう充実していたさ」


 通りかかった二人組の女子生徒が黄色い声で太陽の名を呼んだ。彼はさわやかに笑顔でそれに応じ手を振った。そして述懐を続けた。


「オレは当時中学生ながら、結構な額の小遣いを親からもらっていたから、新品のドラムを買って家のガレージに置き、星菜とのデートではオレが全ての費用を支払った。あいつが靴やバッグ、アクセサリが欲しいと言えば、それらを買い与え、病弱な弟がコンサートに行きたがっていると言えば、チケットを手に入れ、渡してやった」


 ボンボンにしか出来ない芸当だ、と俺は嫌味抜きで思った。


「いくら外面は格好つけていても、仮面を外せば、オレは消極的で控え目な人間だった。家族以外でまともに会話できる異性なんて、まひるくらいしかいなかったから、常に不安が付きまとっていたのさ。そうやってみつぎ物でもしないと、人気者の星菜を自分の元に繋ぎ止めておけない。そう思っていた。


 オレと星菜が付き合い始めて一年が経って、中三になったある日、それは突然やってきた。オレは聞いちまったんだ。星菜が仲の良い女子とざっくばらんに立ち話をしているのを。後にも先にも、あれほどショックだったことはねーな」


 星菜が口にしたという〈真実〉は、隣で聞いている俺の胸をも深くえぐる、とても残酷なものだった。


 とりあえず、星菜は二股を掛けていた。太陽と交際しながら一つ年上の高校生とも付き合っていた。


 というより本命はそもそもその高校生の方で、星菜にとって太陽はいくら使っても枯渇することのない魔法の財布に過ぎなかったのだ。


 太陽が買い与えた靴やアクセサリを身に付け本命の彼とのデートに出掛け、嘘をついて受け取ったチケットを使い、コンサートを楽しんでいた。もちろん彼女の隣の席にいたのは病弱な弟ではない。本命の彼だ。


 星菜は偽装とはいえ一年間交際し続けていた太陽を「中身のない退屈な男」とき下ろし、「ある意味これが本当の援助交際」と言って、高らかに笑っていたという。


「恋は盲目。うまいこと言ったもんだ」

 隣で太陽は自分自身を鼻で笑う。

「星菜の気持ちがオレから離れていくんじゃないかという不安は常にあったわけだが、まさか離れるも何も、元から気持ちが存在していなかったとはさすがに思いもしなかった」


 俺は聞いているしるしにうなずいた。


「星菜はな、言ってくれたんだよ。『ドラムを叩いてる太陽が一番格好良いよ、ドラムのセンスがあるよ』ってな。それが何の取り柄もなかった当時はめちゃくちゃ嬉しくて、将来はプロのドラマーになろうとオレは固く誓ったんだ。今思えばオレは一人でピエロの服を着て舞台で踊り続けていたんだよ」


 これは笑い話だと太陽は言っていたけれど、もちろん俺は笑顔でなんかいられない。肩をがっくり落としうなだれる友を見ると、怒りすら込み上げてくる。しかし今は彼にかけるべき適切な言葉を見つけることができなかった。


 太陽はおもむろに空を見上げた。

「目をキラキラさせて『ふたりは最高の相性だね。だって私たち太陽と星だよ?』って言ってたのも、嘘だったのかな。いや、嘘なんだよな。ああいう結果に終わったのにも関わらず、正直言うと今でも、ふとした時に星菜との楽しかった思い出がよみがえってくる。そして『あれはまやかしだったんだぞ』と自分に言い聞かせる作業に追われるんだ。まさしくあいつは『男殺し』だよ。オレは今も星菜の呪縛から、完全には逃れられていないんだよ」


