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第19話 世界はとてもカラフルだ 4


 これといったセールスポイントのない俺たちの住む街ではあるが(そう言うと高瀬に叱られるけど)先日の野外ロックフェスティバルとこの花火大会は、それなりに有名な催しである。


 エンターテインメント性を前面に打ち出したこの天空ショーはテレビやインターネットで評判が広まり、今やこの地域の外からも観光バスに乗ってやってくる団体客がいるほどだった。


 花火見たさに何時間もバスに揺られるその気力体力に出不精でぶしょうな俺などは脱帽するばかりなのだが、まぁとにかく、それほどに魅力的な大会ということらしい。


 開催されるのが毎年8月最後の日曜日ということもあって、この花火が終わると「あぁ、今年も夏が終わったんだな」としみじみするのがこの街の人たちの風習となっていた。


「今日は一年で最大の書き入れ時なのよ」と言って開店時間をいつもより大幅に早めたいずみさんの狙い通り、のれんを掲げると、すぐさまお客さんが入り始めた。


 まだ明るい時間だというのに、酒類が飛ぶように売れ、店からはまたたく間に空席が消えていく。


 俺は基本的には厨房勤務で、フロアが困ればそちらへ救援に向かった。


 太陽は額に汗を浮かべながら生ビールをジョッキに注いで「くぅ、うまいんだろうなぁ」と漏らし、高瀬は柏木の視線に怯えながら、「モ、モダン、いっちょう!」と、おそらく、いまだかつて出したことのない声域から声を出していた。


 ひとつわかったのは、柏木はこの店の看板娘だということだった。


 顔馴染みのお客さんが何人もいて、彼らの中で柏木はマドンナであるらしく、その明るさと容姿を最大級の褒め言葉で賞賛されていた。


 長い髪を後ろで一つに束ね、笑顔を絶やさず、てきぱきと要領よく仕事をこなす彼女の後ろ姿は、俺の目にだって輝いて映る。授業中に居眠りしている背中が印象としては強いけれど、「柏木にはこういう面もあったんだな」と感心せずにはいられなかった。


 陽が落ちはじめ、店の外では、花火会場である河原へと向かう人の流れが出来つつあった。甚平じんべいや浴衣に身を包んだ男女もいたりして、こういう光景を見ると、日本の夏はいいな、と呑気にも思ってしまう。


 そして見ることが叶わなかった高瀬の浴衣姿を想像して、虚しくなってしまう。


 時間の経過と共に、フロアよりも厨房の仕事の方が多くなってきたので、最も戦力になるであろう月島がこちらに助っ人としてやってきた。


 お婆さん直伝という持ち前の包丁さばきで、豚肉やイカをリズミカルにさばいていく。頼もしいことに、俺より手際が良い。


 いずみさんは現在、常連と思われるお客さんに声を掛けられ、渋々ながらそれに応じている。それを機と見たのか、月島は隣で「神沢」と俺の名を呼んだ。


「どうした」

 月島の声には一定の重さが含まれていたので、サラダ用のトマトを切る手を止めた。


 彼女は言った。

「中学校の屋上でさ、声を掛けたの、正解だったんだよね?」


「は?」


「いやほら、考えようによっては、飛び降りちゃった方が楽だったのかもしれないわけでね」


「もちろん正解だよ」と俺は答えた。死ぬことで得るやすらぎよりも、生きることでともなう痛みを求めていたのだと、今なら胸を張って言える。


「それはよかった」

「月島。どうしたんだよ、いきなり」


「いきなり、とキミは言うが」

 包丁をこちらに向け、月島は小さな唇を尖らせる。

「全然ふたりきりになれないんだから、こういう時に話すしかないだろうが」


 照明が反射して光る刃におののきつつ「すまない」と詫びると、彼女は包丁をイカに突き刺し、上手にはらわたを取り出した。


「こんなはずじゃなかった」

 いずみさんがまだ戻らないことを確認して、月島は吐息をつく。

「私の計画では、この夏の間に神沢を実家に連れて行って、家族にキミのことを紹介しておくつもりだったんだ。それなのに、巻き込まれたバンド活動と海での酔っ払いの介抱と強制労働で、ついに高校一年生の夏が終わる」


 こんなはずじゃ……と彼女はもう一度肩を落とす。


「なぁ月島」と俺は言った。「俺をおまえの実家のせんべい屋・月島庵つきしまあんの跡継ぎとするっていうあの計画、今でも――」


 あははは、という月島の余裕ある笑い声に言葉は遮られた。

「本気だよ。高瀬さんも柏木も、今は泳がせているだけだから。最後は私が勝つ。絶対に神沢を東京に連れて帰るから」


 高瀬がフロアからこちらに顔を出して「神沢君、ミックス追加」とせわしなく言い、「モダンもだ」と太陽が続いた。「おわっ、ジョークじゃないぞ」


 二人がフロアに戻ってから「それにしても」と月島はシニカルにつぶやいた。

「それぞれの未来のために協力し合う、なんてさ、なかなかエキセントリックだよね。日本の高校見渡しても、こんなことやってるの、神沢とあの子たちくらいじゃない? しかもけっこう本気と来てる。ヒュー」


 やけに他人事じゃないかと突っ込むべきか、ずいぶん上から目線だなと嫌味を述べるべきか迷った後で、なんだか彼女が可笑おかしく思えたので「言っておくがおまえももう立派な『あの子たち』の一員だぞ」と言ってやることにした。


「冗談!」月島は空いている手で前髪を払った。「私はいつだってね、少し引いたところから傍観してるんだい。あくまで私の目的はキミの監視だからね。『それぞれの未来のため』あー、恥ずかしい恥ずかしい」


 火照りを取るように顔を手で扇ぎ、彼女は意識をまな板に転じた。


 案外まんざらでもない居心地のくせに、と思うと、顔がほころんで仕方がない。


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