風向きを一変させたのは、「ぐふふふ」という、最もそんな笑い方はしないであろう高瀬の笑い声だった。
「だいたい、私があんなキモ男に本命チョコをあげるわけないじゃない」
キモ男。もちろん、大岩のことなんだろう。その物言いに俺は違和感を覚える。
「私はもっと、格好よく生きている人が好きなの」
人格が変わったような高瀬にみんなの視線は集まる。
「それをさ、勘違いしちゃって、何度も告白してきて。あーやだやだ。なにが『嫌な女』よ。その嫌な女にフラれたのは誰よ。失礼しちゃう。こっちから願い下げだっての。バッキャロー」
「高瀬……さん?」月島が隣の高瀬の顔を覗き込む。
「ああ、月島さぁん、ありがとうねー。スッキリしたよう。パチーンって!」
高瀬は昼間の再現をするように目の前で平手打ちを繰り返す。消えろ、ゴミ! と月島の真似をし、ぐふふふとまた笑う。
「どうしたの、みんな。お通夜みたいな顔して。せっかく海に来たんだから、楽しくお喋りしようよ。あ、ごめん、全部私のせいでした!」
俺は太陽と顔を見合わせる。認識は共通している。明らかにおかしい。これは俺たちの知る高瀬ではない。
数秒後、太陽は何かに思い当たったらしく、勢いよく立ち上がって高瀬の元へ駆け寄った。そして彼女が持っていた缶を手に取った。「おい、0.5%って……」
「は!?」柏木がそれに反応した。「あたし、ちゃんとジュースのコーナーから選んできたよ?」
彼女が先ほど、近くの小さな商店でジュースと花火を買ってきたのだった。
「なんせ夏の海だ。いろんな客がいる。一旦買い物カゴに入れたものを、面倒になって適当な場所に戻したんだろう」
太陽はため息をつき、缶を逆さにした。したたる液はない。すなわち、中身はすべて高瀬の体内に取り込まれたということだ。
「まだ言わなきゃいけないことあるんじゃないんですかー? 特に男子二人!」
酔っ払いはしゃっくりを
「だめじゃない、葉山君。正直に公表しないと。『オレはおっぱい星人なんだぞ』って!」
「お、おい、高瀬さん! なんてことを!」
太陽はその場で慌てふためき、柏木は両手で胸を覆った。
俺の脚フェチはみんなにバレているから今さら暴露されてもどうってことはないな。そう高をくくっていた俺は甘かった。
「さて」高瀬はありがたいことにわざわざ立ち上がって、俺の元へやってきた。「問題はこの人ですよねー。『俺も聞くだけの側に回りそうだ』? とんでもないですよー。この神沢悠介という男はねぇ、重大なことを晴香と月島さんに隠してるんですからー」
俺はあることを確信して眉をひそめた。柏木と月島に隠している重大なこと。間違いない。このへべれけ高瀬は
「神沢君の“未来の君”って、誰なんでしょうねー?」
「ミライの、キミ?」当然ながら柏木が興味を示す。
「高瀬さん、ゴーゴー」月島が
ぐふふふ、と高瀬は笑う。「神沢君はね、春の夜に占われたのです!」
「高瀬、それ以上はよせっ!」
俺は立ち上がって口を封じようとするも、彼女は蝶のようにひらりと舞ってそれをかわした。そしてそのまま踊りながら言ってしまった。
「『あなたには運命の人がいる』って! それが“未来の君”なの。神沢君が将来幸せになるためには、その運命で結ばれた女の子と一緒に生きていく必要があるのです!」
「あーあ、ばらされちまったな、悠介」おっぱい星人は同情するように苦笑する。
「ほう、“未来の君”ですか」月島はどことなく自信を滲ませる。
柏木が沈黙を保っているのが、なんとも気味が悪いじゃないか。
♯ ♯ ♯
「熟睡だ」
客間の座敷を垣間見て、太陽がささやいた。そっとふすまを閉じ、静かにこちらに歩いてくる。
「無理もない」と俺が言えば、「優里のバカ」と柏木は苦笑いを見せた。
高瀬の自分史にあまり良くない意味で残るであろうぐふふふショーは“未来の君”の件をもって幕を閉じ、その後五人はいかにも夏の夜の若者らしく花火に興じた。
もちろん引き続き主役となったのは高瀬で、手持ち花火を持って他の四人を執拗に追い掛け回したり、打ち上げ式の花火をたき火の中に放り込んで「イクサじゃー」とわけのわからないことを叫んだりした。
慎ましく線香花火を手にしてしゃがみ、「終わっちゃった」と
高瀬は月島が大岩を昼に引っぱたいたことがよほど痛快だったらしく、彼女になかば抱きつくかたちで太陽の別荘まで上がってきた。
月島は困惑の色を浮かべながらも「しゃーねーな」と高瀬の介抱にあたり、結局二人とも疲れがあったのだろう、そのまま眠ってしまったのだった。
夜の10時をまわり、そんなわけで、別荘のリビングには俺と柏木と太陽が残されている。スウェーデン製だというソファは、えらく座り心地が良い。
「ねえ葉山君、ちょっといい?」その柏木の声はいつになく謙虚で誠実だった。
「なんだあ?」と太陽はあくび混じりに言った。
「悠介とふたりきりにさせてくれない?」
「柏木?」いつものことだが、俺の意思はどこかに置き去りにされている。
「おいおい頼むぜ」太陽は柏木の全身を見て息を呑む。「いくら夏の夜だからって、
「なに変な想像してんのよ。あたしはちょっと悠介とふたりで話がしたいだけ」
彼女は俺の手を取り、浜辺に行こう、と言った。
「はぁ? 今浜辺から帰ってきたばかりだぞ」
「いいから、ほら、行くよ」
柏木はお得意の強権を発動して、俺を連行する。ふと太陽の顔を見る。羨望とも同情ともつかない笑みがそこに浮かぶ。俺は黙って引きずられていく。