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第10話 いつまでだって輝き続ける 1


 どれくらいの時間、眠り続けていたのだろうか?


 どこか懐かしい人工的な物音で俺は目を覚ました。


 病院の一室の天井と思しき白い平面が視界に広がる。


 なんとなく心地良いのは、窓から差し込む暖かい光と柔らかい寝床、それに体にかけられた布団のおかげらしい。


 そして身体を動かすと鈍い痛みが走るのは、ここが天国ではないことを示しているらしい。


「あっ! 目が覚めたの!?」聞き覚えのあるけたたましい声が、両耳経由で脳内に速達で届けられる。安静を求める本能が受け取りを拒否しても「あたしのことがわかる!?」と強制的に再配達がなされてしまった。


「柏木……か」


 彼女は口に手をあて、元々大きな目をより見開いた。

「葉山君! 悠介が! 悠介がっ!」


 バタバタと騒がしく足音が近付いてきて、白い天井を背景に、もう一つ俺を見下ろす顔が現れた。えらくハンサムだ。


「おう悠介、やっと起きたか! オレだ! おまえさんの心の友、葉山太陽だぞ! 心配させやがって、この野郎!」


 頭が痛い。できれば二人とも声のボリュームを落としてほしいが、それを言う気力がない。

「太陽、ここは?」


「心配すんな、ウチの病院だ。お子様の風邪から難度の高い外科手術まで、葉山病院になんでもご用命ください、ってな。へヘッ」


 いつもみたいな調子でおどけて言う太陽を見て、自分は助かったんだなと実感する。だがそれも束の間、両目を吊り上げた柏木が俺の両肩を掴んで揺すってきた。

「もうっ! 悠介の馬鹿! 崖に自分から飛び込むなんて何考えてんのよ! 死んじゃったらどうするのよ!」


 激痛が走る。「すまんすまん。痛いからやめてくれ」


「お、おい、柏木!」太陽が制止する。「悠介は絶対安静の身だぞ。点滴も取れちまう。それこそ死んじまったらどうするんだ」


「本当に本当に心配したんだからっ!」

 柏木はそう叫ぶと俺に背を向けて窓際へ行った。くすんくすん言いながら肩が小刻みに震えている。どうやら泣いてくれているらしい。


 そんな彼女を尻目に、太陽が口を開いた。

「まぁなんだ。柏木がああなるのも無理はない。高瀬さんを追って悠介が崖に飛び込んだ後、『あたしも飛び込む!』と来たもんだ。そう言うアイツを俺と末永で止めるの、マジで大変だったんだから」


 それを聞いて俺は最も気にかけなければいけないことを思い出した。

「そうだ、高瀬は!? 高瀬はどうなった!?」


「安心しろ。高瀬さんも無事だ、ヒーロー」


 そうか、と俺は安堵する。高瀬も俺と同じこの世界にいるのか、と。


 なんでも高瀬は救急車で搬送されている途中で意識を回復したらしく、コートを着ていたこともあって俺よりはだいぶ軽症だったという。末永カレーに始まりわずか半日で実に三度も気を失ったことになる高瀬ではあるが、気絶に対する耐性のようなものができていたのかもしれない。


 高瀬が葉山病院に到着すると怪我の手当と小一時間の点滴を施されただけで、帰宅の許可が出たらしい。でも彼女は俺の意識が戻らないのを気遣って「自分も病院に残る」と迎えに来た両親に訴えたという。


