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第13話 色彩を欠いた風景、君が誇る風景 2


「よー、この日を待ちくたびれたぜ。いよいよ、バンドの夏の幕開けだ!」


 長机と椅子は隅に片付けられ、部屋の中央にはドラムセットが一式据えられている。シンバルの位置を調整していた太陽は、テスト期間中に教室では決して見せることのなかったよどみない笑顔をこちらに向けて、俺たちを歓迎した。


 教室の窓際には立派な電子キーボードが置かれていて、高瀬はそこでピアノの指使いを思い出すかのように、演奏の真似事をしていた。


 彼女は手を止めてこちらに顔を向けるも、見てはいけないものを見たかのようにすぐさま視線を元に戻した。


「あらま。高瀬さん、ご機嫌ナナメだ」

 隣で月島がくすっと笑ったことで、俺はようやくはっとする。なぜ今の今まで気がつかなかったのか。この禍事まがごとを引き起こした張本人と一緒にこうして顔を出しては、事態の好転など望めるわけがないではないか。


 俺が自分の愚鈍さを猛省していると、マイクスタンドの前でボーカル気分に浸っていた柏木が不機嫌そうに腰に手を当て、こちらへと近付いてきた。

「遅いじゃない、悠介。今まで何してたのよ」


 掃除が長引いたんだ、と俺が正直に答えるより先に、月島が口を開いた。


「わざわざ私のことを迎えに来てくれてたんだよね、神沢」


 部屋のムードが途端に凍り付く。思わず隣を見る。そこにあるのは、至って平静な月島の横顔だ。これはなかなか肝の据わった悪女なのかもしれない。


「ちょっと、悠介!」柏木の叫声に身がすくむ。「あんたたち、深い仲じゃないんだよね? それなのに、なんなの、これ!?」


「神沢は私を案内してくれたの」月島は俺が言葉を挟む余地を与えない。「まだこの場所に慣れてないだろうってことでね」


 月島は柏木に対峙するように一歩進み出る。身長では柏木に劣るが、存在感では決して引けを取ってはいない。


「違うぞ、柏木」と俺は機を見て言った。「月島とは、たまたま廊下で会っただけだ。俺はそんなに気の回る人間じゃない」


「わかってる! 悠介は黙ってて」

 これは前科のある月島の創作であると見抜いていたようで、柏木はえぐるような視線で月島を睨みつける。


 俺の目と鼻の先で飛び散る火花。その火の粉はいずれ、俺に降りかかることになるんだろう。


 柏木は言った。

「月島さん……だっけ? そうやって、適当なことを言ってみんなを振り回すの、やめてくれない? 口から出るのは嘘ばっかり。ちょっとどこかおかしいんじゃないの」


 テストが終わった解放感か、はたまた純粋に月島に対する不快感がそうさせるのか、柏木のボルテージは早くも最高潮だ。


 俺はふと、視線を窓際に転じる。キーボード越しの高瀬も何事かとこちらを眺めていたが、俺の眼差しに気がつくと、はっとして鍵盤へと意識を傾けてしまった。


 もうどうしようか、とため息を吐く。このまま帰ってしまおうか。もしそうすることができたらの話だが。


 俺が前途多難な一日を、いや、一夏を予感してげんなりしていると、太陽が「こいつは大変だ」とばかりに慌てて小走りでやってきた。


「おいおい、お二人さん。しょっぱなからやり合わないでくれよ。月島さんはもうちょい謙虚に、柏木はもうちょい寛容になろうぜ。悠介も、いつまでもこんなところに突っ立っていないで。ほれ、早く練習を始めようじゃないか」


