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第14話 今靴を履くからそこで待っていて 3


 三人での夕食が始まった。お世辞抜きで彼女たちの料理はどれもうまかった。


「豚モダンスペシャル」は、その見た目こそ尻込みさせたけれども、食べてみると、生地のふわっとした食感とキャベツのしゃきしゃき感、秘伝だというソースがうまい具合に口の中で融合し、後を引く出来に仕上がっていた。豚肉と焼きそばも、思いの外くどくはない。紅生姜と桜海老が、良いアクセントだ。


 自身もそれを味見した柏木は「ホットプレートならもっとお店の味に近づけたのに!」と言って、月島を横目で見て舌打ちした。


「今まで食べたお好み焼きの中で、一番美味しいよ」と俺はフォローを入れた。


 一方月島が用意してくれたのは、柔らかめに炊いたご飯、大根と長ねぎの味噌汁、タラの野菜あんかけ、かぼちゃの煮物、梅風味の卵焼き、豆腐とちりめんじゃこのサラダという、栄養学的にも、個人的にも、文句のつけようがないメニューだった。


 正直言えば彼女のその都会的な風貌からすると、料理の「さしすせそ」を言えるかどうかさえ不安だったけれども、とんでもない。その味はたしかだった。なにより、弱っている俺の体中の細胞が、スタンディングオベーションで彼女の料理を歓迎していた。


「どれも美味しい」と俺は二人の視線におののきつつ言った。「本当だって。この勝負、引き分け。それも、5対5じゃなく、10対10の。さ、二人も食べてよ」


 柏木と月島は、どちらも俺と共に夕食をとるつもりだったらしい。だから俺と同じくらいには空腹なはずだった。月島はかいがいしく、自分の分はもちろん、柏木の分の食事も用意していた。


 無論、例の「豚モダンスペシャル」も二人に食べるのを手伝ってもらわないと、俺はダウンしてしまう。


 二人が緊張を解いてようやく箸を手に取ったので、俺はほっとして味噌汁をすすった。ダシがきいていて、ちょうど良い塩梅あんばいだ。

「月島がこんなに料理ができるなんて、意外だった」と言わずにはいられない。


「実家のばあさんが昔気質な人でね。小さい時から炊事洗濯掃除の作法を叩き込まれてるの。男が働いて、女がそれを支える。月島家の伝統」


 男がせんべいを焼いて、そこに三日月を刻印するのだな、と頭で補足する。


 上は水色のギンガムチェックのシャツ、下は白のストレッチパンツというのが月島の服装だった。胸元には、五芒星ごぼうせいをあしらった銀色のペンダントがきらりと光る。


 柏木ほど直接視覚と本能に訴えてくるわけではないけれど、月島の簡素で涼しげな格好は、これはこれでとても可愛らしい。少しのあいだ食べるのを忘れ、見惚れた。すねに衝撃が走る。「痛っ」と、声が漏れる。


 柏木が鼻を膨らませて、俺を睨み付けていた。こいつにつま先で蹴られたのか、とようやく気がつく。


 機嫌を取る意味も込めて、お好み焼きを大口を開けて食べ「うまいうまい」と俺は目を細める。



 ♯ ♯ ♯



 食事は終わり、テーブルの上はきれいに片付いている。


 満腹中枢も明日の夕方くらいまでは「空腹」の指令を出すことはなさそうだ。


 月島がキッチンでデザートの準備をしているので、俺はテーブルの下でひそかにスマホを見て、高瀬から連絡がないかチェックした。あいにくまだ歌詞は出来上がっていないらしく、なんの音沙汰もなかった。


