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第13話 色彩を欠いた風景、君が誇る風景 4


 柏木のまるで宣戦布告のような告白が終わり、俺はおそるおそる窓辺を見やった。そこにいたのは、うつむき、唇を噛み、虚空をただ見つめる高瀬だった。


 これからのことを考えて途方に暮れる俺を尻目に、柏木は続ける。


「月島さん。あなたが手にしたい未来を話してくれたから、あたしも特別に話してあげる。あたしの将来の夢はね、世界で一番幸せな家庭を作ることなの。そしてそれには悠介が必ず必要なの。あたしはゼッタイに悠介と一緒にこの夢を叶えてみせるから!」


 沸き立つように体温が急上昇し、脇の下に汗が湧き出るのを感じる。かなうなら今すぐこの部屋から脱出して、そのままプールに飛び込んでしまいたかった。


 俺が目の前の現実から逃れるように意識を水面に飛ばしていると、月島が柏木の側面に回り込んで口を開いた。


「あれれ、おかしいなぁ。誰かさんが言うには、たしか神沢を独占するような未来は、無効なんじゃなかったっけ?」


 しまった、というように柏木は目を泳がせる。ここが攻め時だと判断したのか、月島はなおも「神沢がその未来に同意しているようには見えないけれど?」と、当人である俺からすれば、異論を挟む余地のない台詞を続けた。


「うるさいわね!」柏木はあからさまに動揺している。「なんで昨日今日入ってきた子にいちゃもんつけられなきゃいけないのよ! 悠介はね、誰がどう言おうと最後には必ずあたしを選ぶんだから! この街であたしと暮らしていくのが悠介にとっても一番幸せなんだから! 東京に連れていかせたりなんかゼッタイにしないから!」


 どうやら柏木は引っ込みがつかなくなっているらしい。もしこれを録音して後で聞かせたらどんな反応を示すのだろう? 


 これまで表情をまったく変えずクールにこの応酬にあたっていた月島だったが、柏木の台詞に何かしらの引っかかりを感じたらしく初めて眉をひそめた。そして言った。

「この街で……幸せ?」


「なによ、そりゃ東京にはかなわないけど、この街だってそれなりに栄えてるんだよ。こないだスタバだってやっと出店したし……」


「そういうことじゃない」と月島は抑揚を欠いた声で言った。「この街で生活し続けるかぎり、神沢は決して幸せにはなれない。私が言いたいのはそういうこと」


 全員の視線が自分に集まっていることを確認し、彼女は続けた。


「ある程度の秘密を共有している皆さんは、神沢の事情もよくご存じだろうから、はっきり言います。彼を苦しめて深刻な人間不信におとしいれたのは、この街だからね」


 過去の痛みがふとよみがえり、俺はうなだれた。


「中学時代の神沢はそりゃもう悲惨だったよ」と月島は言った。「普通の中学生なら気がおかしくなって不登校になるレベルだ。お父さんがやったことは、まぁ批判されて然るべきなんだろうけども、だからと言って、あそこまで全員が示し合わせたみたいに神沢に厳しくあたる必要があったんだろうか? 何の罪もないひとりの少年を、どこまで追い詰めれば満足だったんだろう? 都会ならば彼への風当たりが全くなかった、とは言わない。けれどね、少なくとも、少なくとも……」


 月島はそこまで言うと、途端に口ごもって、こちらに視線を寄越した。俺はすぐに彼女が言おうとしたことを頭の中で補完する。

「少なくとも、学校の屋上から飛び降りようなんて思うまで、苦しめなかったはずだ」


 月島は俺のそんな過去までは他の三人がまだ知らないと踏んだのだろう。彼女なりに気を使ってくれているのだ。


「とにかく、私にはこの街の人たちが異常に思えてならなかった。神沢のお父さんが放火事件を起こしてから3年、飽きもせず毎日のように神沢に対する行きすぎた攻撃は繰り返された。晴れの日も雨の日も雪の日も。あのさ、他にやることないわけ? 揃いも揃ってどれだけ暇なのよ。もっと自分のことで精一杯なものじゃない? これだからイナカは嫌なの」


 黙って聞いていた柏木がいよいよ反応する。

「ふん。ずいぶんと偉そうに語っちゃってるけども、そう言う月島さん。アナタは中学時代の悠介に何かできたって言うの? ただの傍観者だったら、それはアナタが馬鹿にするこの街の人たちと同じなんじゃない?」


