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第6話 愛はどこにあるの? 3


 毎年先輩たちがきれいにしてきたはずなのに、それが無かったかのように小川には多くのゴミが落ちていて、結局予想よりだいぶ早くノルマの4枚の袋を満たすことができた。


 集合場所のロッジへ戻る最中も末永の恋を実らせるべく、できるだけ太陽と二人きりにさせた。会話は弾み、笑い声も絶えなかった。ただあまりにも打ち解けすぎて恋仲状態に近付いたというよりは、異性の友達のようになってしまっていた。


 末永はそんな状態は少しも望んでいなかったらしく、ロッジに到着する頃にはすっかり消沈して、高瀬と柏木に励まされていた。


 テント設営も終わり上着を羽織らないと肌寒く感じられるようになった夕方、俺が楽しみにしていた時間が近づいてきた。

 炊事の時間である。


 きのうの放課後、歯医者に行った末永を除く四人で今日のための買い出しに高校近くのタカセヤを訪れたのだが(まさかの社長令嬢登場に店員は誰一人として気付かず、高瀬自身は「潜入捜査みたいで楽しい」と笑顔だった)、そこで調理実習でしか包丁を握ったことがない温室育ちの太陽と、味付けの“さしすせそ”の“し”はシナモンだと思っていた柏木が料理において全く戦力にならないことが判明した。


 朝から連続する苦役の数々でみんなの体は疲れているはずである。それに加え俺たちは、夜には宝探しに赴かなければならない。


 すなわち、あらゆる意味において食事は重要ということである。


 決して失敗が許されないこの夕食を自炊歴4年目に入った俺と高瀬でどうにかする運びとなった。高瀬は以前俺が作ったカレーの味が忘れられないらしく、もう一度食べたいと言った。それじゃあ、と俺は言った。それじゃあメニューはカレーにしましょうか、と。


 つまりこの日の炊事は俺の腕の見せ所であると同時に、恋する高瀬との初めての共同作業という側面も兼ね備えた、とても重要な意味合いを持つ時間となる――はずだった。


 俺と高瀬は末永に物陰へと連れ出されていた。


「ホンマ頼んます!」と末永は切り出した。「一生のお願いッス! どうにかわたくしめに挽回のチャンスをお与えくださいませ!」


 太陽の気をいまいち惹けていないことを自覚しているのか、末永は料理を一手に引き受けて、太陽の舌に訴えかける作戦に出るというのだ。


 ちなみに彼女は今、俺たちの前で土下座をしている。


「あの、末永さん? とりあえず、それ、やめようよ」

 高瀬が言っても末永は頭を垂れたままだ。


「末永がメインで仕切って、俺たち二人がそれを手伝うっていうかたちじゃ、だめなのか?」

 高瀬とのカレー作りを簡単には諦めきれない俺が粘り、高瀬も「そうだよ」とそれに続いた。

「ただでさえ普通の台所じゃないんだから、一人はきっと大変だよ?」


「それじゃいかんのです」末永は今にも泣き出しそうな顔で俺たちを見上げる。「もうこのチャンスを逃すと、後はそれぞれのテントに帰って就寝するだけでしょう? ここでドカーンと一発逆転するためには、私が一人で料理をして『ムムッ、やるな、スエナガ』と強烈なインパクトを葉山君に与える必要があるんッス!」


 俺はこめかみをかいた。「そうは言っても、一人でうまく作れるのか?」


「女末永、愛を込めて作るッス! だからなにとぞ!」


 俺と高瀬は顔を見合わせる。高瀬はおもちゃが欲しいと駄々をこねる子どもに降参したような、慈愛の笑みを浮かべていた。それを見てしまっては、夢の時間を諦めるしかない。


 俺は落胆を隠して口を開いた。

「わかったよ。太陽を惚れさせるようなうまいカレーを作れよ」


 ♯ ♯ ♯


 結論から言ってしまおう。


 末永の企みは、失敗に終わった。


 俺の隣で毒リンゴでも食べたかのような苦悶の表情を浮かべている太陽を見るに、彼にとって末永は、自分を殺しに来た魔女のごとき存在に思えているかもしれない。


 愛のカレーを一口食べた途端、みるみる青ざめていく太陽を見て、末永は嗚咽を押し殺しながらどこかへと走り去ってしまった。


「そんな反応しなくたっていいでしょ、大袈裟な!」と末永の恋を応援している柏木は言った。「末永が一人でがんばったんだもん、お世辞の一つくらい言ってあげなさいよ! 冷たいね!」


