曲が完成してからの一週間は、取り立てて大きな事件は起きなかったものの、いくつかの動きと変化があった。
俺たちのバンドの名称は“未来同盟”に決定した。
フェスまでの期間限定バンドとはいえ、さすがに名無しはいただけないということで、バンド名を決めるため議論の場がもたれたのだが、なかなか「これだ」という妙案が出てこなかった。
そこで焦りに急かされた太陽が「『葉山太陽と悩める若者達』はどうだ」と、60年代のグループサウンズですら「シュールだねぇ」と一笑に付しそうな提案をした。
案の定女性陣の顔色がたちまち曇り、特に柏木など俺の背中を叩いて「なんか言ってよ、そんなバンド名じゃあたし恥ずかしくて歌えないよ」と泣きそうな顔をするので、思い浮かんだ言葉を、俺はそのままつぶやいた。それが未来同盟。
その言葉が意味するところは、ま、今さら説明するまでもないだろう。
三人娘が三国志のごとく対立関係になってしまうのではないかという俺の懸念は、半分当たり、半分外れた。
高瀬と柏木の間には目には見えないものの、両者の意思の疎通をさまたげる壁が確かに築かれ、柏木と月島の仲は、これは俺も想像できなかったのだけど、極めて良好なものに変わって「月島」「柏木」と互いを名字で呼び合うまでに至った。
俺の家での晩さんがきっかけとなったのか、はたまた「敵の敵は味方」の力学が働いたのかはわからない。でもとにかく、この二人は
少なくともそれぞれが望む未来のために、共通の人間を必要としている間柄には思えないのだから、人間関係はわからない。
高瀬と月島は、ふとした時に天気や楽器についての雑談くらいならするようになった。その様子を見る限り、この街の是非をめぐって激しく対立した件は、どちらも「過ぎたこと」として処理しているように思えた。
この三人の中で現在最も関係が良くないのは、とりもなおさず、高瀬と柏木ということである。
『夏風邪』を太陽が二日かけて編曲し、バンド演奏用に見事に磨き上げた。これを一度聴いてしまうと最初に俺が収録したものを耳にするのが嫌になるほどで、さすが生まれながらのミュージシャン・葉山太陽の本領発揮といったところだった。
『Pleasure of life』と『夏風邪』。
ついに出揃った二曲を俺たちは徹底して練習した。誰に聴かせても恥ずかしくないように。しかし本番が近付くにつれ、五人は共通の焦りを抱くことになる。
――時間が全然足りない。
7月から取り掛かっていた『Pleasure of life』はなんとか一定のレベルまでこぎ着けることができたけれど、やはりというべきか『夏風邪』はそうはいかなかった。
太陽は最低限の編曲に留めたと言ったが、それでも忘れてはならないのは俺と月島はつい数週間前まで完全な素人だったということで、付け焼き刃という印象がどうしても拭えなかった。
はからずも俺たちは、こっちの事情など少しも考慮してくれないで進み続ける時間というものの残酷さを、身をもって痛感することとなった。
多くの不安要素とくすぶる火種を抱えたまま、俺たちはついにその日を迎えた。
♯ ♯ ♯
「あんたたちね!? この、ろくでなし集団! この、ひとでなしバンド!」
柏木が、
とうとう訪れた8月8日、野外フェスティバル当日、俺たち五人は演奏者控え室で太陽が以前属していたバンド・ノースホライズンの四人と鉢合わせた。その結果、柏木を先頭にして向かい合っている。
彼らの方が先に太陽を見つけ、
「よう、なんだよ、見るからに素人みたいなのと組んだんだな」
とメンバーの中では一番偉そうな、その口ぶりは実際偉いんだろう、ギター兼ボーカルの男が軽薄に吐いたのが運の尽きだった。
