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第16話 君の手を引いて、暗い森を抜ける 2


 曲が終了した。儀礼的に拍手はあるが、野次らしきものも確認できる。逆に、励ましの言葉もある。


「ちょっと時間をもらいます」

 柏木がマイクで会場に告げて、俺たちは誰が呼びかけるでもなく、舞台中央に集まった。


「ごめんなさい」と月島はしおれて言った。

腱鞘炎けんしょうえんだな?」と太陽は彼女の指を見て言った。


「家でもずっと練習していたから」月島は悔しそうに唇を噛む。「実は病院で医者から演奏を止められてたんだけど、頑張っているキミ達を見ていたら、そのことを言えなかった。もう、ごめん、本当にごめん。結果的に最悪だよね、これ」


「すまん太陽」と俺も続いた。「悪い癖が出た。やっぱり大勢の人の前はだめだ。頭が真っ白になってしまって」


「いいよ。おまえさんたちを責めることはできない。充分だ。むしろ良くやってくれた。なんとかなると思ったオレが甘かったんだ」

 そこで言葉を切ると、太陽は大きく息を吐き出して「棄権しよう」とつぶやいた。


 なんとも言えぬ重い空気が流れる。ただ、月島の指が動かない以上、俺の心が折れてしまった以上、『夏風邪』を披露するのは不可能だ。


 ただでさえ時間が足りなくて、出たとこ勝負だったのだ。これ以上3500人の聴衆に醜態を晒すわけにはいかない。


 俺は四人の顔を順番に見渡す。太陽と月島はもちろんだが、高瀬の顔にも「仕方ないね」というあきらめの色が浮かんでいた。


 残る一人、柏木に視線を転じた時だった。


 思わず声が漏れた。「は?」と。瞳には活力がみなぎっていて、これは何かあるなと予想していたら、案の定彼女は「終わりじゃないよ!」と声を張り上げた。


「終わらせないって。なにさ、棄権なんて絶対ダメ。やるよ、『夏風邪』。お客さんだって、こんなもやもやしたまま帰りたくないでしょ。夏の夜だよ。今日を楽しみにしていた人たちなんだよ。あたしに考えがある。みんな、来て」


 柏木は舞台袖へとひとり歩いていく。会場の観客からすれば、これはおそらく仲間割れに映るだろう。不甲斐ないギターとベースに対し、ボーカルが愛想を尽かした。どう見てもそんな感じだ。呆気に取られる俺たちに、柏木は「おいでよ」と手招きする。


 太陽がマイクを持って「少々お待ちください」と観客に伝えて、小走りで柏木を追う。俺と高瀬と月島もいろんな思いをぶらさげて後に続く。


 舞台袖では、腕組みをして、今にも壁を蹴り壊しそうな目つきをしているちりちりパーマが待ち構えていた。素敵なことに、ノーホラの他の三人も、判で押したように同じ格好をしている。


 衝突に備え、身構える。


 やはり「なんだ、このザマは!」とさっそく食ってかかってきたちりちりパーマだが、「うっさい、ラーメン頭!」という柏木の一声で、抜いた刀をさやに収めざるを得なかった。


 未来同盟の五人と、新生ノーホラの四人で輪が作られる。発起人はもちろん柏木だ。


 彼女は言う。

「えーとね、これから、フェスの大トリ『夏風邪』を演奏する陣容を発表します」


 みんなの顔に疑問符が浮かぶ。陣容?


