目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第5話 君の物語は続かなければいけない 2


 翌日の放課後、俺たち四人は校舎の端の秘密基地に集まっていた。


 殺風景だった旧手芸部室には、気づけばモノがあふれている。


 2リットルのポット、骨董品こっとうひんのような湯飲み、高級茶葉、アコースティックギター、古いCDラジカセ、トランプ、ボードゲーム、一世代前のゲーム機、16インチの薄型テレビ。


 これらはすべて太陽が家から持ってきた。「使わなくなったやつ」と彼は説明した。ともするとここが進学校の一室であることを忘れそうになる。


 俺と高瀬はこの放課後の時間を自習や宿題に充てていたが、これといってやることのない太陽と柏木は野球ゲームで対戦したり、ババ抜きをして過ごしていた。


「さて」と太陽はあらたまった声で言った。「こうして集まるようになってから一週間が経った。大学希望組以外はダラダラと無為に過ごしてきたわけだけど、ここいらで一発、大きいことやるぜ。オレたちの最初のと言ってもいい」


 4シーズン前の選手データが収録されている野球ゲームで柏木と熱戦を繰り広げることが自身の望む未来につながらないことを太陽が自覚していたことにほっとし、次の言葉を待つ。


「ついに来週に迫った学校行事と言えば何だ? 悠介、言ってみろ」


「はぇ?」

 イベントごとにうとい俺は、思わず変な声を出してしまう。教室内の月間行事予定表を思い返した。

「ああ、林間学校か」


「そうだ、ついにあのの林間学校なんだよ」

 なんにでも前向きに興味を示す太陽のその物言いは意外で、事情が飲み込めない俺たち三人は顔を見合わせる。


 柏木が口を開いた。

「恐怖って、大袈裟な。夜中に肝試しでもやるわけ?」


「肝試しならまだいい方だっつの。ていうかむしろやりたいわ」太陽は肩をすくめる。「なんだ、知らないのかみんな。鳴桜高校名物恐怖の林間学校。てっきり誰かからその恐ろしさを聞いているもんだと思っていた」


 俺たちは首を振った。太陽は顔を引きつらせて話し続けた。


「林間学校なんて聞くとワクワクするかもしれない。何を隠そうオレも最初はそうだった。ところが先輩から実態を聞くとね、もうね、仮病を使って休みたくなるね。


 行き先は隣町にある神恵山かもえやまなんだが、到着後最初にやることが、その山ん中にある寺での坐禅組みだ。ここの住職が一年でこれだけを生きがいにしているらしく、容赦なく生徒の肩をぶっ叩いてくるんだと。ほら、よく坊さんが持ってるだろ、あの平たい棒っきれ、えっと」


警策けいさく?」高瀬が助け船を出した。


「そうそうケーサク」太陽は指を鳴らした。「座禅組みで邪心を払い、精神の美化を果たしたら、今度は還元ということで山の美化――すなわちゴミ拾いがオレたちを待ち構えている。適当は許されんぞ。班ごとに袋の枚数が決まっていて、それをゴミで埋めるまで、終われないそうだ」


 俺は自分がケーサクでぶたれる姿や、虫や蛇に怯えながらゴミを拾い続ける姿を想像してみた。誰かさんみたいに仮病を使いたくなった。


 太陽は続けた。

「くたくたになった身体を休める間もなく、今度はテント設営に炊事だ。炊事ではもちろんガスは使えん。火起こしからやらなきゃいけないから、とにかく時間がかかる。この頃にはみんなカリカリしていて険悪なムードになる班も出てくるってよ。そんで夜は、設置したテントの中で8時就寝。8時だぞ? ふざけんな。昨今幼稚園児だってもう少し遅くまで起きてるっつの。


 そんで何がきついって、山の中だろ? いくら6月といってもとにかく寒いんだよ。疲れきった身体は眠りを求める。しかし寒い。もちろん暖房器具などない。8時就寝なんて慣れていないのもあって、そう簡単には眠れない。起きることもできず眠ることもできず、意識が朦朧としたまま、朝まで耐えるしかないんだよ。……どうだ、皆の衆。これを聞いて心躍るか?」