 しかしが過ぎたという罪悪感からか、なかなか強気には出られずやむなく帰宅の途についた、と太陽は教えてくれた。


 高瀬の生存を確認し体も緊張がほぐれたのか、途端に背筋にぞくっとした寒気を感じて俺は激しく咳込んでしまった。


「いかん、忘れてた!」太陽が慌てる。「悠介が目を覚ましたら、誰か呼ぶように言われてたんだった! 柏木、ナースコールだ!」

「う、うん!」


 なにはともあれ、高瀬は無事にこの街に帰ってくることができた。

 それが聞けただけでいい。ただそれだけで、痛みやだるさは和らぐ。


 その情報に勝る特効薬は、いくら世間に名だたる葉山病院といえども、用意できないだろう。



 ♯ ♯ ♯



 医師による診察と問診を経て、中等度の低体温症と診断された。


 俺はようやく自力で身を起こして、暖かいホットミルクをゆっくり飲みながら、太陽と柏木に詳しい状況の説明を求めることにした。


 時刻は夕方の4時である。俺はほぼ半日の間、眠りこけていたらしい。


 太陽は柏木と顔を見合わせると、オレが話す、という顔をして口を開いた。

「崖の上に残されたオレたちはすぐにキャンプに引き返して、宴会中の教師連中に全てを正直に打ち明けた。ビンタの一発も飛んで来そうな雰囲気だったが、それどころじゃないってことで、教師からすぐに地元の警察と消防へ連絡が入った。それと同時に酔いの浅い教師たちで捜索隊を結成することになった。そんでオレと柏木も捜索隊に加わることにした。なんせオレの責任は重大だからな」


 無謀な宝探しの立案者はバツが悪そうに苦笑して、続ける。


「捜索しているうちに雨が降ってきやがった。馬鹿じゃない悠介と高瀬さんのことだ。野ざらしになっていることはないだろうと考えたオレと柏木は、徹底して人が隠れられそうな場所を探した。雨が小降りになった朝の5時くらいだったかな。あのきれいな洞窟を見つけたのは」


 結局こいつらに助けられたのか、と思って俺は二人に感謝した。


 太陽は続けた。

「洞窟の中に足を踏み入れると、緑色の光に包まれた悠介と高瀬さんが互いを守り合うようにして抱き合ったまま倒れ込んでいた。……ま、今だから正直ぶっちゃけると、最悪の可能性だって頭をよぎったもんだよ」


「バカ葉山、不謹慎なこと言わないの」柏木は面白くなさそうな顔をする。「抱き合ったままだったけど、悠介、あの洞窟の中で優里としてないでしょうね?」


「あのな柏木」と俺は呆れて口を開いた。「おまえの方がよっぽど不謹慎だよ」


「なにはともあれ二人が無事でよかった」と太陽は言った。そして洞窟を覗き込むような仕草をした。「それにしても大航海時代の宝石の正体が、まさかとはな」


「結果はただのヒカリゴケか。さすがにエメラルドにはかなわないな」

 俺がそう言うと、太陽は「ふっふっふ」と意味深な笑みを浮かべた。

「悠介、それがそうでもないんだぜ」


 そのまま彼は立ち上がって、ベッドの横に備え付けられている棚から、何かを取り出した。


 それは手のひらに乗るカップケーキくらいの大きさのヒカリゴケだった。ガラスのケースに入れられて、相も変わらず美しい緑色の光を放ち続けている。


「高瀬さんが右手で握りしめていたんだ。倒れ込む時にでもむしり取ったんじゃないかな。それより悠介。これを見て、なんか気付くことないか?」


 俺はそれについて考えた。すぐに目の前の光景があり得ないものであることがわかる。

「ああ! なんでそれ、こんなところで光ってるんだよ!?」


 たしかヒカリゴケはまさしくあの洞窟のように、暗く湿った場所でしか生きられないはずだ。六月の陽光が差し込む明るいこんな病院の一室でも光を放つというのは、いったいどういうことだろう?


「そうなんだよ悠介」太陽はにんまりする。「聞いて驚け。こいつはどんな場所でも適度な水分さえあればずっと生きていられる、新種のヒカリゴケだ。詳しい仕組みはよくわからん。光合成? 葉緑体? 知らん知らん。でもとにかくこうして生きて光ってるんだからいいじゃねぇか。おまえと高瀬さん、世紀の大発見者だよ」


「あのヒカリゴケが、そんな稀少なものだったなんて……」

 今でも鮮明に緑一色の世界を思い出すことができる。高瀬と俺、二人の命をつないでくれたあのヒカリゴケの洞窟には、いくら感謝しても足りないくらいだ。年末にはお歳暮せいぼでも贈っておこうか。


「さっき売店で買ってきたんだよ、見て」

 柏木はそう言って、地方ローカル紙の夕刊の一面を俺に示した。


神恵山かもえやまに奇跡のヒカリゴケ群生、鳴桜生めいおうせい、大手柄』


「このって……」

「そうだよ」太陽は俺の手に肩を置く。「悠介と高瀬さんだ」


 若気の至りと言われればそれまでの、誰に非難されても反論できない遭難が結果的になんだか華々しいことになっている。


 喜んでいいのやら嘆いていいのやら、笑っていいのやら泣いていいのやらわからず、俺は気の抜けた顔をすることしかできない。


「まぁそんな顔するなよ悠介」と太陽は言った。「おまえさんたちの避難先がこの洞窟だったおかげで、オレたちは幸運にも無罪放免で済まされるんだから」


 そうだ、と俺は身を起こす。高瀬も俺も命拾いできたことのインパクトが強すぎて、すっかり忘れていた。次に気掛かりだったのは、高校からの処分の有無である。無罪放免、と太陽は言ったようだが――?

