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第11話 その声が死神を退けた 2


 テスト期間が迫っているため放課後に自由に動けるのも残り少なくなったこの日、俺は友人の葉山太陽はやまたいようからの呼び出しを受けて、校舎隅の旧手芸部室に来ていた。おなじみの“秘密基地”だ。


 外はかんかん照り、炎天下の中運動部員の威勢の良い掛け声が聞こえる、7月の午後である。


「あーあ、この前中間テストが終わったと思ったら次は学力コンクール。そんでまた今度は期末テストだ。どうしてこう、一息つく暇を与えないのかね、高校ってのは」


 太陽がまるで他人事のように愚痴をこぼす。それにすかさず反応したのは、暑いのだろう、下敷きで自らに風を送る柏木晴香かしわぎはるかだ。


「あんたなんか、いっつも一息ついてるじゃん。テストがあってもなくても、どうせ勉強なんかしないんだから」


「ふん。俺の栄光の未来には、教科書のお勉強は必要ねぇんだよ。テストなんか糞食らえだ」


 よくそんな考えで鳴桜高校に受かったわね、という呆れた顔をする柏木を見て、太陽が裏口入学で高校に入っていることを知る俺と高瀬優里たかせゆうりはそれぞれ静かに苦笑いを浮かべた。


 少し寝不足気味なのか、高瀬の目元には小さなができているのがわかる。だがそれを差し引いても、プロの絵描きを呼んでデッサンしてもらいたいほど、今日の彼女も見目麗しい。


 ヒカリゴケの洞窟での誓いがあり、俺と高瀬が共に地元の国立・鳴大めいだいを目指すと表明して以来最初の定期テストとなる今回は、俺はもちろんだが高瀬も目の色を変えて勉強に励んでいた。


 俺と彼女の間には「学年順位でどちらが上に行くのか」という暗黙の競争意識があり、それが絶妙の緊張感を生み出していたのだった。


「高瀬を大学に行かせる」なんていう言い方をしてしまった手前、俺としてもそう易々と彼女に負けるわけにはいかない。


「だいたいな、柏木」太陽が何かを思い出したように、腕を組んで口を開いた。「おまえ、今回はやけに本気で勉強してるみたいじゃねーか。さては200位台に俺だけを置き去りにする気だな。一人だけ上に行こうとしやがって。裏切りは許さんぞ」


「はぁ!? アタシがいつあんたと“勉強しません同盟”を結んだのよ。いつまでも一人で最底辺に沈んでればいいじゃない、葉山のバカ息子!」


 柏木は辛辣な言葉を大病院の御曹司に投げ掛けると、得意そうに顎を上げた。

「あたしはね、真剣に考えたんだ。を築くと言うんなら、母親はやっぱりある程度、勉強もできないといけないって。良妻賢母っていう言葉もあるしね」


 柏木はここ最近、やけに俺と高瀬に教えをうようになっていた。

 彼女の母親論は一理あるのかもしれないが、できれば俺たち二人を巻き込むことなく自身の学力向上に精進してもらいたいというのが本音だ。面倒臭くなるので口にはしないけど。