「アホかっ!」むせ返りながら、太陽はどうにか声を出す。「柏木、そう言うならおまえも一口食ってみろ! 俺が大袈裟じゃないってのがわかるから! このカレー、お世辞を言うとか言わないとかそういう次元の味じゃねぇんだよ!」


 そんな馬鹿な、という顔をして柏木はカレーを口に運ぶ。その瞬間「ヴッ」という、うめきともうなりともつかない声が出た。彼女は大急ぎで調理スペースの生ゴミ捨て場に向かうと、俺たちの目をはばかることなく、口に含んだものを吐き出した。


「ホラ見ろ!」と太陽は得意になって言った。「オレはな、まだ吐き出さなかったんだ! さすがにそれは末永に悪いと思って、無理矢理胃に流し込んだんだよ! これでもオレが冷たいってか!?」


 これにはさすがの柏木も反論できず、謝るしかない。「さーせんっした」


 しかし、と俺は鍋の中の大量のカレールーを見て思う。しかしカレーだぞ。そこまでまずくなるなんてことがあり得るのか? と。


 俺の中に怖いもの見たさのような好奇心が芽生えていた。それに少なからず腹は空いている。結果、俺は末永カレーに近づき、手を伸ばしてしまう。


「お、おい悠介。悪いことはいわん、やめておけって」


 太陽の制止を受け流し、俺はスプーンでカレーを口に運んだ。


 間違いだった。次の瞬間、俺の後頭部は巨人にハンマーで殴打されたかのような衝撃に見舞われた。二つの眼球は飛び出しそうになり、鼻は大きく膨張する。細胞の一つ一つが命の危険を知らせている。


「うおっ、マズッ!」気づけばそんな言葉を発していた。


 柏木と同じく俺もそれ(もはや食べ物ではない)を吐き出した。息は上がり、立っているのがやっとだ。本能が「もうこんなことはやめなさい」と警告している。


「おいおい……冷静な悠介がここまでなるなんて、こいつはもはや殺戮兵器だよ」

 今や太陽の暴言をとがめる者など誰もいない。


 そこで高瀬は何を思ったか、謎の引力に導かれるように鍋に近づいた。

「そんなにこのカレー、美味しくないの?」


「高瀬、よせ」と俺は言った。「そんな冒険はしなくていい」


 太陽も続く。「悠介の言うとおりだ。この食い物もどきは、あのタカセヤの娘さんが口にしていい代物じゃねぇ!」


 柏木も説得を試みる。「そうよ、あたしたちのこの姿を見たらわかるでしょ、優里。こっちの世界に来ちゃだめっ!」


「でも私も、お腹空いちゃったな。きっと大丈夫だよ」

 それを口に入れた瞬間、高瀬は倒れ込んでしまった。愛はどこにあるの? とつぶやきながら。



 ♯ ♯ ♯



「しっかし高瀬さんをノックダウンさせるとは、恐るべし末永カレーだな」

 俺と太陽はテントの中で8時になるのを待っていた。


 ようやくいつもの調子が戻ってきた太陽に「大事に至らないで良かった」と俺は返した。


 高瀬が倒れた後、養護教諭を呼んで彼女を診てもらったのだが、「慣れない環境での慣れない作業で疲れが溜まっていたんだろう」とのことだった。


 残された俺たちは「絶対に違う!」と心で叫んだわけだけど、そうしている間に高瀬の意識は無事回復し、事なきを得たのだった。


「あーあ、腹減ったよ、もう」太陽はいじらしく腹をさすって言う。「悠介の料理、うまいって言うじゃん。食いたかったなぁ。ビストロ悠介のカレー」


「俺も食べてほしかったよ、みんなに」

 そしてできれば高瀬と一緒に作りたかった、と心でぼやいた。


「でも、なんだって末永はあんなに張り切ってたんだ?」思いのほか鈍感な男は首をひねる。「一人で作るって言って聞かなかったらしいな。悠介と高瀬さんに手伝ってもらえばよかったのに」