 それを聞くと柏木と月島は、どちらからともなく緊張状態を解き、素っ気ない顔をして練習の準備に取りかかった。


 入り口に残された俺と太陽は、互いに先行きを案ずる表情で顔を見合わせると、同じように三人の女の子を順に見遣り、やはり同じように深く息を吐き出した。


「なぁ、太陽」

「どうした、悠介?」


「バンドって、協調性が必要だよな?」

「まぁそうだな」


「心を一つにしなきゃいけないよな?」

「まぁそうだな」


「今のままじゃ、まずいよな?」

 もう一度「まぁそうだな」と太陽は言った。その声に張りはない。



 ♯ ♯ ♯



 息が詰まりそうな、いや、実際に詰まる、きわめて険悪な雰囲気が夏の熱気と共に立ち込める中、いよいよ来月の野外フェスに向けての本格的な練習が始まった。


 とは言ってもプロを志すほどのドラムの腕前である太陽、そしてピアノをやっていたキーボード担当の高瀬組と、担当楽器に触れるのは今日がほぼ初めてとなる俺と月島では、その技量に雲泥の差がある。


 まずは俺たち弦楽器組が一定のレベルまで達することが最初の目標として設定され、その指導に、あらかたの楽器の基礎は会得しているという太陽があたることになった。


 俺と月島は並んでそれぞれギターとベースをたずさえ、基本のコード、弦のおさえ方、譜面の読み方などを自称“生まれながらのミュージシャン”殿に教わっていく。


 思いも寄らなかった弦の固さに、俺の指が悲鳴を上げ始めてしまう。それを口にすると月島が「私の方が弦が太くて大変なんですけど」とすっかり赤らんだ細い指を広げて言うので、俺は口をつぐむしかない。


 俺と月島が太陽の指導を受けているあいだ、高瀬は渡された楽譜をたよりにキーボードの練習に励み、柏木はステージでの立ち振る舞い方を学ぶべく、女性ボーカルのライブ映像が収められた動画をスマホで見ていた。


 柏木は気づきが多いらしく「へえ」とか「おお」とか独り言をつぶやき、メモを取りながら動画を見ていたが、高瀬は無表情で淡々と練習を続けていた。彼女が奏でていたのはとても乾燥した音色だった。


 楽器こそ違えど、同じスタートラインをきったはずの俺と月島ではあるが、じょじょに成長の度合いに差が出てきた。


 言わずもがな、先んじたのは不器用な俺ではなく、指の痛みにもめげることなく練習に励んでいた月島である。


 はじめはおぼろげな音しか出せなかった俺たちだったが、次第に月島のベースからは、はっきりとした音が聞こえるようになってきた。


「ギターはともかく、ベースは間に合わんかもしれん」と不安を口にしていた太陽もこれには舌を巻き、月島に最大限の賞賛を送ると、俺には奮起をうながした。


 いったい月島のどこにベースを弾く素養が眠っていたのかはわからないが、とにもかくにも要領を一度掴んだ彼女の上達ぶりといったら、隣で見ていて敬服に値するほど著しいものだった。


 コードごとの指の移動もしなやかで小気味よく、なにげない脚と首の動きで、巧みにリズムも取れている。長い時間連続して弾奏することはかなわないが、それでも入門用の楽曲の四小節目までなら、すぐにそらで弾けるまでになった。


 月島が楽器を自在に操ることに喜びを見出しているのは、「結構面白いね、これ」と言って白い歯を見せることからも明らかだった。


 そうしてしばらく時間は流れ、最大の懸念パートだったベースが本番までになんとかなりそうだという嬉しい誤算に、太陽はえらく上機嫌だったが、だからといって室内の重苦しい空気がどこかへ消え去ることはなかった。


 むしろ、時間が経てば経つほど、その密度は高まっているように感じられた。


 我々の正式メンバーに加わったとはいえ、いまだ素性のよくわからぬ月島涼の存在。

 期末テストが終わったばかりだというのに、俺と高瀬にひとつの会話も無い違和感。

 高瀬がまとい続けている、柏木でさえ声を掛けられない剣呑けんのんとした雰囲気。


 それらが相互に影響し合って、いまだかつて体感したことのない強い緊張感を俺たちの間に発生させていたのだ。


 誰もそれを表だって口にはしないものの、長く続く出口の見えない緊張状態に、誰かの精神が限界を迎えるのももはや時間の問題のように思えた。


 まるで第一次世界大戦前夜のバルカン半島のような、何が起きてもおかしくない状況下に俺たち五人はあり続けたのだった。


 ――そしてついに、火薬庫に火が放たれる。

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