「それにしても暑いわねぇ、この部屋」

 柏木はブラウスの胸の部分を広げ、その中を下敷きで扇ぐ。若干汗ばんでいるのもあって、なんだかエロティックだ。

「バカ葉山。扇風機買って、この部屋に置いてよ。でなきゃ、一夏越せそうにないわ」


「欲しけりゃ自分で調達しやがれ、ウチは部じゃないんだ。部費なんていうたいそうなもんは御上おかみから出ないんだよ」


 太陽に軽くあしらわれた柏木は「あんたは名前からして暑苦しいのよ」と滅茶苦茶なことを言っていっそう右手のスナップスピードを早めた。


 太陽と柏木の挨拶代わりと言うべき闘争も、すっかり恒例の光景となっているわけだが、放っておくと日が暮れるまで戦っていそうなものである。


 俺はそんなのは勘弁なので(ニコニコしているのを見るに、高瀬はそうでもないんだろう)、そろそろ口を挟むことにした。

「ところで太陽。なんで今日俺たちはおまえに呼び出されたんだ?」


「おう。そろそろ本題に入るとするか」

 太陽は椅子から立ち上がって机に手を突くと、秋口のヒマワリみたいにしおれた。

「実は、プロのドラマーになりたいというオレの未来に、黄色信号が灯っちまったんだ」


「黄色信号?」と俺は言った。「何があったんだよ?」


「小っ恥ずかしい話なんだが、所属しているバンドをクビになっちまった。ははっ、全く、情けねーわ」

 太陽は相好を崩してそう言うが、目は決して笑っていない。


 柏木は扇ぐのをやめる。「勉強もダメ、バンドもダメ、ってなったら、あんたこれからどうやって生きていくのよ?」


「はっ、柏木は手厳しいねぇ。ま、おまえさんの言う通りだ。これだけは何も言い返せねぇ」

 太陽は苦笑いすると黒板の前へ行ってチョークを手にとり、そこにアルファベットを書き連ねていった。


 North Horizon


「ノースホライズン。オレが学外で組んでいる四人組ロックバンドだ――」

 彼は中学時代に同級生と結成したそのバンドから爪弾きにされたいきさつを語り始めた。


 要約するとこういうことだった。


 ノースホライズンの四人は誰もが本気でプロデビューを夢見ていたし、そのための努力もしてきた。


 高校生になってそれなりに自信がついてきたこともあって、彼らは自分たちの曲を収録したデモテープを東京の芸能プロダクションに手当たり次第送るようになった。


 なんの音沙汰もない日々が続く中、ある一社から反応が返ってきたのは、つい先日のことだ。そこは多数のタレントが所属する大手有名プロダクションだった。


 担当者は電話で「一度君たちの演奏を生で見てみたい」と言った。「実はね、8月に君たちの街で開催される野外ロックフェスティバルに僕はスカウトも兼ねて赴く予定なんだ」と。


 その野外フェスに参加すれば、観客席からノースホライズンの演奏を見てくれるということになった。当然ながら四人は喜びを分かち合った。


 ところがその朗報があった翌日、太陽は他のメンバーから「脱退してほしい」と言われてしまう。


 太陽はその理由を尋ねた。


 この先首尾よく事が運んでいくとやれ契約だやれレコーディングだとどうしてもこの街と東京を行き来する必要がある。そうなると、いまだ家にバンド活動自体を認めてもらっていない太陽だけは、おのずと足手まといになってしまう。


 それが他の三人の答えだった。


 大病院の御曹司のクビを切るなら、担当者との顔合わせが済んでいない今がベストというわけだ。


 太陽の代わりとして南高なんこうのドラマーを一人用意していると彼らは無情にも告げた。


 太陽は考え直すよう他の三人に訴えたが、それが聞き入れられることはなかった。


 メンバーはよく知っていたのだ。太陽の父親が彼に葉山病院を継がせようとしている、そのを。


 たとえ高校生のあいだを無事にやり過ごせたとしても、その後こそ葉山院長はありとあらゆる手を講じて、大事な跡継ぎ息子を連れ戻しにかかるはずだ。


 メンバーの一人の身辺が落ち着かないというのは、それだけで活動に大きく支障をきたしてしまう。


 それは至極真っ当な見解だった。そう言われてしまっては、太陽もそれ以上食い下がることができなかった。そして今日に至る。


「ふふっ」と自嘲し述懐を締めくくった太陽の頬は、今までより少しだけけて見えた。


「なにそれひどい!」柏木が憤慨する。「中学時代から苦楽を共にしてきた仲間じゃない! むしろこういう時こそ一致団結すべきじゃないの! あんた、こんな仕打ちされて、黙ってるつもり!?」


「ふん。そんなわけ、ねーだろ」

 そう言う太陽の瞳には、いつもの力強さが戻っていた。

「ノースホライズンはな、オレの呼びかけでこの世に産声を上げたバンドだ。言わば子どもみたいなもんだ。他の誰よりも思い入れは強い。それに自分で言うのもアレだが、オレは腕の立つドラマーなんだ。あいつら、どんな新メンバーを加えたか知らんが、どうせ近いうちにオレ抜きでは立ち行かなくなるさ」


「だが太陽」と俺は言った。「新生ノースホライズンが空中分解するのを待つというのも、それはなかなかリスキーじゃないか? 考えてもみろ。もし万が一フェスで彼らが担当者の目に留まって、そのままデビューとなったら、おまえは一人取り残されることになるんだぞ?」


 太陽は不敵な笑みを浮かべると、おほんと咳払いを一つして、どういうわけか視線を高瀬に向けた。そしてそのまま語りかけた。


「さて高瀬さん。突然ですが、ここで一つクエスチョン。オレたちのこの集まりの基本理念を聞かせて欲しい。プリーズ・アンサー・ミー」


 戯けた様子の太陽に困惑しつつも、高瀬はすぐにそれに答えた。


「えっと、それぞれがそれぞれの〈未来〉の実現のため協力し合う、だよね」


「エクセレント」と太陽は言った。「つまりだ。今この時この部屋にいる諸君は、オレの未来が危ういとなったら協力する責務があるということだ」


 面倒に巻き込まれそうな匂いがぷんぷんする。俺が席を立って逃げようとするより先に、太陽が景気よく手を叩いた。そしてそして高らかに宣言した。


「そういうわけでみんなには、プロのドラマーになるという未来の実現のため、オレと一緒にバンドを結成してもらう」

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