「どういうことだ?」


 彼はすぐに答えた。

「これだけ大騒ぎになるとな、真相を世間に知られちゃ困るのは教師連中なんだよ。そりゃあそうだろう? 引率の教師が一人も監視の目を光らせない中で起きた生徒の遭難、ヒカリゴケの発見劇なんだから。ましてや奴らがその間なにをしていたかと言えば、飲めや歌えやの酒盛りだ。こんなことが明るみになったら鳴桜高校の教師はなにをしてるんだと世間から大バッシングを受けちまう。そんなわけで我らが担任からの伝言だ」


 太陽はおほん、と咳払いして担任の口調を真似た。


「我々の監督不行き届けという面も否定できないから、今回だけは特別に不問に付す。そのかわり、あまりべらべらと余計なことを喋るな」


「わかりました」と俺は太陽を担任だと思って返した。


「へへっ。担任もこの前娘が産まれたばかりだから、騒ぎを大きくすることだけはなんとしても避けたいんだろうさ。ま、紳士協定ってやつだ。助かったな」


「高瀬も高校を辞めなくて済むんだな」俺はほっと胸を撫で下ろす。


 一時はどうなることかと思ったが、なんだかんだで皆がうまく元の場所に着地できたようだ。よかった。冒険もたまには悪くないかもしれないが、俺はやはり日常が恋しいタイプの人間なのだ。


 朝起きて登校して授業を受け、太陽や高瀬や柏木ととりとめのない話をする。帰って夕食を作り食べて居酒屋のバイトに出かけ、帰って風呂に入って寝る。俺はそんな忙しない日々をことのほか気に入ってたりする。


「話は変わるけどよ」太陽が顔色まで変えて言った。「悠介おまえ、オレと末永をくっつける工作の片棒担いでただろ。なんでだよ。二人きりになった時にでも、本当のこと話してくれたってよかったじゃないか、こんにゃろ」


「す、すまん。柏木がどうしてもって言うから……」


 恋のキューピッドはぷくっと頬を膨らませた。

「あーあ、つまんないな。末永の恋も終わりかぁ。これじゃああたしの顔が立たないじゃない」


「ふざけんな」太陽が声を張る。「やっぱりおまえが黒幕だったんだな。……ったく、人の恋にかまけてないで、をどうにかしろっての」


「ちょ、ちょっと! 悠介の前でやめてよ!」


「いいじゃねえか、無事だったんだから。あのなぁ、悠介。さっきもちょろっと言ったが、柏木すごかったんだぞ。ずっと半狂乱で泣き喚いてたんだから。『悠介死んだらアタシも死ぬぅ!』ってな。あの末永がドン引きするほど――」


 そこで強烈なエルボーを脇腹に喰らった太陽は絶句し、屈み込む。


「黙りなさいバカ葉山! それ以上言ったら、末永カレーをまた食べさせるよ!」


 顔を真っ赤にして憤慨する柏木がなんだか可愛く見えるのは必然だろう。そして自分が今低体温症から回復を図っていることを忘れるような熱さを感じるのもまた必然だろう。


 柏木は照れ臭そうに鼻先をかくと、なにかを思い出したように手を叩いた。そしてベッドの脇の棚から何かを取りだした。

「優里から『神沢君が目覚めたら渡してほしい』ってことで預かってたの」


 それは彼女に羽織らせていた俺のフード付きコートと一枚の小さな紙だった。コートはブティックに陳列されているみたいに丁寧に折り畳まれている。俺はそれを受け取ると柏木の視線にややたじろぎながら、コートは掛け布団の上に置いて、さっそく紙に目を通した。


「ありがとう神沢君。きみは私の命の恩人です」


 紙にはきれいな筆跡でそう書かれていた。


 そこには高瀬の息吹がたしかに感じられる。

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