「きっつ」柏木の顔にある全てのパーツが歪んだ。「せめてキャンプファイヤーでもあればねぇ」


「私はちょっと興味あるかな、坐禅」高瀬が言う。座禅を組む高瀬に俺は興味があった。


「なんでこんな苦行をやるかっていうとだな」と太陽は言った。「それもこれも全ては市内一の進学校という呪縛のせいな。高一の早い時期にこうして辛い経験をすることで、受験のプレッシャーに押し潰されない、たくましい精神を養うとかなんとか……。そういうのって時代錯誤なんだよなぁ」


 鳴桜は市内で最も歴史がある高校でもあるので、旧態とした考えや校風が依然色濃く残るのだ。


 柏木は腕を組む。

「林間学校が地獄だってのはよくわかったけど、最初に言ってた“大仕事”って、いったいなんなのよ?」


「よくぞ聞いてくれた柏木よ」太陽は手を叩く。「いくら苦行だからと言って、ただ耐え忍んで過ごすのも、味気ないというもんじゃねぇか。そこでだ」


 嫌な予感を湧き起こさせる、そこでだ、だった。


 太陽はシャツの胸ポケットから紙切れを取り出すと、長テーブルの上に勢いよくそれを叩き付けた。


 皆の視線がその一点に集中する。それは数日前の地方新聞の切り抜きだった。見出しには、ゴシック体でこうあった。


神恵山かもえやまに眠る大航海時代の財宝、ついに発見か?〉


「とにかくまずは、読んでみてくれ」

 太陽の呼びかけに応え、高瀬が代表してそれを読み上げることになった。


 天使が演奏するハープの音色のようなその声に耳を傾け、俺は頭で情報を一つ一つ整理していく。


 要約すると、それは、気が遠くなりそうな話だった。


 なんでも俺たちが林間学校で行くことになる隣町の神恵山かもえやまは海からさほど離れておらず、江戸時代にはこの界隈の海を根城にしていた海賊団の宝の隠し場所になっていたという。


 ある時強烈な台風が海賊船を襲い、船は難破してしまう。数十人いた海賊のうち一人だけが地元の漁師に助けられ、なんとか一命を取り留めた。その青年は海賊から足を洗い、お返しとばかりにその漁村で村民のために生きる決意をし、村の女をめとり、子宝にも恵まれ、その村で幸せな人生を送った。


 時が経ちすっかり年老いて病床に伏したその元海賊は、遺言として家族に対して、自らが若い頃に海賊団の一員として海を荒らし回っていたこと、そして当時南米を支配していたスペイン帝国の船を襲撃した際に、戦利品として得たが神恵山に隠したままになっていることを打ち明けた。


 子どもたちは父の死を看取るとさっそく神恵山で捜索を試みるが、その宝石を見つけることはできなかった。その後も幾度となく山に足を運んだが、目にするのは狐と狸と鹿ばかり。緑色に輝く宝石などひとつも出てはこなかった。


 それでも父親の話が決して絵空事だと思えなかった子どもたちは、年老い自らの死期が近づくと、父が自分たちにそうしたように、自らの子どもにも遺言を語り伝えていく。そしてその子どもたちもまた神恵山に赴くが――と何代も繰り返し、今に至る。


 さすがにもはや元海賊を祖先に持つ一族だけでその情報を管理することは難しくなり、現在は知る人ぞ知る隠れた財宝伝説となっているという。


 ちなみに俺は隣の市に15年住んでいるわけだが、こんな話は初耳だった。


「宝石、財宝、億万、長者」と柏木が早くも皮算用を始めたかと思えば、「江戸時代のこういう伝承って、日本各地にあるよね」と高瀬は冷静に言った。個性って出るね、って俺は思う。


 記事には続きがあって、その緑色の宝石とは、南米からスペイン帝国籍の船が運んでいたことを考えるにエメラルドであろうということ。さらについ数日前、神恵山を遠足で訪れ勝手な行動が元で迷子になってしまった小学生が、実際に緑色に輝く“何か”を山中で目にしたらしいことを報じていた。


 一通り情報が明らかになり、時効の成立を確信した逃亡犯のような湿り気のある笑みを浮かべる太陽を見て、俺にはある懸念が芽生えていた。誰もそれを言い出しそうにないので、口を開いた。