 真相を知る者として友に種明かししてやってもよかったが、林間学校はまだ続く。せめて山にいるうちは胸に秘めておくことにしよう。


「ったく、誤算だなぁ。きっちり食べて、万全の体調で宝探しに挑もうと思ってたのによ。そうは問屋が卸さないってか」

 太陽はそこで何かを思い出した顔をして、自分のリュックサックをがさごそ漁った。そして何かを取り出した。それはスティックタイプの栄養食品だった。彼はそれを開封して、カニにでもありつけたようにうまそうに食べた。

「へへっ。山と言ったら、こういうの持ってくるイメージ、あるじゃん? 悠介にも一本やるよ」


 それは遭難する前提なのか、とふと思ったが、何はともあれ食糧はありがたい。俺は感謝を告げて栄養食品を受け取った。


 俺もそれを食べておこうと開封しかけた矢先、テントの外で懐中電灯の光がちらつき、見回りの教師の声がした。

「そろそろ8時だ。おまえら生徒は寝る時間だ。神沢、葉山、わかったなー?」


 あんたら教師はビールと焼肉でお楽しみの時間で良いですね、と言い返したい気持ちをどうにか抑える。


 ♯ ♯ ♯


 数分後、周囲には沈黙と暗闇が広がっていた。テントからおもむろに顔を出すと、離れたロッジからもたらされる灯りと半月の光でほのかに明るかったが、それでも地面に生えたタンポポと雑草の識別が出来るくらいの照度しかない。昼間とは打って変わって晩秋のような張り詰めた寒さが、身に染みる。


「どうだ悠介。宴会、始まってるか?」

 テントの中から太陽が聞いてくる。再度ロッジを確認して返す。

「ああ。もうさすがに、出ても大丈夫だと思う」

「よし。それならいよいよ出発だ」


 ♯ ♯ ♯


 今になってみれば、なぜこうなる可能性を考えなかったのかと猛省しなければならないが、待ち合わせ場所にいたのは高瀬と柏木だけではなかった。


 同じ班の末永も、ジャージの上にパーカーを着込んで立っていたのである。


「げっ」という声を太陽は漏らした。「おい、どうなってんだよ? なんで末永もいるんだよ!?」


「しょうがないじゃない」と柏木が答えた。「一人だけテントに置いていけないでしょ。黙って抜けたら教師に言われるだろうし。もういっそ末永もこっちに引き込むしかないって」


「くっそ」と太陽はつぶやいて頭を抱える。「末永だなぁ。とことん末永がかき乱すなぁ、オレの計画を……」


「なんだかごめんねぇ、葉山君」末永が舌を出して謝る。「さっきのカレーは失敗しちゃったけど、今度は活躍するよぉ! スペイン帝国のエメラルド、女末永、見つけちゃうんだからねぇ!」


 太陽はため息をついて、がっくりうなだれる。


「わかってるでしょ悠介」と柏木が耳元でささやいてきた。「は依然、続行ということでもあるからね」


 なるほど。どういうかたちであれ、末永にとってはもう終わりと思われた林間学校で、最後の最後に汚名返上の機会が巡ってきたというわけだ。


 たしかに末永の立場になれば、これを逃す手はない。神恵山に眠る宝というよりも太陽の心を手にすべく、高瀬と柏木について来たのだろう(この女ならば二兎を追っているかもしれないが)。


「元気出して」と高瀬は落ち込む太陽に優しく声をかけた。彼女は上質な白のダウンジャケットを着込んでいて、それがとてもよく似合っていた。白は彼女を象徴する色だなと、場違いにも俺は思う。


 太陽は高瀬に対しもう大丈夫だ、という風に手を広げると、「おい」と厳しい口調で末永に話しかけた。

「今度という今度は足を引っ張るんじゃねぇぞ。あんまりつべこべ言うと、マジで帰らすからな」


 皆の空腹の元凶にそう釘を刺すと、太陽は一人、誰より先んじて歩き始める。


 今夜の彼の肩書きは、秘宝捜索隊隊長だ。 

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