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第5話 君の物語は続かなければいけない 3


 その後俺たちは校舎を後にし、四人で並んで帰途についた。


 現代社会の先生のカツラ疑惑について討論したり、ついにこの街にも出店した有名餃子店の寸評で盛り上がったりと、はたから見ればいかにも高校生らしい姿だっただろう。


 まぁ実際に高校生なんだから誰の目を気にする必要もないんだけど。


 まずは高瀬が市バスに乗るため俺たちから離脱し、次に知り合いの演奏を見るためライブハウスに行くという太陽が抜け、俺は今世界で一番ふたりきりになりたくない人物とふたりきりになってしまった。


 だいたいが柏木晴香という女は、掴み所がないのである。


 先週に屋上で俺に告白のようなものをしておきながら、それ以降何事も無かったかのように振る舞い続けているのだから。それはそれで気楽な面もあるのだが、俺からすれば、ではあの屋上の一件はいったいなんだったのか、と首を傾げたくもなる。


「なによ悠介」沈黙を嫌った柏木が口を開いた。「優里も葉山君もいなくなった途端に固くなっちゃって。もしかして、今更あたしに緊張してんの?」


「そりゃあほら、こないだのことが、あるからさ」

 俺は探りを入れるように言う。


「あれぇ? 結構気にしてたんだ? かわいいでちゅねぇ、悠介君」

「茶化すなって」


「何度でも言ってあげるよ。好きだぞ、未来の旦那さん」

 そう言って彼女は体を密着させると、強引に腕を組んできた。甘い香りがふわっと鼻をくすぐる。


 もう何も面倒なことは考えないで柏木の気持ちを、そして未来を受け止めることができたなら、どんなに楽だろうという思いが頭をかすめる。


「世界一幸せな家庭を築いてみせる」と柏木は言う。たしかに彼女となら(世界一かどうかはさておき)それなりに幸せな家庭を作れるだろう。


 そしてその夢を一緒に目指すことは、未来の幸せを望みながらもまだ具体的な将来像が描けない俺にとって、うってつけの選択のように思えなくもない。


 そこでふと冷静になり、いやいや、と俺はかぶりを振る。


 高瀬がせっかく自分の未来を変えるべく、大きな一歩を踏み出したばかりなのだ。


 もし俺と高瀬が共に四年制の大学へ行き、無事に卒業するという宿願を果たすことができたなら、それは幸せへとつながっていく道を進んでいることになるだろうし、トカイとの政略結婚を回避した未来を歩んでいる以上、彼女の伴侶はこの俺という可能性だって出てくるのだ。


 やはり自分の気持ちに嘘はつけない。道のりは険しいけれど、高瀬と歩む未来を捨てきるなんてこと、できやしない。


「柏木。あらためてはっきりしておくけど」俺は組まれた腕をにべもなく離した。「俺は高瀬のことが好きだ。この気持ちはそうかんたんに揺るがないよ。おまえは俺なんかとは釣り合わないほど美人だ。おまえを幸せにしてくれる旦那さん候補はいくらだって見つかるはずだ。だから俺なんかを未来の旦那に想定して動くのは、もうよせ」


 どんな反応が返ってくるかと思い変にやきもきしていたけれど、柏木は気にも留めない様子で「はいはい、そうですか」と手を振った。


「すいませんねぇ。あたしはこう見えても、一度決心したことはそう易々とは変えない頑固者なんです。何と言われようと、こっちで勝手に想い続けさせてもらいますからね」

「なぜ俺なんだ?」


「だから、悠介があたしの運命の人だって確信してるから、だよ」

「いったいどうしたらそんな確信が持てるんだ? 明確な理由があるんだよな? いい加減教えてくれよ」


「だめぇ」柏木はこちらを翻弄するような目つきで言う。「今はまだ教えられない。あたしにだってねぇ、作戦ってもんがあるのよ。これは切り札としてもうしばらく取っておく。あの優里から悠介の心を引き剥がさなきゃならないんだから、カードの切り方だって、よーく考えなきゃ」