 月島は返すべき言葉を探しているようだった。私があの件・・・をここで打ち明けてしまっていいのか。眉間の皺からはそんな葛藤が読み取れる。


 月島の肩を持つ、というわけではないが、彼女の名誉のため、ここは俺が正直に告白すべきだった。


 ――俺は目をつぶり、中学校の屋上から見た色のない世界を思い出し、口を開いた。

「月島は俺の命の恩人なんだ。みんな。今まで黙っていたけど、中学時代の俺は一度だけ、本気で自殺を試みたことがある。その時声を掛けてくれたのが、月島なんだ。『神沢、生きなきゃ』って。あの声がなければ俺はこうしてここにはいないよ。月島は決して傍観者なんかじゃなかった」


 太陽は絶句して、俺と月島を交互に見やる。まるで二人の間に芽生えた糸を目で辿るみたいに。


 そして高瀬と柏木も――とても二人の顔を見ることはできないが――おそらくは似たような反応を示しているはずだ。


「はぁ、やだやだ。こんなところ、さっさと出て行きたい」

 月島が肩をすくめて、両手を広げた。

「常に相互監視し合ってるかのような住人の目。合理性のない時代錯誤なローカルルール。粘着質でひがみっぽくて、デリカシーのかけらもない人たち。いかにもイナカだよね。もううんざり」


 東京生まれ東京育ちのこの街に対する非難はまだまだ続きそうだったが、窓辺からこちらへ向けての足音が、それを許しはしなかった。


「月島さん」と高瀬はたしなめるように言った。「たしかにこの街では、窮屈きゅうくつな思いをする人もいるかもしれない。月島さんのように都会育ちの人ならなおさらね。でも決して悪いところばかりじゃない。挙げればきりがないほど、良いところもたくさんある。月島さんには見えていないだけだと思うの。それとも見ようとしていないか。少なくとも私は、この街に生まれ育って、誇りを持ってるよ」


 そういうことなんだよな、と俺はそれを聞いて考えずにはいられなかった。


 俺が見た色のない風景は他の誰かにとってみれば色とりどりの風景なのだ。


 色彩を欠いた風景、君が誇る風景。そしてきっと月島にとっては一日でも早く忘れ去りたい風景なんだろう。


 高瀬はさらに前へ歩み出た。

「お願い、月島さん。これからもこの秘密基地に来るのなら、もう二度とこの街の悪口を言わないで。他の誰が許しても、私だけはそれを許せない」 


 柏木対月島の対立構図に、ついに高瀬まで加わってしまった。


 高瀬と月島は無言のまま、眼差しだけで戦い続ける。


 しばらくして、月島の顔がほころんだ。「あはは。ごめんなさいね、高瀬さん。ちょっと調子に乗り過ぎちゃったかも。誰だって自分が生まれた街の悪口なんて聞きたくないもんね。住めば都とも言うし、私もあと3年ここにいれば、見えるようになるのかな? この街の、良いところ」


 謝意など感じない、むしろ小馬鹿にした口ぶりだった。しかしとりあえずは高瀬も柏木も臨戦態勢を解く。


「でもね」月島は軽やかに前髪を払って言う。「神沢を東京に連れて行く。これだけは訂正する気はないから。神沢はこの街にいる限り、誰とどんな大学に行こうと、本当の幸せを手に入れることはできない。神沢もなんとなく心のどこかではそう悟っているはず。……ね、神沢?」


 確実に月島は、俺の心に発生したゆらぎ・・・を見抜いていた。なぜ俺と高瀬の約束を月島が知っているのだろう、と一瞬思ったが、考えるまでもない。かんたんなことだ。その形のきれいな頭に収まった優秀な脳によって、一つのストーリーが構築されたのだ。


「さ、練習再開しましょ」と月島はベースを持って言った。「8月8日のフェスまで一ヶ月無いんだもの。お喋りしてる余裕なんてないって」


 まだまだ言いたいことがありそうな高瀬と柏木だったが、月島が言うことはもっともだ。強ばった表情のまま、それぞれの持ち場へと散っていく。


 俺は高瀬と共に過ごす中で初めて、時間が早く経過することを切望する。

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