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第20話 この想いには価値がある 2


「同性愛者じゃねーよ!」


 俺は勇気を出して、噂の真偽を本人に確かめていた。


「おいおい、頼むよ。悠介までそんな根も葉もない噂を信じないでくれよ」


「そうは言うけどな」俺は周囲の目を気にする。「こうしておまえと一緒に行動する機会が多い俺まであらぬ風評被害をこうむることになるんだから、白黒はっきりさせておきたいっていう気持ちも理解してくれ」


 おほん、と太陽は芝居がかった咳払いをする。

「とにかくオレの恋愛対象は男じゃないぞ! 女だ! オレは女が好きなんだー!」


「わかったよ!」

 大声で何を白状しているんだ、と俺は慌てる。ここは無人の山頂じゃないんだぞ、と。


 進学校ならではの登校風景と言っていいだろう。まわりを見渡せば、英単語帳をまじまじ見つめながら歩みを進める男子生徒が目に入り、模試の結果とにらめっこをして志望校の絞り込みに苦心する女子生徒も確認できる。


 二学期中間テストもそう遠くはないので、誰もが一定の緊張感を持って数字と重圧と、あるいは自分と闘っている。


 ただ例外として俺の隣を歩く男だけは、テストも偏差値も無関係とばかりに、大きく口を開けてあくびをする体たらくっぷりだ。なんでも朝の4時までオンラインゲームに熱中していたという。


 同じ高校に通う生徒とは思えぬ時間の使い方に呆れていると、後方から「ようちゃん」という声が聞こえた。


 それは自分が南国のお花畑にいるのかと錯覚するような、牧歌的な女の子の声だった。そしてきっと太陽のことを「陽ちゃん」と呼んでいる。


 隣で呼ばれた当人は歩くのをやめ、「ぎゃっ」と肩をすくめた。俺たちは振り返る。


「陽ちゃん、おはよう」

 鳴桜高校の制服をまとった女子生徒が、駆けてきたのだろう、少し息を切らして言った。薄いレンズの縁なし眼鏡が、真っ先に俺の目に留まった。


「まひる。その呼び方は、外ではやめろっていつも言ってるだろ」

 太陽は恥ずかしそうに鼻をいて、「こいつ、まひる。いちおうオレの幼馴染みってやつだ」とその娘を紹介した。「朝でも夜でもまひる、と覚えてくれ」


 俺は軽く会釈する。「どうも」


「あなたが神沢さんですね?」と彼女はたおやかな笑顔で言った。「あなたのことは陽ちゃんからよく聞いています。A組の日比野ひびのまひると申します。いつも陽ちゃんがお世話になっています」


 俺は日比野さんの顔を観察してみた。最も印象的なのは、眼鏡の奥にある純朴さが滲み出ている二つの瞳だ。垂れ目ぎみだからだろうか、実年齢よりもやや幼い印象を受ける。


 顔のパーツはどれもおおむね整っており、もしこの顔で福笑いをやって、多少配置がずれてしまったとしても、それでもなお見るにえる顔のように思える。


 長く良い香りがしそうな髪を額の真ん中を境にして均等に流しており、その髪型は彼女の何物にも左右されない公明正大さを体現しているようだ。


 眼鏡美人と称して良かったけれど、もし眼鏡を外せば、相当多くの男子がシャツの下で心臓の鼓動を早めることになるのは容易に予想できた。


 俺たちは日比野さんを加えた三人で、あらためて高校へ向けて歩き始めた。


「陽ちゃんさ、嘘ついてるよね」と日比野さんは言った。「一学期のテストの順位、中間も期末も199位っておばさんに報告してるでしょ? 本当は239位のくせに。嘘つき」


「こいつ、暇さえあればオレん家に転がり込んで、母さんと|駄弁だべってるんだよ」と太陽は俺に耳打ちした。


「一度でも200位以下になったらバンドをやめる。そういう約束だったよね?」


「まさかおまえ、母さんにばらした!?」と太陽は声を荒らげた。


「ばらしてないけどね」幼馴染みは深いため息をつく。「神沢さんからも言ってあげてください。陽ちゃん、病院を継がなきゃいけないのに、このままの成績だと医学部なんて絶対無理なんです。わたしの言うことはちっとも聞いてくれなくて……」


