すっかり陽が落ち、俺たちは夜の浜辺でたき火を囲んでいる。時計回りに俺、柏木、高瀬、月島、太陽と円形に並び、逆さにしたビールケースを椅子代わりにして。
夕食は太陽が用意してくれたバーベキューだった。
しかし昼間のきょきょきょの一件が尾を引いて、本来なら「バンド・未来同盟解散式!」という趣旨があったはずの夜の海の晩餐は、終始暗いムードに包まれたのだった。
たき火の立案者である柏木が「あのさ」と会話の口火を切った。
「誰も言いそうにないんで、あたしが代表して
みんなの視線が彼女に向く。
「なんであたしたちって、夏の休日一日すら穏便に過ごせないんだろうね?」
もちろんそれは、高瀬と月島のことを責めているわけではない。声の調子から感じ取れるのは自嘲だ。決して嫌味じゃない。
「ここまで来るとさ、笑うしかないよね」実際、彼女は声を出して笑う。
にぎやかだった昼間とは打って変わり、人が消えた砂浜はとても静かだ。繰り返される波の音は心を洗い、ちりちりというたき火の音が神経を鎮める。
「優里」柏木が昼から消沈している高瀬に語りかける。「あんまり気にしちゃだめだよ。ああいう薄っぺらい男はね、腹いせであることないこと喋るんだから」
そうは言うものの、柏木は大岩が具体的に何を言ったかは知らない。
ただ流れからして、高瀬の過去を知る男が現れ、なにかとんでもない事を言い放った――というのは把握していて、なんとか高瀬を励まそうと、あるいは背景になにがあるのか探ろうとしている。
「いいんだ、晴香」
高瀬が無理に笑顔を作っているのが、炎越しでもわかる。
「大岩君が言っていたのは、きっと、出任せじゃない。本当のことだから」
そうだね、と返ってくることを予想していたのか、柏木はバツが悪そうな顔をした。そして押し黙った。
柏木が喋らないとなると、場はしんみりしてしまう。
それを嫌ったのか、太陽が手を叩いて、そばにあったクーラーボックスを開いた。
「ま、ジュースでも飲もうぜ」
なんでもいいよな? と彼が問うので俺たちはうなずいた。
みんなの手元に缶ジュースが行き渡り、「乾杯」と誰かが明るく言っても良さそうな雰囲気にはなったけれど、やはりと言うべきか、誰もそれを口にはせず、そうしているうちに誰かがプルトップを開ける音がして(おそらく月島だ)、結局俺たちはバラバラに、それを飲み始めた。
「提案がありまーす」
重い空気はもうこりごり、といった感じで隣の柏木が挙手した。
「良い機会だから、みんなさ、いっそ全部打ち明けない? まだ共有しきれていない情報もあるみたいだから。月島も新しく加わったことだしね。もちろんどうしても言いたくないことは言わなくていいけど」
たき火を越えてみんなの視線が飛び交い、しばしの間、無言のすり合わせがなされる。
最初に賛否を発表したのは高瀬だった。
「そうだね。私も話しちゃった方が楽になれるかも」
太陽もそれに続く。
「まあな。このメンバーに今さら隠し事ってのも変な話か」
次に発言したのは月島だ。
「私は前に全部話したつもり。だからみんなの話を聞くだけになっちゃうけど、それでも良いのなら」
男に襲われた際の、その細部の説明まではまさか求めていないでしょ? 聡明な月島ならではの、そういった意味をも内包した口ぶりだった。
一人残された俺は、さて、と考え込む。さて、彼らにまだ打ち明けていない大きな秘密があっただろうか?
父親は放火犯で、母親は家を出た。中学時代に辛酸を
なんだ全部四人とも知っているじゃないか――と思ったのも束の間、俺は首を振った。いや違う。高瀬と太陽だけが知っている超重要事項がある。柏木と月島はまだ例の占いのことを知らない。今ここでそれを打ち明けるメリットはあるだろうか? あるわけがなかった。
「す、すまん。俺も聞くだけの側に回りそうだ」
柏木はジュースを一気に飲み干した。
「それじゃ言い出しっぺのあたしから始めますか」
小学6年生の時に見た母親が首を吊った光景。それによって抱いた
彼女はそれらをいっさい包み隠さず語った。俺以外の三人はもちろん初耳となるわけで、普段の底抜けに明るい柏木からは想像しがたい告白を聞いて彼らが言葉を失ってしまうのも無理はなかった。
「はいはい、暗い顔しない!」と柏木は陽気に言った。「とはいえまぁ三人の気持ちもわかる。この晴香ちゃんにまさかそういうところがあるなんてねぇ。でも安心して。最近はね、屋上には行ってないんだよ。あれが良かったのかもね、バンド。忙しくて余計なことは考えずに済んだもん」
「それじゃあ未来同盟を解散しないで続行するか?」と太陽が冗談めかして言った。
「それはイヤ。ギターが下手だから」
「悪かったな」と俺は言った。
みんながくすっと笑ったところで、太陽が立ち上がった。
彼が吐き出したのは、裏口入学の件だった。
これは俺と高瀬以外の二人が初耳だったわけだけど、「試験に受かって入ってるあたしの方が賢い」と柏木はきゃっきゃ言って喜び、「お金に困ったらこの件で葉山氏をゆする」と月島はしめしめという顔でメモ帳に書き記した。
「けっこう真面目な告白だったんだけどな」太陽は戸惑う。「なんでこうなっちまうんだ……」
「発情中の猫が木の上から落ちてきた」と俺はつぶやいた。
もちろん太陽は首を傾げる。「は?」
「ニャー」としか俺は言うことができない。
そして高瀬の番が来た。
まず彼女はトカイとの結婚話を月島にだけ説明し(月島はそれを初めて聞くふりをしてくれた)、次に柏木の思惑を|
「私もね、なんとなく感づいてはいたんだ。周囲にあんまり好かれていないことは」
高瀬は缶に口をつけた。
「でもみんな、仲が良いフリだけはしてくれた。それは私が、タカセヤの娘だからなのかな」
そんなことはない、と言うのは容易なことだが、誰もそれを口にはしなかった。悲しいことだけど、実際そうだったのかもしれないから。俺たちは気休めなんかを言い合って「また明日」なんていう仲じゃない。
「最低だよ」高瀬はふふっ、と砂に目を落とし笑う。「男の子に手当たり次第チョコをプレゼントしたり、女の子におべっか使って機嫌取ったりして。でも、みんな、見抜いていたんだね。私が『良い子の高瀬優里』を演じていたことに」
昼間に大岩の口から飛び出して以来、チョコレートの件は当然俺の胸をざわめかせているけれど、彼女も必死だったんだと自分に言い聞かせて気持ちを律する。
幼い高瀬なりに、理不尽で正解無き人間社会の中を生き抜こうと、悩んだ末の行動なのだ。それを責めちゃいけない。
「今はどう? 無理してるの?」と柏木が尋ねた。
「教室ではやっぱりしちゃうな。みんなといる時はそうでもないけど」
高瀬は、でもね、と続けた。
「でもね、何が無理で、何が無理じゃないのか、今は正直よくわからないんだ。どれが演技で、演技じゃないか。どれが本当の自分なのか」
それは春にヒカリゴケの洞窟でも俺に漏らしていた憂いだった。
両隣の様子を確認する。柏木も太陽も、高瀬にかける言葉が見当たらない、そんな沈痛さを横顔に浮かべていた。
波の往来と炎が踊る音だけが、しばらくの間、海辺の一角を支配していた。