 、と心に留める。あまり穏やかじゃない。


「ねぇ悠介、一つ聞かせて?」

「なんだ?」

「優里のどこに惚れたの? 『かわいいから』とかはなしね」


 満月の夜の占いが全ての発端だったが、今に至る全てを打ち明けてしまっては、柏木をますますその気にさせてしまう。


 なにしろあの夜にもたらされたのは「俺には“未来の君”――つまりは運命で結ばれた人がいる」という情報なのだ。高瀬も太陽もここまでは知っている。しかし幸いなことに、柏木だけがこのことを知らない。そして彼女は俺に運命を感じている。“未来の君”はあたしだよ、となるのは目に見えていた。


 自ら進んで、状況を今以上にややこしくすることもないだろう。


「どこって」高瀬優里を構成する全てが俺の好みだ、と言うのはなんだか盲目的なので、別の答えを口にする。「今時珍しいじゃないか、高瀬みたいな女の子。我欲がなくて、よく出来た子だよ」


「我欲の強い」柏木はぐいっと俺の顔を覗き込む。「今時の女で悪かったな」

「別におまえを批判してないだろ」


 柏木は面白くなさそうにふんっと鼻を鳴らすと、少し時間を置いてから「まぁたしかによく出来た子だ」と続けた。真面目な声だった。

「ただあたしから言わせれば優里は、けどね」


「なんだよ、ダメなのか、良い子過ぎちゃ?」


 柏木は「うーん」と唸り、目をしばたたく。

「優里が中学生の時の話、聞いたんだけどね……」


 それは、修学旅行にまつわるエピソードだった。


「出発する当日の朝になって、学校側が手違いで旅行会社に実際の生徒数より何人か少なく申告していたことがわかったらしくて、大混乱になったんだって」


 柏木の説明によればバスや旅館はまだどうにか融通が利いても、行きと帰りの飛行機だけは引率の教師を減らすなどしても席を確保できず、やむを得ず生徒の中から一人だけ電車で移動させようという話になったという。


 しかしそうなると、その一人は初日と最終日は移動だけで終わってしまう。三泊四日の行程だから、それでは満足な修学旅行になんかならない。そもそもその一人をどうやって決めるのかという残酷な問題もある。生徒を単独で電車に乗せるわけにはいかないから、教師だって付けなきゃいけない。ただでさえ引率の教師は減らしている。


 あれこれ悩んでいる間にも出発の時間は刻々と迫ってくる。生徒達の間からはついに「あいつ要らないだろ」と、名指しでその役を押しつける声があがり始める。


「優里はね」と柏木は言った。続く展開は、だいたい予想できた。「そんな状況を見かねて挙手して言ったんだって。『私がここに残るので、みなさん、早く出発してください』って。だからあの子、修学旅行に行ってないんだよ」


 中学時代の修学旅行には不参加。思いもしなかった俺との共通点だ。


「良い子もそこまで行くとちょっと行き過ぎでしょ。それを聞いてあたし呆れたもの。そりゃあ誰か一人がババを引かなきゃいけなかったかもしれないけど、何もわざわざ自分から手を挙げて名乗り出ることないって。高校でもまた修学旅行はあるけど、中学校の修学旅行は一生に一度っきりじゃん? それを学校の尻ぬぐいで不参加だなんて、まったく、どこまで自分を犠牲にすれば気が済むんだか優里は」


「極めつけは」この街のため、ウエディングドレスに身を包む高瀬の姿が思い浮かんだ。「政略結婚だな。今度は自分の未来を引き替えにして、多くの人を救おうとしている」


「そうだね」と柏木は言った。「優里は気付いてないけれど、あたしとの間には悠介を巡るライバル関係があるわけだから、トカイの次期社長と結婚してくれればあたしとしては楽だよ? でもできることなら、優里には自分が本当に望む未来を手にしてもらった上で、あたしと悠介が一緒に生きていくっていうシナリオが最高かな。みんな幸せになればいいよ、うん」


