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第7話 あなたがマントを差し出すならば 1


 おどろおどろしい虫の鳴き声や木々の擦れ合う音が聞こえる中、懐中電灯の四つの光が行く先を照らしている。風が冷たく、上着を羽織っていても肌寒い。極めて不気味で、どことなく危うい気配が、常に俺たちの背中に付きまとっている。


 夜の山を探索することになるなど全く想定していなかったであろう末永は、もちろん防寒着も懐中電灯も持ち合わせていない。


 一人だけ石にけつまずいてつんのめったり、枝に額をぶつけて悲鳴を上げたりと、その性格を表すようにやることなすことが騒がしく、足手まといになっているのは明らかだった。


 太陽はそんな末永をもはや「いないもの」と決め込んでいるらしく、彼女の積極的なアプローチにも「あぁ」とか「そう」とか、乾燥した受け答えしかしなくなってしまった。残念ながらこれでは、末永の恋は成就しそうにない。


 山の中に足を踏み入れてから、30分が経過した。


 人が歩いたような跡もすっかりなくなり、周囲は多くの木々が茂る樹林となっている。隊長はこれまでの道程で、目印となる蛍光板を一定間隔で枝に巻き付けていた。これではとあるグリム童話みたいだが、自然の中では原始的な方法が何より有効なのだと彼は言う。


「それにしても」末永がびくびくして口を開く。「なんだかイヤな雰囲気。まさか虎とか出ないよね?」


 その発言に誰も突っ込まないので「末永」と仕方なく俺が相手をしてやる。「一応言っておくけど、日本には野生の虎は生息してないからな」


「でもなんかさぁ、さっきから獣の唸り声みたいなの、聞こえない?」


 たしかに動物の気配がしないこともなかった。その直後のことだった。


「あっ、なんか光ったよ!」柏木が照らす先で何かが反射し、五人の間に緊張が走る。


「ほら、虎だって! ライオンだって! お化けだって! やっぱりなんかいるんだって!」

 末永は支離滅裂なことを叫びつつも、ちゃっかり太陽の腕にまとわりつく。


 光の元へと五人でゆっくり近付いていく。こんな時でも頭では「高瀬も俺の腕にすがってくれないかな」なんてことを考えている。左腕に少し余裕を持たせておく。でも高瀬はそれには気付かない。


 懐中電灯の四つの灯りが重なり、そこにある物体のシルエットが明らかになってきた。かなり大きい。やはり、命を持った生き物のようだ。誰かが唾を飲み込む音が聞こえる。俺たちは自然と身を寄せ合う。


「ん?」見覚えのある、とある動物の名が、ぼんやり頭に浮かんだ。


 その動物は俺たちと目が合うと、なんだ人間か、とでも言わんばかりに軽快に暗闇へ飛び跳ねていった。


 鹿、だった。


「なんだシカじゃん」と柏木が安堵すれば、「野生の鹿って大きいんだね」と高瀬は感動した。


 太陽も冷静さを取り戻したみたいで「末永! いつまでそうしてんだ! 虎なんか出るかよ!」と、あながちその可能性を捨てきれなかった恥ずかしさを晴らすように言った。


「なんかさぁ」やりきれない、という顔で柏木が言う。「鹿の目の色、何色かって聞かれれば、っぽかったよね?」

「……何が言いたいんだよ、柏木?」


「緑色に輝く宝石って、もしかして……」

「言うな、それ以上は。……ひたすらに悲しくなるから」


 柏木と太陽のそんなやりとりを後方から眺め、「こりゃ先が思いやられるな」と俺は一人眉をひそめる。



 ♯ ♯ ♯



 宝探しと称するにはほど遠い、肝試しのようなものを始めてから一時間が経った。


 自信満々だった隊長殿にも焦りが出始めたことが、蛍光板を枝に巻き付ける間隔が短くなってきたことからも窺い知ることができる。


 気温はますます落ち、足下への注意も散漫になりつつある。慣れない山道を暗闇の中、ゆっくりとまるで牛歩戦術をとる野党議員みたいに進む俺たちは、この地にむ生物たちからはさぞ滑稽に見えることだろう。


「はっくしょん!」

 先程から末永のくしゃみや鼻水が止まらない。一人だけわなわなと身を震わせ、太陽に寄り添い続けている。それは恋する人に密着していたいというよりもむしろ、ただ単純に寒さをしのぎたいという気持ちが勝っているようにも見える。


「末永さん、大丈夫?」と案じたのは高瀬だ。「ジャージの上にパーカー一枚じゃ、さすがに寒いでしょ?」


「う、うん。ちょっと寒いかな」

 声を出すのもつらいといった感じで末永は言う。懐中電灯のライト越しでも顔色が良くないのがわかるほどだ。


「なぁ太陽」と俺は言った。「そろそろ限界なんじゃないか? 今引き返せば、教師どもの宴会が終わる前にテントへ戻れる」


 別に末永の身を気遣うわけじゃないけど、このまま当てもなく進んでも、やはりスペイン帝国の秘宝など見つかるとは到底思えなかった。


 俺の提案に答えたのは太陽ではなく、末永だった。

「神沢君。私のことは気にしないで。好きでみんなについてきたんだから。女末永、頑張っちゃうよぉ」


 うひひひ、と無理して笑顔を作る彼女は、今や痛々しくもある。


 それを見た高瀬はいたたまれなくなったのか、懐中電灯を一旦柏木に預けると、白のダウンジャケットを脱いでそれを末永の背中にかけた。

「じゃあ、これ着てて。暖かいよ」


「うぅ……ごめんねぇ高瀬さん。暖かいわぁ。優しさが身に染みるわぁ」


「ちょっと優里、大丈夫なの? 優里が風邪引いちゃうじゃない」

 柏木は我が子を心配するような口調で言ったが、高瀬は平然としていた。

「平気平気。むしろ暑過ぎたくらいだから、今はちょっと気持ちいいよ」


 本当かよ高瀬、と俺は思う。


 ややあって、退屈になってきたのか、柏木が上空をぼんやりと見上げて口を開いた。

「星はきれいだけどねぇ。ただあたしたちが見たいのは、夜空のお星様じゃなくて、光り輝く宝石なのよね」


 思いも寄らぬ事が起きたのは、その時だった。


「キャァッ!」という甲高い声が山の中に響き渡った。


 そして


 柏木がいない。それに高瀬の姿も見えない。


 俺と太陽と末永は顔を見合わせる。「何が起こった?」と二人の顔には書いてある。きっと俺の顔にも書いてある。俺たちは懐中電灯の光を四方八方に散らし、二人を見つけるべく目を凝らす。


 高瀬が持っていた懐中電灯が地面に放り出され、虚空を照らしている。俺がそれに気づくと同時に高瀬の声が――きわめて切羽詰まった彼女の声が――した。

「神沢君! みんな! ここ!」


 俺たちは声のする方へと光を向けた。


 ――次の瞬間、目に飛び込んできたおぞましい光景に、俺は血の気がさっと引いていくのを感じた。


 柏木は前が崖になっていることを知らずそのまま歩き続けてしまったらしく、完全に体を崖下に放り出された状態で、右手で木の根っこを、左手で高瀬の右手を掴んで、かろうじて落下せずに済んでいる。


 しかし高瀬も、決して安泰ではない。体半分を崖側に投げ出し、柏木の手を離すまいと、その華奢な体で踏ん張っていた。


 どちらも、そう長くは持ちそうにない。

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