「あのな、太陽」声が震える。「その、まさかとは、まさかとは、思うんだが」

「ん? どうした悠介、青白い顔して」


「まさか、この大航海時代の財宝とやらを、俺たちで探そうっていうんじゃないよな?」


 太陽の瞳がキラリと光った。

「さすがオレのダチだ。察しが良いな」


「宝探し!」柏木は飛んだり跳ねたり、興奮を隠しきれない。「うん、いいじゃない! 面白そう!」


「本気か!?」と俺は言った。「こんな眉唾物まゆつばものの、よくあるたぐいの財宝話を信じるってのか!?」


「なんだ悠介、夢がないな、夢が」と太陽は言った。「いいか、よく聞け。男なら財宝の一つや二つ、いつでも掘り当ててやるっていう気概を持って日々を生きなきゃいかん。だいたいそれにこいつは完全な嘘っぱちというわけじゃないんだぞ。記事に書いてある通り、それらしい目撃談もあるんだ。眠っているんだよ、この山には大航海時代の宝石が」


「そんなもんは見間違いか、注目を浴びたいがためのデタラメであってだな……」


 見れば、記事は新聞の地域欄から切り取られていた。犬の散歩の途中にツチノコを見たとか、地域一の高齢おばあちゃんの長生きの秘訣は好きなものを好きなだけ食べることとか、そういう、肩の力が抜けた記事の掲載が許される場所である。どうしたってその信憑性には疑問符が付く。


「高瀬はどう思う?」と俺は言った。「こんなの馬鹿馬鹿しいよな?」


 同意してくれることを期待したが、彼女の第一声は「でも」だった。

「でも、本当に何もなければ、こういう伝承って長い間残らないよね。この海賊団が神恵山を宝の隠し場所にしていたのは、どうやら間違いないみたいだし」


 その声からは高揚感が聞き取れた。高瀬にこの三年間で冒険によって宝探しをさせると心で密かに誓った俺だが、それはあくまで比喩であって、まさか本当に宝探しの話が持ち上がってくるとは、思いもしなかった。


「いいか、みんな」と太陽は言った。「オレたちにはそれぞれ手にしたい“未来”があるというのは承知の通りだ。もし緑色に輝くこの宝石を見つけることができたなら、単純に四等分したって、その未来のための軍資金になるのは、間違いないんじゃないか? 悠介は大学のために居酒屋で夜遅くまでバイトをしなくたって済むし、オレはいざとなれば家を出てドラムに明け暮れる生活を送ることができる。高瀬さんも三年あれば途中で何がどう転ぶかわからない。自由に使える金は多いに越したことはないはずだ。柏木も……いや、柏木は、金、いるのか?」


「あったりまえじゃない!」柏木は身を乗り出す。「幸せな家庭を築くには、ある程度のお金だって必要なんです! あたしは絶対乗るからね、この話」


 スペイン帝国の財宝を売って得た金を元手に構築した家庭は、柏木が目指すそれとは一線をかくするような気がしたが黙っていた。


「きれいだよね、きっと」誰よりもきれいな高瀬が目を細める。「もしあるなら、私も一度見てみたいな。緑色に光り輝く宝石」


「ははっ、どうする悠介。一人だけになっちまったぞ、反対派」


 太陽の挑発に、俺は口をつぐんで考え込む。


 きっと三人とも、心から本気でエメラルドを見つけようなどとは、考えていないように思う(一人明らかに先ほどまでとは目の色が違う女がいるが、見なかったことにする)。おそらくそれはあくまできっかけであって、実のところは、それこそ普段はできない、心躍る冒険を望んでいるのだろうと思う。それならば……。


 人類未到の地にて湧く泉のような透明度の高い高瀬の表情を見れば、答えは決まっている。

「しょうがない。その代わり、何があっても知らんからな」


「そう来なくっちゃ」と太陽は白い歯を見せて言った。「ようし、決まった。これで地獄の林間学校にもようやく一筋の希望が見えてきた。各自用意するものは、追って連絡する。当日まで風邪なんか引くんじゃねぇぞ。誰が欠けてもダメだ。それでは今日は解散!」


 この三人といると、いつかタイムトラベルすることになるかもしれない、とふと思う。


「悠介、来週、幕末に行くから準備しとけ、黒船見るぞ黒船。男なら黒船の一つでも目に焼き付けとかなきゃいかん」とか太陽が言い出し、柏木が飛び跳ね、俺が無理だと訴えて、高瀬が可能性を夢見る。


 オーケイオーケイ。


 レット・イット・ビー。


 合い言葉は、未来。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?