 そこで大きな紋白蝶もんしろちょうが、一時の休息を求めるように太陽の肩に止まった。彼はそっと蝶の羽を摘まむと、それを空に放った。


「真実を知り、星菜との交際に終止符を打ったオレは、このままじゃいけないと思うようになった。結局のところ、こうなってしまったのは誰が悪いのか? 一般的には星菜ということになるんだろうよ。でもオレは決してそういう風には思えなかった。星菜は星菜で、少しでも自分の人生を有利に進めようと、手の内にあるカードを切っていっただけなんだ。一番悪いのは、金のありがたみも、人の心も、女の怖さも――まとめて言い換えれば――世の中の有りようみたいなもんをわからないでいた自分自身なんだろうと、未熟なオレなりに考えたんだ」


 聞き役に徹することにする。相づちを打てる雰囲気ではない。


「それからというものオレは、まず自分へのいましめとして、親に小遣いの打ち切りを申し出た。オレは本気だったが、一銭いっせんも持たせないのは親として不安ということで、最低限の金額を受け取ることで妥結した。ははっ、そんなわけで、自由に使える金は悠介よりずっと少ないんだぞ」


 どうりでいつも金欠金欠と嘆いていたのか、と俺は合点がいった。


「第二の戒め」太陽は指を二本立てた。「とどのつまり、オレには人を見る目がなかったんだ。それに尽きる。そもそもオレは他人に興味がなさ過ぎた。だから見る目が養われない。そして一年もの間、星菜の本心を見抜けずにいた。だったら目を磨こうとオレは考えた」


「人と関わるようになっていった」ようやく俺が喋って、太陽はうなずいた。


「教室で別に付き合いたくもない連中と一緒にいたり、わざわざ徒歩通学にして、いろんな奴とコミュニケーションを取ってんのはそのためだ。星菜の置き土産と言っていいのかな。さいわいオレは女の気を引く自分の見せ方ってのを会得したし、性格だってご覧の通り明るくなった。近寄ってくる人間には不自由しない。『こんなの本当の自分じゃねぇ』って思う時も多々あるが、今じゃすっかり慣れたよ」


 彼は少し恥ずかしそうに鼻をぐすんと鳴らして、「そうやって人の本質を見抜く目を養ってきた結果、発掘したのがおまえさんなんだがな。当たりだったよ悠介」と俺の肩に手を置いて言った。


「なんか重いな、そう聞くと」


 太陽は小さく笑った。そしてすぐに口元を結んで話を再開した。

「もうここまで話せばわかるよな。オレが恋人を作らないのは、第三の戒めによるものさ。オレも健全な男子高校生だ。女と話すのは楽しいし、可愛いなと思う娘もたくさんいる。もちろんムラッと来ることもある。花川先輩もそうだけど『この人と付き合ったら楽しいんだろうな』って感じることも少なくない。でも今はまだだめだ。星菜の笑顔を思い出して、それが全て芝居だったのかと思うと、頭が狂いそうになる。ま、今はドラムに打ち込む意味でも、彼女なんかいない方がオレのためなんだよ」


 もし高瀬の笑顔が全て偽りだったら? と想像して俺はぞっと寒気を覚えた。高瀬が俺を騙す必要性なんてどこにもないはずだけど、とにかく、彼女にはいつだって濁りのない笑顔を見せて欲しいと願う。


 太陽は言った。

「オレは自分のその経験から、人の気持ちを踏みにじったり、弄んだり、利用したりすることだけは許すことができねぇ。端から見ればラブレター一つにそこまで生真面目に対応しなきゃいけないか、と思うかもしれんが、オレは人の気持ちを、心を、雑に扱うなんてことはできないんだよ」


 痛々しい述懐にピリオドを打つように、彼は茶でゆっくり喉を潤す。俺もきなこメロンパンを頬張る。どういうわけかあまり味はしなかった。


 ふと時計を見ると午後の授業が始まる時間が差し迫っていた。


「ま、そういうわけだ、悠介。オレたちコンビの恋愛担当はおまえさんだからな。たっぷりオレを楽しませてくれよ。恋なんてするもんじゃない。痛い思いをするだけだ。人の恋物語を見ている方が、よっぽど肩が凝らねーわ」

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