 俺はそれを聞いて素直に感心していた。柏木は何も考えていないように見えて、実はきっちりいろんなことを考えている。柏木と高瀬の仲は、俺と太陽のそれより深く確かなものなのかもしれない。


「柏木おまえ」たまには褒めてやろうと思った。「案外いいやつなんだな」


「な、何よ」照れているのだろう、声が上ずる。「今頃晴香ちゃんの魅力に気付いたわけ? そうだよ、可愛いだけじゃないんだよ!」


 胸を張って堂々とそう言うのだから、始末が悪い。


「ま、優里の行き過ぎた良い子ちゃん精神、それがいつか命取りにならなきゃいいけどね」


 命取り、と聞いた俺の頭に思い浮かんだのは、例のあの件だ。

「あのな柏木」立ち止まって、慎重に言葉を選ぶ。「今もまだやってるのか、その、


 強烈な西日の中、屋上の縁に立つ彼女の後ろ姿は、鮮明に|まぶたに焼き付いていた。


 柏木も俺の隣で足を止めた。「うん、まぁね」


「悪いことは言わないからやめろって」と俺はため息混じりに言った。「足を滑らせでもしたら、それこそ本当に命取りだぞ? おまえの抱えているわだかまりをきちんと高瀬と太陽にも話して『いつでも死ねる状況』なんかに自分を置かなくても、答えが出せるようにすべきだって」


「悠介、あたしのこと心配してくれてるの?」

「あんな光景に出くわした人間の、せめてもの責任だ」


 そこで老婆に散歩させてもらっているセントバーナードが柏木にじゃれつき始めた。


「あーん、可愛いねぇ」彼女はしゃがみ込んた。そして犬に向かって話し続けた。「だからさ、悠介が『柏木、俺と一緒に生きていこう』って一言言ってくれれば、そこでジ・エンドなんだってば。全て解決。ねぇワンちゃん。そうだよねぇ?」


 気のせいかセントバーナードは「そうですね」と肯定的な表情をしているように見える。いや、柏木の愛撫が心地良いだけか。


 飼い主の老婆と目が合い、たまらなく居心地が悪くなる。


 老婆は俺たちに軽く会釈をすると、犬をいて、再び歩き始めた。満足げな顔で手についた毛を払う柏木に、俺は声をかける。

「脅しをかけるような真似はよせ。さっきの言い方じゃまるで、俺がおまえを屋上の縁に追いやっているみたいじゃないか」


「あたしがもし死んだら悠介のせいだから。ノートに成就しない想いや恨み辛みを散々書き殴って、屋上に残しておいてやる」

「ふざけんな」


「冗談だよ」柏木はくすくす笑うと、体中の空気を入れ換えるように大きな深呼吸をした。そして「でもね」と続けた。


「でもね、まともなことではないと思ってはいるんだよ。『死ぬのが怖くない』なんて。これは本当にどうにかしないとねぇ。悠介と生きていくっていうプランが仮に立ち消えても、生きることに希望を持てるような何かを見つけなきゃ、だめかなぁ」


 母親の自死は、今まさに少女から女へと脱皮しようとしている柏木の足枷あしかせとなって、彼女が前に進むことを困難にしていた。


 彼女はそれを体験して以来、不条理で不完全なこの世界に、うまく自分を馴染ませることができなくなってしまったのだろう。俺が父の事件以降そうであるように。


 柏木はもがき苦しんでいる。決して表だって嘆くことはないが、心では涙を流している。


「柏木、生きるんだ」と俺は心で語りかける。とにかく生きていくしかない。君が求めるどんな正解も、こっち側の世界にしかないのだから。生きることでしかその正解は得られないのだから。柏木、君の物語は続かなければいけない。他の誰でもなく君自身が続けなきゃいけない。


 なぜ、らしくなく柏木のことを「君」と呼んでしまったんだろうと、考えを巡らせる。ああ、と声が漏れる。その理由はすぐに思い当たった。


 四月の満月の夜の占い以来、俺の中では「」という二人称は、ちょっと特別な意味合いを持っている。

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