 ふと、テーブルの向こうから柏木の視線を感じた。


 じりじりじり、と、俺の中で鳴る音がある。そうだ、あれだ。対柏木専門の警報器だ。春の神恵山かもえやまでのゴミ拾い以来の登場である。やはり、喋る、優れものだ。

「あのー、そろそろ出ますよ。柏木の口からね、ぎょっとする台詞が。警告しましたからね。それではうまく対処してください。どうぞ」


「優里だね」と柏木は腕を組んで言った。「優里からのなにかの連絡を待ってる。違う?」


 それを聞いて俺はぎょっとした。「なんでわかるんだよ!?」


「だって今の悠介、教室で優里を見てる時と同じ顔してたもん」


 そこで月島がフルーツの載った皿を持ってキッチンから戻ってきた。

「なになに? 神沢が希代の脚フェチだって?」


「どこをどう聞き間違えたらそうなるんだよ」と俺は言った。「というか月島。なんでおまえ、そのことを知ってるんだよ?」


「だってキミ、女の子と会ったら真っ先に脚に目が行くじゃない」


 二人の洞察力に恐れおののいていると、月島がブドウを摘まんで言った。

「戯れ言はさておき、高瀬さんから連絡を待ってるんだって? それはなにゆえ?」


 どっちみち近いうちにわかることなので、この際、彼女たちにも事実を打ち明けることにした。

「高瀬と協力して曲を作ることになった。フェスで演奏する曲だ。彼女がまず詞を書いて、俺がそこに曲をつける。それでこうして詞が出来上がるのを待っている」


「へぇ、すごい。愛の歌だ」と月島はつぶやいた。今のままじゃ完成するのは哀の歌だよ、と俺は心で嘆いた。


「あんちゃん。優里とは、ぜんぜんダメ?」

 柏木が世間話をふるように言った。感覚としては、釣り場の先客に釣果ちょうかを尋ねるのに似ている。


「ダメだ。どうにもならない」俺は両手を広げて肩の位置まで上げる。「なぁ柏木。高瀬、なにか言ってなかった?」

「悠介のこと?」


「そう」

「とくになにも」と柏木は答えた。そして唇をゆがめた。「ま、正直言うと、今はあまり、優里と二人きりにはなりたくないよね」


「どうしてだ?」

「今の優里、なんか、ちょっとヘン」


「ピリピリしてるよな? なんだかさ、心に『立ち入り禁止』の看板を掲げているみたいだ」

「そうそう、そんな感じ」


 なんだ、あのつれない素振りは俺に対してだけじゃなかったのか、と少し安堵した後、疑問が湧いた。


 ――なぜ高瀬は柏木にもそんな態度を取る?


 柏木は眉をいろんな形に曲げた。

「あのさ、林間学校から帰って来たあたりから、なんか悠介と優里、妙に親密だったよね? そして今はバンドの練習中に目も合わせないほど険悪でしょ。そりゃあ優里の前で、月島さんとあたしがやり合ったのもあるんだろうけど」


「うちのクラスでも話題になった」とA組所属の月島は言った。「林間学校であの高嶺の花の高瀬さんと朝まで一緒に洞窟で過ごした、えない男子生徒がいるって」


 敢えて何も突っ込みはしない。結構結構。なんとでも評してくれ。


「話しなさい、悠介」柏木が身を乗り出してくる。「やっぱり洞窟の中で、あたしたちが知らない何かがあったんだよ。そしてまたあたしたちが知らない何かがあって、優里は今ナーバスになってる。そうでしょ?」


 月島もそれに続いた。「話してみれば? どうせ不器用な神沢のことだから、八方ふさがりなんでしょ? 私たちが話を聴いてあげるから。状況が打破できるかもよ。恋愛相談だと思って」


 この苦悩の大きな元凶(と思われる)である二人にその苦悩について相談する、というのもどこか間の抜けた話である。


 しかし月島が言うように、俺にはもう手立てがないのが実情だった。立ち入り禁止の看板を突破して、高瀬の心にもう一度触れなければいけない。そのためならという思いが、すべてを打ち明ける勇気を生み出していた。


 赤面することになるのは、不可避だろうけど。


 月島には、三年後に待ち構える高瀬の結婚話から述べる必要があった。それを話してしまって良いものか、柏木に目配せで相談するとゴーサインが出たので、そこから説明をはじめる。

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