「時間が無いからパパッとね。ギター、ラーメン頭」


「んあー?」と口をあんぐり開けて、顔をぐいっと突き出したちりちりパーマだが、有無を言わせないといった様子で柏木の指名は続く。


「ベース、影の薄いあんた。キーボード、影の薄いあんた、その二」


 当然これは、ノーホラの二人だ。彼らにとっても、青天の霹靂へきれきだったのだろう。きょとんとして、立ちすくんでいる。


「で、ドラムは、葉山君ね」

 柏木に名を呼ばれた太陽は、居心地が悪そうに、旧友たちの顔を見渡した。


「おい、女、ちょっと待てよ!」ちりちりパーマが一歩前に歩み出た。「なんだよ、これ。最後の一曲って、たしかおまえらのオリジナルだろ? 太陽はともかく、俺たちは弾けねーよ」


「なんとかしなさいよ!」柏木は負けじと声を張る。「お客さんは神様なんでしょ? 感動を持って帰ってもらうんでしょ? トリは重要なんでしょ? あんた、そう、偉そうに言ったじゃない。変な対抗意識なんか捨てて、演奏するんだよ。お客さんに『今日は良い日だったな』って思ってもらうんだよ!」


 これにはちりちりパーマも拳を握って、口をつぐむしかできない。しかし経験豊富な面々とはいえ、いくらなんでも即興で未知の曲を演奏できないだろう、と思っていると柏木がこう言った。「15分」


「15分、あたしがなんとかMCエムシーで場をつなぐ。その間に、曲を覚えて」 


 彼女は各パートの楽譜を集め、ノーホラの三人に渡す。それを受け取りはしたものの、ちりちりパーマはどうしようか考え込んでいるようだ。


 観客席からは、どよめきが起こり始めた。「これで終わりなのか?」「どうなってんだ?」そういう性質のものだ。きっと、それが、メジロの巣みたいな頭の中のどこかを刺激した。


「あーっ! わかったよ! やるよ! やればいいんだろ。やるぞ、おまえ達。そして太陽! こうなったら、グダグダ言ってられねぇ。一秒でも時間が惜しい。ほら、集まりやがれ」


 ちりちりパーマのその声がきっかけとなって、新たに輪が作られる。取り残されるかたちとなった新生ノーホラのドラマーは、呆気に取られて立ち尽くしている。


「君は、おつかれさま」

 柏木は彼にそう告げると、『夏風邪』の歌詞が書かれた紙を手に、高瀬の元へ向かった。そして言った。

「ボーカルは、優里がやるの」


「晴香、嘘でしょ?」と高瀬がいつになく早口で返したのもうなずける。俺も心で「柏木、嘘だろ?」と言っていたくらいだ。


「おい、高瀬さんがボーカルって、柏木おまえ、どういうつもりだ?」

 さすがに太陽も輪の中から口を挟む。


「いいの。『夏風邪』は、優里が歌わなきゃいけない曲なんだから」


 柏木はこの場にいる全員に聞こえるように言った。苛立ったり、やけっぱちになっているわけではない。至って冷静で、そして本気だ。


「優里、歌えるでしょ? さ、そっちの輪に入って」


 高瀬は何かを言いかけたが、言葉ではなく息を吐いて、前髪を手でかき上げた。その状態のまましばらく制止したのち、柏木から歌詞を受け取り、太陽たちの方へ進んでいく。輪は、五人になる。


「おい、あんた。ボーカルなんかできるのかい?」


 ちりちりパーマがつっけんどんに問うと、高瀬は真剣な眼差しで、それに答えた。

「できます。これは私の歌ですから」


 これで良しという風にうなずいた柏木は、舞台に向けて一旦歩き始めるも、何かを思い出したように足を止めた。そして俺の方へ来て、こう命じた。

「悠介は、観客席で優里の歌を見守るの。いいね」


「は?」


「ほら、15分後には、始まるよ。ダッシュで、急いで」


 俺の回答を待たず、柏木は舞台へ小走りで駆けていく。後ろ姿が視界から消えて数秒後、「お待たせしました」の声がマイクを通して聞こえてきた。


『夏風邪』を披露することになる五人は、打ち合わせに集中している。ふと、月島と目が合う。彼女は「ふふん」と涼しく笑って、顎を観客席へ向けて突き出す。頭はえらく混乱している。とにかく、俺は、走り出す。

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