柏木が「ふざけんなよ」と即座に反応した。彼女の中で太陽への仕打ちは、到底許せるものではなかったようだ。「中学校からずっと一緒にやってきてさ、ちょっと風向きが怪しくなったら仲間はずれって、あんたたち、いったいどういう神経してるのよ!」
「おい、なんなんだ、この女!?」
太陽に助けを乞うように、ボーカルが言った。彼は髪にパーマを当てて、意図的にちりちりにさせていて、その髪を困惑気味にいじくる。
「おい柏木。やめろって」太陽が周囲の目を気にかける。「悠介からもなんとか言ってやってくれよ」
そろそろ太陽も学習した方がいい、と俺は思った。俺が「やめろ」と言うと柏木の脳内ではどういうわけか「もっとやれ」に変換されて、望んだのと真逆の結末になるのが、悲しいかなオチなのだ。
高瀬と月島はそういう意味においてはとても賢い。早くも“諦めモード”に突入しており、火花散る前線を尻目に、月島が「食べる?」とガムを差し出し、「ありがとう」と高瀬がそれを受け取る姿は、なかなか微笑ましいものだった。
「あんたたちさ、何のために音楽やってるのよ?」と柏木は突っかかった。「人を感動させたり、応援したりするためじゃないの? それなのに身内でこんな意地悪なことしてどうするの!」
ノーホラ(ファンは略してそう呼ぶらしい)のボーカル以外、ベース、キーボード、ドラムの三人の
こう言っては失礼だからもちろん口にはしないが、まぁ揃いも揃って見事なまでに自己主張の少ない、個が消えた顔だちをしている。
もし明日路上で声を掛けられても、俺の記憶は初顔とみなすだろう。それが三人。
なるほど、と俺は汲み取る。おそらく太陽の追放は、ちりちりパーマの画策によるものだ。太陽は常に「あいつら」と新生ノーホラのことを呼んでいたけれど、きっと脳裏にはこのメジロの巣みたいな頭髪がちらついていたはずだ。
「こっちにもいろいろ事情があるんだよ」
柏木の視線から逃れるようにして、ちりちりパーマは言った。
「部外者にはわかんねーだろうけど」
柏木が「絶対許さないから、見てなさいよ」と息巻いたところで、ノーホラの四人は退却を始めた。その後ろ姿は、言葉が通じない人に道を尋ねたのを後悔している旅行者のようでもあった。
このいさかいを少し遠くから見ている男の人がいた。赤いシャツを着て、胸には「STAFF」とある。彼が今だとばかりに近付いてくる。
「あ、あの、こちらが今日のプログラムになります」
半分開きかけたライオンの
視線を紙に落とす。他の四人も近寄ってくる。
「げ」太陽と柏木の声が重なった。
「トリ、じゃないか」俺が事実を述べた。
「えー」高瀬の声が消え入る。
「あはは」月島は冷ややかに笑う。
全12組の出場バンドのなかで、“未来同盟”の名前は最後に位置していた。
キャリアに関係なく抽選で順番が決まるとは聞いていたが、まさか観客が最も盛り上がっているであろう最終盤に登場しなければならないとは。
「お、おい、おまえたち」
太陽が四人の顔を見渡して声を張り上げた。
「余計なことを考えて、無駄に緊張すんなよ。いいか、12組いる中で12番目って割り切るんだ。ただの12番目だぞ。な!」
そんなことを言ったって、高卒ルーキーがいきなり4番を任せられたら、体がすくんで本来のバッティングを発揮できないだろう、と心で異議を唱える。順番ってのは何においても案外重要な要素だ。
「そして、ひとでなし共の直後なワケね」
柏木の声には怒気がこもっている。プログラムの11番目には“North horizon”とたしかにある。
「ふぅ」と太陽が息を吐く。いろいろ、彼にも言いたいことがあるんだろう。でも実際につぶやいたのは、「ま、やるしかないよ。やるしか」という台詞だった。
そう言うしかないよな、と俺は友に同情し、とにかく演奏の成功を祈る。