 日比野さんは太陽の家に入り込んでいるとはいえ、父上の力によって彼がもうすでにどこかの医学部に入学が内定している事実は、幸か不幸か、知らされていないようだ。


「敬語は使わなくて良いよ、同じ歳なんだから」と俺が言うと、太陽がそれに反応した。


「こいつな、ひどい人見知りなんだよ。オレ以外とは、相手が同級生であっても敬語口調じゃないと喋れないの。そんなわけで、窮屈だとは思うが我慢してくれ」


 見れば、日比野さんは頬を赤らめていた。


「ちょっとは勉強しろよ、太陽」

 裏口入学の件を知らないフリして言っておいた。でも七割くらいは、実は俺も本気でそう思っている。


「へいへい頑張りまーす」と太陽が軽薄に受け流すと、日比野さんはもう我慢ならないといった具合に眉をひそめた。


「中間テストも近いから今日からわたしと勉強会だからね、陽ちゃん。放課後は寄り道しないで、家に帰るんだよ」


「はぁ!? 冗談きついぜ。何が悲しくてそんなことを。オレはおまえと違って、暇じゃないの! やることいっぱいあるの!」


「やることって言っても、どうせ、バンドとかゲームでしょ。いつまで遊んでる気なのさ」


「バンドとゲームを一緒くたにすんな! オレはドラムだけは本気なんだっつの! それにそもそも医学部なんか行かん! 病院も継がん! オレはオレの道を行くのみ! ゴーイング・マイ・ウェイだ!」


 ふと「日比野まひる」という六文字をどこかで目にしたことがあるような気がした。


 すぐに思い出した。一学期末テストの学年順位だ。俺の記憶に間違いがなければその名はたしか8位の欄にあったはずだ。なかなかの才女じゃないか、と目を見開かずにはいられない。


 太陽が手にすべき未来は、医者となり人を救うこと。日比野さんは優秀な頭脳でそう考えているらしい。


 駄々をこねる子どもを見る目つきで太陽を見て、彼女は「ばらすよ」と言った。

「神沢さんにばらしちゃうよ。いいの?」


「なにをだ」太陽の目は泳ぐ。


「お医者さんごっこ」


「あーっ!」と叫んだ太陽に口を塞がれそうになるも、それをひらりをかわし、日比野さんは俺の隣にやってきた。そして早口で言った。


「子どもの頃の話なんですが、陽ちゃん、『お医者さんごっこだ、パパの真似だ』って言って、わたしの胸やお尻を触ったり――」


「わーわー!」と太陽がわめいてその声をかき消す。


 触ったり――それ以上に何をやったというのだ。


「悠介、この女にはな、実は虚言癖があるんだよ。信じちゃだめだ」


 学年8位の言うことと学年239位の言うことのどちらを信じるべきかは明白で、時効だろう、という擁護も頭をよぎったが、結局俺は、太陽を冷ややかな目で見ることにした。


 勉強しよう/しないの水掛け論を繰り広げる二人を横目に俺は、日比野さんの気立ての良さというか、お茶目さというか、とにかく飾り気のない清々しさのようなところに自分が親しみを覚えていることに気づいた。


 人間不信は依然として治らないけれど、どうやら彼女は信じてよさそうだ。


「これが最後のチャンス」と日比野さんは言った。「陽ちゃん。勉強、する、しない?」

「しない!」と太陽はかたくなに答えた。


「あっそ。じゃ、とっておきを出すからね。神沢さん。実はですね“霧に閉ざされた幼稚園事件”っていうのがあるんですが……」


「ダメッ!」太陽は取り乱す。「あれだけは絶対言っちゃダメ! もう悠介と顔を合わせて話ができなくなる! わかった、やるよ。勉強する」


「最初からそう言えばいいのに」

「人の秘密をぺらぺら喋る嫌な女!」


「神沢さん、霧に閉ざされた――」

「わーわーわー!」


「陽ちゃん。わたし、嫌な女?」


「まひるはいい女」と太陽はしょんぼり答えた。

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